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2024年05月16日07:24

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子孫の誕生を機に考える

近所の飲み屋(近くの寿司屋から常連が移行した。親しい常連がいる)で、家内が、「今、死ぬとちょうどいい」などと言ったいました。

死にたいわけではありませんが、よくわかります。
老後の問題や子孫についての心配がなくなるからです。

子孫の教育費を貯める人もいます。もちろん、収入があって初めて預金できますから、限られた人しかできません。だが、そういう手はあまりよくないと思います。

また、親族の結束を強めるという人もいます。
しかし、何かあった際に頼るというのは、発想としてどうでしょうか。親族が助け合うという人もいます。しかし、普段から行き来していたからといって頼れるとは限りません。何よりも、安心できない不確実なものを頼るのは、保険としての意味はありません。義理人情で互いを縛り合うと周りに迷惑をかけます。
叔母に頼るのはいいかもしれませんが、従兄の嫁には大迷惑であるなどです。

何よりも有効なのは、本人の無形の力を高めていくことです。

祖父から億近い教育費を受け継いだが、どこにも合格できなかった医学部受験生がいます。
逆に本人が優秀だったら、国立も含めてどこでも合格できます。
どちらがいいか…明らかです。

また、勉強ができると私生活も苦しみが少なくなるでしょう。
倫理道徳などは、他人のものが伝染するからです。実はここに名門校を目指すべき理由があります。たしかに東大何名合格も魅力的ですが、より重大な問題として。
知性が発達すると逃げ場が分かります。たとえば、学校でいじめられても孤立主義を取ることができますし、LGBTになり違和感に悩んだら、関連するNPOにいって相談するなどを思いつくからです。

心配事の中には、事故や病気もあります。
それは、考えても仕方がないとして…
性格も含めて能力を磨く。これが一番です。

そういうことを心配しているのは、本人の生に価値を感じて重んじるからでしょう。
だから、「今死ぬとちょうどいい」確かにそうですが、
生を充実させるために(自殺などではなくても)死ぬ、死んだ方がいい…というのは、やはりおかしいです。

稚きものが生れる。それは苦しみでもあります。心配で心配で仕方がない。
その気持ちを考えると、上に挙げたような生死の理屈も一面の真理に過ぎません。「今死んだ方がいい」という考えもそれはそれで正しいからです。

生まれた子の顔をみながら、そういうことを考えていきたいと思います。
正しいですが、全てではない。別の見方も可能です。
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