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2024年03月09日19:56

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3月2日〜3日 国立市消防団第一分団の研修旅行で沖縄へ行き、二日目はファーマーズマーケット、ひめゆりの塔、首里城を見学しました

 こんにちは、昨日のカヤックツアーによる筋肉痛は出ていない石井伸之です。

 本日は、ファーマーズマーケット、ひめゆりの塔、首里城を見学して東京に戻りました。

​ ひめゆりの塔へ向かう前に立ち寄ったファーマーズマーケットは、余りの混雑さに驚くばかりです。

​ それもそのはず、新鮮な沖縄産の野菜が所狭しと並べられ、その価格の安さに驚きました。

 国立では絶対に見られないとうもろこしが並んでいます。

 艶やかなとうもろこしを見ると、これは買うしかありません。

 これ以外にもゴーヤなどを購入して、ファーマーズマーケットを後にしました。

 那覇から45分ほど車を走らせ、ひめゆりの塔に到着です。

 献花するお花を300円で購入し、献花台で手を合わせ「どうか安らかに・・・」との想いを伝え、資料館へ向かいます。

 太平洋戦争末期の1945年3月から3か月余り、日米両軍は沖縄で住民を巻き込んだ地上戦を繰り広げました。

 那覇市安里にあった「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」からも、生徒・教師240名が看護要員として動員され、そのうち136名が死亡しました。2校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後、彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになりました。

​ 陸軍病院での筆舌に尽くしがたい過酷な状況の中を、日本軍兵士の為に献身的な看護を続けます。

 そして、戦線の悪化によって突如の解散命令が6月18日に出され、多くの犠牲が出たとの話は胸に込み上げるものがあります。

 絶対に戦争を起こしてはならないという想いを忘れずに、平和人権教育の大切さを訴えて行きたいと思います。

​ 続いて、首里城へ向かいました。

​ 火災で焼失する前に訪れたことはありますが、火災焼失後は初めての訪問です。

 令和元年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失し、その後復興作業が進められています。

​ 火災の原因は通電火災という事から、消防団員としても通電火災の怖さを実感しています。

 守礼門(しゅれいもん)を通過して急な階段を上ると首里城正殿が見えるはずのところ、そこには巨大な倉庫の壁面に描かれた首里城正殿の再現図でした。

 この姿を残念に思うと共に、それでも首里城再興に向けて立ち上がろうとする想いに触れた気がします。

 首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものです。

 琉球王国とは、今から約570年前(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国となっています。

 首里城復元に向けた巨大な倉庫の中では、着々と工事が行われており、既に木造での軸組が再現されていました。

​ 今回の木材は奈良県のヒノキが使われているそうです。

​ 本来であれば沖縄産のイヌマキという木が適しているそうですが、イヌマキの木材自体が希少な木材となっています。

 そこで、同時並行としてイヌマキの植樹が行われ、100年後、200年後に再び首里城の修復工事に使われるそうです。

​ 私は市民の皆様を花粉症から守るために、多摩産材や山梨県産材の利用を促進させ、花粉の少ない樹木への植え替えを促進させるべきと考えています。

​ 木材は非常に長いスパンで考えながら、将来を見据えた活動が必要と考えています。

​ 2年後には首里城が復興するとのことから、復元された首里城正殿の姿を見たいと思います。

​ また、消防団員として首里城火災の原因を踏まえる中で、今後とも通電火災の怖さを訴えて行きます。
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