大河の藤原斉信には父・為光の娘に三人、有名な妹がいた
一人は花山天皇の寵愛を受けた忯子。この人が死んで花山天皇が兼家と道兼に騙され出家して一条天皇の即位は有名だが
他にも妹が多く、三の君こと寝殿の上と呼ばれていた光子は藤原伊周と関係していた人で、四女の藤原儼子は花山法皇に寵愛されていた。
儼子は、後に道長と関係を持ち、子を授かり忯子に似ていたので平安期の美女の家系だったのだろう。
三の君こと寝殿の上は左大臣・源雅信の妻だったが、後に藤原伊周の妾となる。雅信の死後、経済支援を確保するために再婚したと言われる。
四の君こと藤原儼子は花山法皇の愛人であり、しばしば花山法皇を招き入れていた。長徳2年(996年)ごろ、花山法皇がお忍びで儼子を訪ねると、これを伊周の従者が見咎められ勘違いから襲撃される長徳の変は藤原斉信の妹達が関係する。
伊周は藤原斉信の妹・光子のもとに忍んでいて、光子を訪れた伊周は見事なしつらえの牛車がとまっているのを目撃し、牛車の主が忍んでいたのは光子ではなく、斉信のもう一人の妹である儼子とは思わなかったのが長徳の変の原因に、寛和の変は忯子。藤原斉信も大変な妹達を持ったというか平安の宮廷は狭い世界だったのかもしれない
今朝も虎に翼を
昭和14年(1939)春に突然、時間が、大戦2年前だ
司法の修習のため雲野法律事務所にいる寅子、
雲野法律事務所に帝大経済学部教授が弁護依頼を
検察が戦争前に問題にした記述だが長引き難しそうな裁判だが寅子が発行年数を調べていると雲野弁護士は初版発刊年と時効に寅子の書き出したものから気づき第一審に勝利
検察か刑事かに興亜事件の人間がいた
多くの人は後の花岡との電話がだろうけど
私はこうした勝利の場面が好きだ
そして当時は裁判官になりたいのに驚いた、今は一番、儲かる弁護士希望が多いのだが時代かドラマかはわからない
日記はもうとじよう
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