コンクリートで保護され、土や草で覆って隠された、軍の壕の跡。
中には通信設備や発電機、もあったそうです。
広島の原爆投下はその日の午後になるまでに、柳本飛行場に知らせが届いたとのこと。
奈良盆地の一角を使って造られた、広大な飛行場。天皇の「御在所」も造られる予定だったとのこと。
松代、みたいに。
もはや絶対に勝てるわけがない「本土決戦」。
もっとも飛行場ができてから数ヶ月で敗戦ですが、ただの時間稼ぎや軍の意地?の為に、何人の子どもたちが犠牲になったのか?!と、説明者の方は憤っておられました。
そして、強制動員された朝鮮人の人々。
ここから他所へ行ったり勝手に出ることは許さない、逃げたらただでおかないぞ!、と、朝鮮の人々に「訓示」する将校の姿をしっかりと見た、という、お年寄りもおられたそうです。
また、ぼく自身、前に働いていた老人デイのご利用者の方から、戦時中に女学校から汽車に乗って柳本の飛行場の整備で働かされた、朝鮮の人たちがたくさんいて、かわいそうだった、という話を聞きました。
91歳の、主催者のお一人は、子どもの頃、下関で意気消沈して呆然としている朝鮮の人々に、居丈高に命令している日本人を見た、とのことー後で分かったが、あれ、が強制動員だった、と。
いくら歴史改ざん者やレイシスト達が幼稚で暴力的な言動を行おうと、あったこと、は、その目で見たりその身で聞いたりした人々がいる限りいた限り、なかったことには出来ないのです!
しかし、群馬県知事達が暴力的に追悼碑を撤去したり、安倍晋三らが世界の少女像を撤去させたりしたこと、で、レイシスト達に「お墨付き」を与えてしまい!、最近は明らかに、彼奴等の言動はより残酷に幼稚になったとのこと!
思わぬ所で再開した、ー昨年「群馬の森」の追悼碑撤去反対の新宿でのアクションでお会いして思わぬ所で再開したーある方が、強く恐れておられました。
だからこそ。
ぼくは、少しずつでも抗います。
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