mixiユーザー(id:26363018)

2024年03月20日21:09

108 view

シェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番を攻略する

シェーンベルクは、完成した弦楽四重奏曲を5曲書いた。

♪弦楽四重奏曲ニ長調(1897)
出だしからドヴォルザークに似ていて、影響を全然隠していないが、全編を覆う緻密な対位法的手法はシェーンベルクらしい。
美しい旋律も随所に現れる、親しみ易く楽しい曲だ。

♪弦楽四重奏曲第1番op.7(1904-1905)
多楽章の内容を単楽章に凝縮し、45分弾きっぱなしという、弾く方も聴く方も大変な曲。
濃厚ロマンチックな曲で、シェーンベルク初期の大傑作の一つ。
冒頭から疾風怒濤の激しさに圧倒されてしまうが、後半には楽しい部分もあるし、終盤のしみじみとした美しさは絶品だ。

♪弦楽四重奏曲第2番(1907-1908)
4楽章構成に戻っているが、後半2楽章にソプラノの独唱が加わるという問題作。
初演は大スキャンダルとなったが、全編大変に美しい曲で、なぜこの曲が酷い騒ぎを巻き起こしたのか、今となっては理解することが難しい。
第4楽章がいわゆる「無調」音楽の最初の作例となったことでも有名。

♪弦楽四重奏曲第3番(1927)
12音技法を全面的に使用して作曲した最初の弦楽四重奏曲。
オーソドックスな4楽章構成で歌も入らないが、落ち着かない曲で、単調だと誤解する部分と複雑過ぎて耳がついていけない部分が入り混じり、おそらく聴衆にとって最も難しい曲。

♪弦楽四重奏曲第4番(1936)
やはり12音技法で4楽章構成だが、3番とはかなり印象が異なる。
巨匠的な堂々とした筆致で書かれていて、旋律も割と分かり易い。
第3番と比べて覚えやすく、第1楽章中間部の疾風怒濤の展開が非常にかっこいいので、私はよく脳内で鳴らして楽しんでいる程だ。

.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*

さて、この日記は、来る2024年4月6日(土)に東京藝術大学奏楽堂で行われるディオティマ弦楽四重奏団によるシェーンベルク弦楽四重奏曲全曲演奏会に向けての予習という意味を持っている。
フォト

シェーンベルクの弦楽四重奏曲の大半は既に私の血肉となっている。
一番手強い弦楽四重奏曲第3番も、最近ではだいぶ分かってきている。
それを、この際もっとよく理解してやろうという試みである。

ところで、クラシック音楽の敷居を下げようという意図からか、
「音楽は【分かる】ものではなく【感じる】ものだ」
という意見を言う人もいるが、私は両者を区別することに賛同できない。

私の考えでは、ある音楽を聴いて、音が美しいとか、旋律が美しいとか、曲想が楽しいとか、構成が巧みだとか、何か人生の真理を表現しているようだ、とか、様々によさを【感じられる】ことが、【音楽が分かる】ということなのだ。

シェーンベルクの音楽は、クラシック音楽の中で非常に難しい部類だが、何度も聴けば必ずよさが【分かる】。
そのことに私は励まされ、また魅了されてきた。
しかも、特別な聴き方のこつがあるわけでもなく、根本的にはその難易度はバッハやモーツァルトやベートーヴェンの音楽と変わりがないということも【分かって】きた。
今ではブラームスの一部の室内楽曲の方が、シェーンベルクの諸曲より難しいとすら感じる。

だから、とにかく何度も聴く、聴いてみる、ことが一番なのだ。
以下、手持ちのディスクをどんどん聴いてみての感想である。

.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*

☆コーリッシュ四重奏団(1936)
フォト
ルドルフ・コーリッシュの妹ゲルトルートはシェーンベルクの二人目の妻となったので、コーリッシュはシェーンベルクの義兄ということになる。
つまり、一番シェーンベルクの近くにいた人の演奏である。
SPレコードからのCD化で音は悪いが、演奏の特徴は分かる。
意外なほどよく弾きこなせていて、自然体。あっさりしているくらいに聴こえる。
シェーンベルク自作自演の「月に憑かれたピエロ」も自然体であっさりしているし、先日聴いた「浄夜」もシェーンベルクから伝えられた解釈だったが、至って自然体だった。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986999732&owner_id=26363018
シェーンベルクの音楽には激しさも怖さも不気味さもあるのだが、シェーンベルク自身はそれを殊更に強調されるのはきっと嫌だったのだろう。


☆ジュリアード弦楽四重奏団(1950-1952)
フォト
荒々しい印象があったが、改めて聴くとそうでもなく、洗練されている。
コーリッシュ四重奏団よりもメリハリの利いた勢いのある表現。
第1楽章など相当速い。第2楽章では怖い感じのトレモロを4回繰り返す箇所があるが、そこも油断させておいて…「お化けぇ!」と脅かす感じにやっている。

彼らもシェーンベルク本人の前で演奏したことがある。
元の資料がどこか分からないので、下記のサイトから引用する。
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=2355
「彼らは1949年に最晩年のシェーンベルクをロサンジェルスに訪問して、弦楽四重奏曲の解釈について熱心と意見を交換したようです。さらに翌年にはシェーンベルクの前で実際に演奏を行って、作曲家自身の意見も聞いています。
その時の様子を、リーダーであったロバート・マンは「シェーンベルクの予想した以上に、私たちの解釈はワイルドでした。そして、私たちが彼のために最初のカルテットを演奏すると、彼はそれが自分の予想もしていなかった解釈であると明かしました。」と述べています。この作曲家の反応は彼らにとっては大きな戸惑いであったようですが、シェーンベルクは笑い出して「でも、そのように演奏してください、それでいいのです」と付け加えたようです。」
このエピソードにはシェーンベルクの寛大さが表れており、後年の演奏家が好きに解釈して演奏して良いということのお墨付きとなっている。


☆新ウィーン弦楽四重奏団(1967)
フォト
ウィーンらしい心地よい音楽作りの伝統と繋がっている感じのする演奏。
特に、第4番の四重奏曲への理解が深まったのは彼らの演奏によるところが大きい。
特徴的なのは、無調であれ12音技法であれ、全ての旋律を「歌」としてハーモニーを大切にしている点だ。
合唱で例えると、本当に平均律で歌ってしまうと、合唱のハーモニーは濁ってしまう。
適宜、純正調に近付けて微調整してこそ美しいハーモニーとなるのだ。
この弦楽四重奏団はそれを弦楽四重奏曲でやっている。

彼らの第3番の演奏を聴くと、12音技法で書かれていても、シェーンベルクの音楽には美しい瞬間が沢山あるということを教えられる。
4パート全員が、美音と歌心を大切にしてこの曲を演奏していることが伝わってくる。
欠点があるとしたら、特に複雑なこの第3番に対して、彼らの能力が一杯一杯な様子が聞かれることだ。
第1楽章の後半もゆとりがないし、第2楽章も変化に富んだ曲想を俯瞰し切れず、キーッと音が鳴る所で「今、なんでそんな音した?」と曲想の脈絡が欠落することがある。
4回トレモロが鳴る部分もなんとなく流れてしまって、ジュリアードの「お化けぇ!」が懐かしくなる。
そんな彼らでも、第4楽章は大健闘の名演となっている。


☆ラサール弦楽四重奏団(1970)
フォト
今日でも手に入れやすい、もっともスタンダードな名演。
LPレコードには豪華な「本」まで付いていた。

私が第1番の四重奏曲に親しむことができたのは、彼らが来日した際にNHKのスタジオで録音したFM放送の音源を録音したカセットテープを「ウォークマン」で毎晩聴いたおかげだった。
毎晩、曲の途中で寝てしまっていたが、ある時、最初から最後まで通して聴けるようになり、大感動。
以後、シェーンベルクの音楽への理解が急速に深まったのだ。
その第1番の演奏は、このCDに入っている演奏よりも良かった。

ところが、第3番については、改めて聴いてみてもどうもピンとこない。
第1楽章から主題をたっぷりと歌わせているが、色々な演奏を聴いた上で較べてみると、どうにも詰まらない。
フォト
同じ演奏をブリリアントの盤でも聴いてみたが、やはり物足りない。

その理由の一つは、美しく旋律を歌っているのが第1ヴァイオリンだけで、後の3人はノイズ製造マシーンとなっているからだ。
新ウィーン弦楽四重奏団のような美しさは全然無く、ずっと鋸の目立てを聴かされている感じだ。
第4楽章には、内声部にも歌う箇所があるのだが、そこも全然美しくない。
また、新ウィーンよりは曲想の変化を俯瞰して構成よく演奏しているのだが、だからといって何かを表現しようとする想像力が感じられる訳でもない。
第4楽章も無感動な感じだ。

上手で、主張がなくて、美しくない演奏、つまり、詰まらない演奏なのだ。
今後も新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲集のスタンダードとして君臨するであろう盤だが、この演奏が全てだとは思わないほうがよい。


☆シェーンベルク四重奏団(1999)
フォト
シェーンベルク四重奏団は、ラインベルト・デ・レーウが指揮するシェーンベルク・アンサンブルの中核メンバーによる独立した団体だ。
彼らの特徴は、シェーンベルクへの愛が半端でないということである。
彼らが、ロサンジェルスのシェーンベルク遺族を訪れて交流するドキュメンタリーを観たことがあるが、彼らが遺族と交流する姿はもう本当に嬉しそう、楽しそうで、全編シェーンベルクへの愛が溢れていた。

この演奏も、シェーンベルクの音楽への理解と共感に溢れている。
良い音で聴くのがやや難しいディスクではあるのだが、十分によい音で聴ければ、この一般的には難解な曲を、彼らがしばしば甘美にすら弾いていることに驚くだろう。
この弦楽四重奏曲第3番は、雰囲気としては、不安感、切迫感、焦燥感、悪夢的な幻想といったものが基調としてあるが、それがしばしば、甘美な夢想や、安らぎや、舞踏的な高揚や、建設的な意思や、歓喜の歌にまで転化するという、多面的な音楽であることを彼らの演奏は証明している。


☆アルディッティ弦楽四重奏団(1993)
フォト
アルディッティ弦楽四重奏団は現代音楽のエキスパート集団である。
おそらく、どんな難しい曲でも弾けてしまう人たちなのだろう。
彼らの演奏には、シェーンベルク四重奏団のような愛が無いので詰まらないと思っていたが、じっくり聴いてみると意外にそうでもない。

第1楽章は、緩急巧みに構成しつつも一気呵成に聴かせる感じ。
「えっ、終わり?!」というくらい短く感じた。
表現主義的でないので、抽象的な音のオブジェというか、半抽象的な絵画を見ているかのよう。
第2楽章は、意外にもテンポもゆっくりで、美しい音で、随所で良く歌っている。
彼らなりの曲に対する愛や思い入れが感じられた。
第3楽章は、変則的なフレーズやリズムに聞き手が翻弄される曲だが、これまた見事に弾いている。
しかし、表現としては淡白だ。もっとどこかに表現の強調があっても良いのに。
第4楽章も、一気呵成に聴かせる感じ。

彼らの演奏には、上手さに惚れ惚れする瞬間も多々あるものの、物足りなさも残る。
その感じは、トスカニーニのベートーヴェンを聴いて感じる物足りなさに似ている。
完璧主義的な演奏だが、曲の一面しか描いていない感じがするのだ。
録音は、ここまで聴いたディスクの中で圧倒的な高音質だ。


☆ライプツィヒ弦楽四重奏団(1996)
フォト
ライプツィヒ弦楽四重奏団は、ヴァイオリニストのアンドレアス・ザイデルが率いている。
実は、ザイデルに対しては悪い印象しかなかった。
ハンス・ツェンダー指揮の「月に憑かれたピエロ」のCDに、ザイデルは「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー」op.47を録音しているのだが、優等生的で覇気が感じられなかったからである。
フォト
しかし、更に音質が良くなった装置で改めて聴いてみると、そう悪くない演奏だった。
(使っている装置自体は、DCD-S1、EPMW-30、TC50で何も変わっていないが、使いこなしの変化で音質は格段に良くなっている。)
荒々しく情熱をむき出しにするよりは、技術的に完璧を期しつつ端正なフォルムに収めたいという美学の人なのだろう。

ライプツィヒ弦楽四重奏団による第3番の演奏は、ザイデルの技術と美学がメンバーに共有され、非常に完成度の高いものとなっている。
主題のつなぎ方、歌わせ方、パート間の呼応関係など、研究の深さが隅々まで感じられる。
その結果、アルディッティ弦楽四重奏団よりも、内容の濃さを感じさせる秀演となっている。
完成度が高いが、単に卒なく上手いというレベルではなく、味わいの深さも感じさせるあたり、見事としか言いようがない。
録音は、ホールの響きに演奏の細部が埋もれやすく、やや再生が難しいタイプだ。


☆フレッド・シェリー弦楽四重奏団(2005)
フォト
この弦楽四重奏団は、チェリストのフレッド・シェリーがリーダーのようだ。
(チェリストがリーダーというのも珍しい。)
ジャケットの下部には「Robert Craft」と堂々と書いている。
ロバート・クラフト監修のシェーンベルク・シリーズの一環ということのようだ。

ロバート・クラフトは、シェーンベルク本人とも、またシェーンベルクの敵対陣営と考えられていたストラヴィンスキーとも親交があった人で、20世紀前半音楽の生き証人と言ってよい。
最初に本格的なシェーンベルク録音集を出したのもクラフトで、私が初めて「月に憑かれたピエロ」を聴いたのは高校の音楽準備室で、この盤だった。
フォト
ベサニー・ベアズリーの優しい語りが心地よい録音で、素直に聴けたことを覚えている。
これがもし、最初に聴いたのがブーレーズ盤のピラルツィクのエグい語りだったら躓いていたかもしれない。

ロバート・クラフトはブーレーズとの比較で、二流扱いされてきたように思うが、もっと評価されるべき人だろう。
確かに、指揮者としての技量やカリスマ性はブーレーズに劣るのかもしれないが、シェーンベルクの曲の解釈はブーレーズより優れているように思う。
クラフト指揮、グレン・グールドの独奏による「ピアノ協奏曲」op.42は今でも名盤だ。
(グールドはクラフトを非常に信頼していた。他方ブーレーズのことは嫌っていた。)

さて、フレッド・シェリー弦楽四重奏団による弦楽四重奏団第3番だ。
非常に研究の深さを感じさせる演奏だ。
それがどこまでクラフトの助言によるものなのかは正直分からない。

研究の深さが感じられるのは、一つはライプツィヒ弦楽四重奏団の演奏にも聴かれたような旋律のつなぎ方の確かさだ。
それはすなわち、音楽の脈絡を適切に辿っているということだ。
さらには四声部の絡み方だ。
対位法的に絡んだときの効果、和音を構成した時の響き方、そして、どの声部を前面に出すかという音量バランスの配分などだ。
それらの全てに研究の成果が感じられる。
こうして、様々な弦楽四重奏団の演奏を録音の時系列に聴いていると、それがその時々の研究成果の論文発表のように思えてくる。
演奏全体の雰囲気としても冷静なアルディッティ、怜悧なライプツィヒよりも人間味があるように感じる。
しかし、あらゆる点でこの演奏が最高という訳ではない。

いろいろ聴いてきて思うのは、この弦楽四重奏曲第3番は、「5つの管弦楽曲」op.16と、「7楽器のための組曲」op.29の中間のような作品だということだ。
「5つの管弦楽曲」op.16は無調期の傑作で、衝動的なものや、幻想的なものが、高度なオーケストレーションによって制御されつつ赤裸々に吐露されている。
「7楽器のための組曲」op.29は、12音技法によって書かれているが、作曲当時、再婚したてのシェーンベルクの喜びが反映されてか、彼の全作品中一番明るく、陽気な作品と言っても過言ではない。
リズムはダンサブルでウキウキしているし、旋律もご機嫌にはしゃいでいる。
もっとも、演奏困難な上、聴衆に理解されにくいから、演奏されないし録音も少ない。
(私の亡き母は、この曲を「気違い音楽」と呼んでいた!)

だから、弦楽四重奏曲第3番には、幻想的、衝動的、そして悪夢的な要素と、ご機嫌でダンサブルな要素が両方入っているのではないか、ということなのだ。
このフレッド・シェリー弦楽四重奏団による演奏は、非常に優れた演奏だが、そこまでの多様性は感じられず、充実した絶対音楽という趣だ。
曲の内容の多様性を感じさせる点では、シェーンベルク四重奏団による演奏のほうがよい。
また、この演奏はなかなか良い音質で録音されてはいるが、良い音で聴くには努力を要するタイプだ。
努力しないと質感が悪く、そうなると演奏も曲も悪く聞こえるから要注意だ。


☆グリンゴルツ四重奏団(2021)
フォト
シェーンベルクの弦楽四重奏曲の録音として、最新のものだ。
小規模レーベルながら、音質も内容も良いディスクを作り続けているBISらしく、アルディッティのCD以上に生々しい高音質で作成されている。

ごまかしがきかない録音で、グリンゴルツ四重奏団は積極果敢な演奏を繰り広げている。
主題の分析的なつなぎ方はライプツィヒ弦楽四重奏団に一歩譲る。
旋律のつなぎ方が至る所で変則的な曲なので、分析的な弾き方を徹底しないと「えっ、今、何が起きた?」と訳が分からなくなるのだ。
そういう箇所が皆無ではないものの、彼らの演奏は魅力の方が勝っている。
各楽章とも非常に雄弁で、人間的なドラマを感じさせる。

一番新しい世代の彼らは、最早、シェーンベルクをベートーヴェンと同列に捉えている。
名だたる弦楽四重奏団のベートーヴェン演奏を彷彿とさせる熱い雰囲気に満ちている。
第3楽章は伝統と接続したスケルツォ楽章に聞こえるし、第4楽章など、ベートーヴェンの交響曲第7番の終楽章さえ連想した。
これぞ現代のシェーンベルク演奏の最先端と言ってもよいだろう。

.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*

色々な演奏をじっくり聴いたおかげで、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番の魅力がとても良く分かってきた。
私なりに、同曲の魅力や聴きどころをお伝えしたい。

第1楽章
シェーンベルク自身が、この楽章について考えるたびに「幽霊船」という童話の怖い挿絵を思い出すと言っているが、そのことに聞き手はあまり捉われないほうがよいだろう。
その点は、シェーンベルク自身が警告している。
確かに、切迫感や不安感を感じさせる要素はある曲だ。
8つの8分音符による音型が繰り返し現れるので、それが単調に感じられる危険がある。
実際は楽章全体も、急、緩、急、緩…と変化し続けるし、8分音符の音型も絶えず変化する。
それをどこまで注意深く聴けるかがポイントだ。

繰り返す音型にテンポの異なる旋律を乗せていくのはシェーンベルクがよく使う方法だ。
古くは、「グレの歌」の序奏で、夕日にキラキラ光る波を表す音型にゆったりとした旋律が被る描写が挙げられよう。
弦楽四重奏曲第3番の方は、ゆったりとした旋律は不規則なリズムで被ってくるので、聴取の難易度は上がっている。
襲ってくる不安をはねのけようと格闘する内面のドラマと捉えることもできるが、緩やかな部分は演奏によっては優美にすら響くので、内容は多彩で複雑だ。

第2楽章
不安な心理ドラマの延長として聴くことも可能だ。
例えば、第1楽章の悪夢から目が覚めたが、実は不可解な夢の続きだった、というような。
実際、冒頭は夢から覚めたような、ちょっぴり悲しいような雰囲気だ。
そこから、主人公は歩き始めるが、その途中途中でいろいろな場面に遭遇する。
この楽章のように、半ば夢見ているような雰囲気の中でいろいろな出来事が起きるという音楽が、シェーンベルクは抜群に上手い。
主人公の歩むリズムがスキップのようで、意外に楽しげであることにも注目してほしい。

第3楽章
シェーンベルク自身がA-B-A、A-B-A-B-A、A-B-A-C-A-B-Aといった形式だと解説しているが、それを聴き取るのは至難の業だろう。
リズムが変則的だし、旋律も無調音楽に免疫がないと聴取しづらいからだ。
私にとっても、かつてはシェーンベルクの音楽の中で一番難解に感じられたのがこの楽章だった。

聴き取り易くするためのヒントとしては、この曲では、多くの旋律が、2つのフレーズが呼べば応える、対句のような関係になって進むということだ。
ああ言えば、こう答える、の連続で進む曲なのだ。
ただし、対句となるフレーズの長さも変化するし、答えの後もう一言付け加わることも多く、変化は無尽蔵に多彩なのだ。

内容的には、悪夢的なものの延長として捉えることもできるが、舞踏的な要素を持った活気ある音楽として捉えることもできる。
代表作の一つ「月に憑かれたピエロ」にしても、妖しいファンタジー音楽として聴くこともできるし、アイデアに溢れた精妙な室内楽作品として聴くこともできる。
フォト
上の「ルビンの壺」の錯視のように、どこに注目するかでシェーンベルクの音楽はまるで違って聴こえるのだ。

第4楽章
この楽章も、解釈によって、聞き手の感じ方によって、様々な捉え方ができよう。
悪夢から解放された喜びの歌とも聞こえるし、マーラーの交響曲第7番の終楽章のように、歓喜に満ちているがどこか発狂したような音楽と捉えることも出来よう。
グリンゴルツ四重奏団の演奏は、この楽章がベートーヴェンの交響曲第7番の終楽章の延長上にあるかのように表現した。

最後は、ガソリンが切れた自動車がゆっくり停止するように終わる曲だが、その直前の盛り上がりは、上手くいけばシェーンベルクの全ての弦楽四重奏曲の中で、一番のエキサイティングな瞬間となるだろう。
もっとも、どの団体も難しそうに弾いているから、相当に技術的難易度は高いと思われる。


シェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番は、弾き手にとっても聞き手にとっても難易度の高い曲だが、私は今やこの曲にすっかり魅了されている。
実演で聴けるのが楽しみで仕方がない。
2024年4月6日(土)、ディオティマ弦楽四重奏団の演奏によって、東京藝術大学奏楽堂が喝采に包まれることを大いに期待している。
7 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31