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2024年03月07日01:30

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兄弟争いが加速させた藤原兼家の権力への執念とスズ子と六郎の亀

大河で眼鏡をかければ某政治家に似た人間が演じているが

藤原兼家の権力への執念の凄まじさは兄弟争いが加速させた

兼家の長兄、藤原伊尹は考えあっての人事を行兼家は968年に従三位、969年には参議を経ずに中納言になるが、次兄藤原兼通の代わりに蔵人頭になったことや官位を上回ってしまったことで、恨まれる

藤原兼通が関白に就任した時代に藤原兼家は、自分の思惑通りに進まないなど不遇な時代になる。兼通は、兼家の昇進を自身の地位への脅威と捉え、強い敵意を抱きました。この兄弟間の政治的な争いは、藤原氏内部の権力構造に大きな影響を及ぼす。藤原兼通が病に倒れ亡くなり藤原頼忠が関白になると、右大臣に任じられた藤原兼家は朝廷に復権し、不遇の時代を取り戻すかのように策略を巡らし989年には、円融法王の反対を押し切り、自分の長男である藤原道隆を内大臣に任命。

律令制で史上初めての大臣4人制を実現させ、藤原頼忠が薨去するとその後任として太政大臣に就任し990年には、娘詮子が生んだ一条天皇が元服する際に冠を被せる役目の加冠役を務め、政治面において朝廷内の実権を握ることに成功し関白に任じられますが、長居することなくわずか3日で藤原道隆に譲り、自身は出家して2か月後に62歳で亡くなる。

花山天皇に色々仕掛けるが花山天皇の外伯父は、藤原義懐で兄藤原伊尹の子どもで、当時朝廷の政治を執ったが甥にはなる。色々と策略を巡らし息子たちを昇進させ、自身も重要な官職に就くことで、藤原兼家やその家族の地位は確固たるものになった、摂政・関白の地位は、単なる臨時職ではなく、独立した官位として認められるようになる。

兼家は、強い意志と狡猾さを持ち合わせ、政治の舞台で巧みに立ち回ることができた。兼家は、兄弟間の激しい権力争いを制し、高い官位を獲得することで、自身の地位を確固たるものにした。

子どもたちを皇族と結婚させ、皇位を獲得することを目論み政治的野心を持ちながらも、その手段には時に厳しいものがあり、自らの地位や権力を誇示することはせず、控えめな姿勢を取ることが多かったらしい。だが、この時代の文化的な発展は、兼家の政治的な安定と経済的な繁栄に支えられ、文学者たちにとっても活動の場を提供しいる。女性文学者の才能が認められる環境があり、紫式部のような作家がその才能を発揮することが可能にした功績は大きい。

今朝もブギウギを

4ヶ月が過ぎ、スズ子がアメリカから帰国したら渡米中に、住まいが新しくなり、洋風の豪邸になっていた。1年の月日が経ち近所付き合いも順調で羽鳥先生の記念大パーティーにも出る事に

スズ子の元に電報が届く、「ウメキチキトク スグカエレ」

梅吉はガンで半年ほど闘病生活を送っていて、スズ子は子は愛子を連れて香川へ向かう。

梅吉は香川で写真館をしていて近所の評判もよかった

梅吉の部屋に向かう途中、愛子は廊下でカメを見つけた。スズ子は、病床に伏す梅吉に「まだ元気やったんやな、あのカメ」と語りかけると、梅吉は「よう長生きしとるわ。六郎の分まで生きとんのやろ」と

ここまでは、良い話しだったがスズ子は梅吉の部屋で女性の水着写真を昭和20年代って水着でショックを、日本って昔はこうだったんだ、父親が水着ではないけど母親の昭和30年代だが写真を多く撮っていてわからなかった

日記はもうとじよう
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