mixiユーザー(id:4997632)

2024年04月01日21:44

49 view

原発雑考第429号の転載   原発震災から原子力複合災害へ、原発と減炭素・脱炭素 (2)など、

原発雑考第429号の転載です。

2024・4・1
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


原発震災から原子力複合災害へ

 1997年に地震学者の石橋克彦氏が〈原発震災〉という言葉を用いて、地震・津波と原発事故が同時に発生する原子力複合災害の危険性を警告した。しかしその警告は無視され、その警告をなぞったかのような福島原発事故が発生した。そしてそれ以後も、とりわけ原子力複合災害が発生した際の住民避難の困難さについてさまざまな指摘がされてきたにもかかわらず、関係当局と電力会社はそれを無視し続けてきた。
そこに、関西電力が計画した原発の建設予定地近辺を震源とする能登半島地震が発生した。もしこの原発が建設されていて、今回の地震で原発事故が起きておれば、生き埋め等の地震・津波被災者の救出も、原発事故の拡大防止も、被曝回避のための住民避難も極めて困難だったことは明白であり、原子力複合災害の怖さをすべての人にひしひしと感じさせることになった。
住民避難についていえば、通信途絶により事故情報が伝達できない・自宅の倒壊やその恐れにより一時的な自宅避難ができない・道路網の寸断により徒歩による避難も車による避難もできず、避難用車両の配備もできない・道路網の寸断と本人の被災により避難支援や被曝防止などに当たる人員や機材の確保ができない などの事態が生じていたことは確実である。
なお、原子力複合災害の発生因は地震・津波だけではない。豪雪地帯の新潟県中越地方にある柏崎刈羽原発では、豪雪下に原発事故が発生して、事故拡大防止も住民避難も困難になることが恐れられている。さらに、柏崎刈羽原発は2007年の新潟県中越沖地震によって被害を受け、今回の能登半島地震も中越地方に地震と津波をもたらしていることを考えると、豪雪+地震・津波+原発事故 という悪夢のシナリオも考えうる。
国内の原発は、地形が急峻・狭隘か、さもなければ周辺が人口稠密な場所に立地されており、原子力複合災害に見舞われれば、安全な住民避難はまったく不可能である。能登半島地震はそのことを改めて思い知らしめた。


原発と減炭素・脱炭素 (2)

先号で、原発の稼働はCO₂を排出する火力発電の存在を前提にするので、原発は脱炭素(CO₂排出ゼロ)には貢献しえないと述べたが、発生したCO₂を回収して海底地層に貯留するCCSを装備した火力発電であれば、話は別ではないかという疑問があるかもしれない。しかしCCSに期待すべきではない。
 CCSについては、火力発電所などの発生源におけるCO₂回収率は90%程度に止まり、残りの10%は大気中に放出されるから、それだけですでに脱炭素ではないし、海底地層に貯留したCO₂が半永久的に漏洩しないことを保証しえるのか、CO₂回収・輸送・貯留・漏洩監視などの費用がどれほどになるのか、地震・火山地帯である日本列島周辺における海底地層貯留の長期的安定性を保証しえるのか、などの未解決の難問が目白押しである。
CCS実用化はスケジュール的にも厳しい。世界的な脱炭素の基準年は2050年であり、CCSを活用して脱炭素を図ろうとするなら、最低でも基準年の10年前(いまから約15年後)には、将来にわたって必要な貯留容量を確保できる確かな見通しを含めてCCSが実用化されていることが必須であるが、それが達成されるとは到底考えられない。
 近年、北海道苫小牧で3年半にわたってCO₂貯留の実証実験が行われたが、総貯留量は30万トンに過ぎず、この量は同じ期間に最新鋭の石炭火力発電1基から排出されるCO₂の50分の1にすぎない。世界的に見ても、すでに実用化されているのは老朽化して自噴力が低下した天然ガス田にCO₂を注入して噴出量を増やすことを目的にしたもので、注入したCO₂の挙動(将来における漏出など)にはまったく関心が払われていない技術だし、そもそも日本周辺には大きなガス田は存在しない。
 しかも仮に上記の難問がクリアーされてCCSが実用化されたとしても、CCS利用の優先度が高いのは、技術的にCO₂排出ゼロ化は困難であるが、排出されたCO₂の回収は可能であるような産業・業種である。再エネ発電という優れたCO₂排出ゼロ技術がある電力業の優先度は低いのである。
 要するに、日本列島周辺でのCCS実用化の見通しはまったく立っておらず、電力業にお鉢が回ってくる規模でのCCS実用化を当て込んで火力発電(ひいては原発)の延命を図るのは危険極まりない選択なのである。
 なお、再エネ発電施設を予備電源として待機させ、原発が稼働不能になったときにバックアップに使えばよいと思われるかもしれないが、そんなことをするのであれば、その再エネ発電施設をはじめから発電に投入し、原発は廃炉にしてしまうほうが、安全面からも経済的にもはるかに合理的である。
 ところで先号では、原発は減炭素にはある程度貢献する可能性があるとも述べた。しかしそれは、脱炭素に到達する以前の段階(減炭素段階)において、再エネ発電だけでは不足する電力を賄う電源として原発が選択されるべきだということを意味するものではない。
 減炭素段階では、省エネが進行し、再エネ発電がすでに主力電源になり、それに対応するための蓄電設備や送電網の増強や、ディマンドレスポンス(電力需要が供給を上回りそうになった際に、需要サイドに働きかけて需要を抑制することで需給を均衡させる手法。すでに欧米諸国で用いられている)の全面的導入なども進められている。
この減炭素段階においては、まず、省エネの進行の結果として電力需要全体が縮小し、そのなかで再エネ発電が可能な限り増強されるから、その他の電源の発電量は急速に縮小していく。したがって、その他の電源の1つとして原発を利用するとしても、その発電量は大きなものにはならない。
 つぎに、2050年には脱炭素が実現して原発は火力発電ともども退場することになるから、いまから原発を建設したのでは建設費を回収することはおぼつかない。つまり減炭素段階に利用が想定される原発は老朽化が進んだ既存原発であり、安定稼働は期待できない。しかもそれらの原発は、旧式で安全性のレベルが低い上に、日本においては原子力複合災害の発生が危惧される地域に立地されたものばかりである。
 さらに、再エネ発電の中心である太陽光発電と風力発電は気象条件によって発電量が大きく変動するから、再エネ発電が主力電源になった場合には電力需要が小さい時間帯や曜日には発電制限をして発電量を調整することになる。発電制限は限界費用(発電を続けることに係わって追加的に発生する費用)が大きい順に行うのが社会経済的にもっともメリットがある。減炭素段階で存在する可能性がある電源は火力発電、原発、再エネ発電であり、限界費用はこの順に大きい。したがって発電制限はこの順に行われるべきだが、原発は安全上の理由から発電制限を行えないので、火力発電を発電制限しただけでは不十分な場合には再エネ発電が発電制限されることになる。原発を利用することによって再エネ発電の利用が阻害されるのである。
以上のことから、減炭素段階で原発がCO₂排出削減に果たす役割は相当に小さいことが分かる。前号で述べたように原発には過酷事故の危険性などの本質的難点もある。これらのことを併せ考えれば、減炭素段階においても原発を利用しないことが賢明な選択だということになる。(続く)


雑 記 帳

 2月は全国的に異常高温で、その反動か3月は寒かった。なかでも桃の節句の3月3日は真冬並みの冷え込みだった。
 かつては桃の節句や七夕は、季節に合わせて月遅れで祝う地方が多かったが、いまでは暦に合わせて花が咲いていない桃の節句(今年は寒さに震える桃の節句だった)や、梅雨空の七夕などが普通になっている。
 1950年代のはじめ小学生の私は四国松山の郊外に住んでいた。桃の節句は月遅れで祝われ、ちょうど春休み中だった。その日、小学生の男の子たちは親に作ってもらったちらし寿司の弁当を持って、桃の花が咲く裏山の桃園を抜けてその奥にあるため池に遊びに行くのが習わしだった(桃の節句は女の子が主役だから、男の子はていよく家から追っ払われたということでもある)。高学年の子は手製の竿でフナやハヤを釣り、低学年の子はカエルやオタマジャクシを捕まえ、飽きるとターザンごっこをしていた。今から思うと、その日は男の子にとって山開きの日だったのかもしれない。季節に溶け込んで季節の行事があったので、鮮やかな記憶として刻まれたのだろう。
 20日は春分。春分は太陽の位置で決まるから、暦と季節が合うようになっている。この日は全国的に強風が吹き、東三河地方の沿岸部には暴風警報が出、豊橋や渥美半島突端の伊良湖岬では最大瞬間風速が20メートルを超えた。ただし雨はほとんど降らなかったので、春の嵐という感じではなかった。
 3月は花粉症の時季でもある。昨年までは鼻の症状に悩まされていたが、今年はほとんど出なかった。年を取って花粉症は卒業したのかもしれない。逆に目に少し症状が出た。こちらは白内障手術をして眼鏡を掛けなくなったせいだろう。万場緑地など風の強いところに行く際には白内障手術をした時に買わされた保護眼鏡を掛けて、しのいでいた。
万場緑地のネコ 第52話 このコーナーの初回(本誌367号、2019年2月)で取り上げた初代ボスネコのミイの耳の潰瘍が大きくなり、写真を動物病院で見てもらったら、ガンに間違いないといわれ、手術することを前提に検査を受けたら、一転してガンではないと診断され、手術は免れた。
 その少し前には私も、膵管と胆管が本来合流すべきでないところで合流しているMRI画像を示されて、膵胆管合流異常症という先天性異常と診断された。この異常があると胆のうガン発症のリスクが極めて高くなるので、予防的に胆のうを摘出することを勧められ、そうすることにした。ところが手術の方法を決める最終検査で一転して異常ではないとされ、手術を免れた。

1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年04月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930