mixiユーザー(id:12322419)

2024年02月24日00:00

124 view

【漫画感想】レキメン: 日本の歴史のどえらい面々

桝田道也の漫画『レキメン: 日本の歴史のどえらい面々』を読んでみたので、その感想。この感想はネタばれありです。
『風雲児たち』の二次創作『識りたがり重豪』の作者、桝田道也がコミック乱で2005年〜2011年にかけて連載した漫画を一本にまとめた電子書籍で、日本史における人物を紹介した内容である。全14話が収録されている。

第1話『登り狂い武蔵』
寛永十五年(1638)。島原の乱で幕府軍側で参戦した剣豪「宮本武蔵」。老境に達した武蔵は終わった人扱いされるのが我慢ならなく、原城によじ登って手柄を上げようとする。
フォト
年老いた武蔵が巌流島での決闘や小倉城での試合などを回想していくスタイルで、勝つためには手段を選ばない武蔵は剣聖というよりは俗物的であるが、武蔵の持つ上昇志向と白の石垣をよじ登るのがシンクロしている。
原城に到達するも、かつて負かした相手の母親に大石を投げつけられ、転落してしまう。その母親が漫☆画太郎に出てくるババアみたいで吹いてしまった。

転んでもただは起きぬ武蔵はその経験を元に墨絵『枯木鳴鵙図』を完成させる。
武蔵の描いた絵を後に「谷文晁」をもってしても「画技は模写しても心魂は模写できない」と言わしめる名画と讃えられるが、あの世で武蔵が画技は真似できると言われて歯ぎしりするオチ。

第2話『乱れ描き文晁』
「松平定信」に呼ばれた谷文晁は蘭画を見せられ、これを模倣するよう命じられ、文晁は蘭画作成に挑み始める。
フォト
今度は1話にも登場した文人画家の谷文晁が主役。異学の禁で西洋嫌いと思われている松平定信だが、本人は幕府の体制維持が目的であって、定信自身は偏執な蘭学嫌いではない人物として描いている。
文晁に蘭画の模写を命じたのも日本が外国に劣ってない証を示すためで、西洋は嫌いでないが負けるのは嫌だと公言するまでに。

文晁は絵を家に持ち帰り、構造を解析して絵の線を再現を試みる。櫛や茶筅で線を書こうとするも上手くいかず、そこに現れたのが弟子の「田善」。田善も蘭画を学ぶことになり、長崎に遊学。
数年が経過して文晁と田善は定信に絵を提出する。『万年橋大橋両国橋勝景』を描いた田善は定信から亜欧堂の号を与えられる。
その一方で文晁の『外船図』はお世辞にも最高傑作ではないが、その理由も一番手を抜いたからで、文晁は見方次第で絵の価値は異なると悟ったためである。

文晁は寛政期は細密、文化・文政期は即興的な画風に変化しているが、文晁が気楽に楽しめる線を描く境地に至るまでの話とわかるラスト。

第3話『はぐらかし京伝』
文晁が戯作者「山東京伝」を訪ね、『人間一生胸算用』の感想を伝える。
寛政の改革で京伝の著作も規制されて、京伝自身も手鎖五十日の刑に処された。
罰せられた京伝は断筆を考えるも酔っぱらった弟子の「滝沢馬琴」から「アンタに憧れてこの世界に飛び込んだ」と喝を入れられた。
フォト
冷めてしまった京伝にも洒落っ気が心に残っており、江戸市中の堀には寛政の改革を皮肉った落首「白河のあまり清きに住みかねて,濁れる元の田沼恋しき」が書かれた。
これを書いたのが京伝か明らかになってないが、京伝は戯作を続けていく。

京伝の心変わりを描く一篇で、規制されても人の内面までは抑えつけられないといったメッセージを感じた。

第4話『えれきてり源内』
ゑれきてる(エレキテル)を使って新作のカラクリ興行のネタを仕込む「平賀源内」。そのゑれきてるが源内の運命を大きく変えてしまうのであった。
フォト
多彩な才能を持ちながらも浪人という素性から仕官できず、最期は牢屋で獄死する非業の死を遂げた平賀源内が主役。蘭学者「桂川甫周」から手柄を独り占めしているのを非難され、銭と究理のどちらが大事か聞かれて銭と断言する源内は俗物っぽく描かれているが、守銭奴ではなく、新しい技術には元手がいるという考えの持ち主である。
源内の事業が悉く失敗したが、決して目利きが悪い訳ではなく、早すぎた天才とも言える。

源内は弟子二人にゑれきてるの仕組みを聞かれるも、源内自身もよく理解していなかったが稲妻だと考えていた。その仕組みを解き明かす実験中に弟子が感電。一人は即死、もう一人は息があったが、この事故で蘭学が弾圧されないよう口封じに斬りつけてしまった。
源内は錯乱して斬ったとして獄に入れられ、人生を終える。

平賀源内が晩年にしでかした殺人の真相が感電事故によると独自の解釈で掘り下げた一篇。友人の杉田玄白が彼の墓碑に刻んだように非常の人だったと改めて感じる。

第5話『かぐわしや政宗』
「伊達政宗」と「細川幽斎」が沈香を巡って火花を散らし、一触即発から斬り合いになってしまう。
フォト
これまでの話と打って変わって安土桃山時代が舞台。朝鮮出兵の折に手ぶらで帰れないと思った政宗は豪商の「神屋宗湛 」を頼って沈香を入手しようとするも、同じく沈香バカの幽斎が居合わせたため、大名二人の大人げない奪い合いに発展する。
沈香争奪戦のしょうもさなを感じるが政宗の回想で幼少期に目を失い、母から愛されず、豊臣家にも従わざるえない辛酸を舐めてきた過去が明らかになってる。
政宗は沈香を諦めるが、宗湛は彼に沈香の元になった木の一片を売る。

30年後。老中の「土井利勝」が仙台藩に来る際、政宗はずっと取っておいた一片で香を焚くも、利勝は風邪をひいてしまい、香りがわからず仕舞というオチ。
森鷗外の短編『興津弥五右衛門の遺書』を着想にしたとのこと。

第6話『よろこばせ一九』
戯作者の「十返舎一九」。『東海道中膝栗毛』がベストセラーになっても嬉しくなく、飲んだくれていた。酒の酔いが醒めた後、膝栗毛を読みたがってくる若者が一九を訪ねる。
フォト
一九は他の戯作者のように奇想的アイデアもなく、技巧もなく、目新しさもない。自分には何も持ってないと自身を卑下しているが、そんな一九に親近感を覚えてしまった。
そんな一九だが読者の若者から郷里の訛りが本の中で書かれているのが良いと褒められ、一九は自分にしかできないことを成し遂げていたと悟った。

月日が流れ、晩年の一九は棺桶屋に自分の棺桶に花火を仕込んで欲しいと頼む。一九の死後、棺桶が景気よく爆発するという一九の逸話を元にした終わり方。ただし、葬儀に出た知人が一九のギャグを解説して、あの世で一九が赤面してしまっている。

第7話『小言焉馬』
噺家の「烏亭焉馬」。大工出身で落語に専念するため大工を退いた経歴から「隠居の棟梁」と呼ばれていた。
フォト
噺家が主役の話だが、烏亭焉馬は『えれきてり源内』で駆けだし時代に源内にアイデアを貰っている出番で登場していたりする。
焉馬は同業者の「三笑亭可楽」に噺の真髄を語り始めるが、噺は生業にしてはいけないと公言する辺り、アマチュア出身の噺家としての拘りを感じられる。

落語を鑑賞している町人の熊さんが「わけわかんなくてデタラメで支離滅裂なのが人の心、人の情けの話ってなァ だから面白い」と感想を述べている台詞が落語の良さを表しているかもしれない。

第8話『やいややいや鷹山』
米沢藩主の「上杉治憲(鷹山)」は野良仕事で植木の苗を植えているが、家老は渋い顔で見ていた。
フォト
治憲は元々、秋月藩主の次男として生まれたが部屋住みの身であった際に米沢藩より養子の声がかかり、その話に飛びついた。兄は養子はあくまで中継ぎだと冷ややかに見るが、治憲はスペアのまま人生を終えるより辛くても一国の主として何かを成そうとすると強い意志を持っていた。

米沢藩の財政を立て直した名君として今も語り継がれる上杉鷹山の青年時代がテーマ。倹約に対して文句を言う家老に対しても算盤を弾いて反論。強い反対に遭っても押し通して地道に改革を続けた結果、実を結んだという道徳の教科書にありそうな内容。

第9話『わかりやすし宗春』
尾張徳川家の次男「徳川宗春」は兄「継友」の死を受けて、尾張藩主の座に就くことになり、名古屋入りするが彼の打ち出した方策は時の将軍「徳川吉宗」の倹約策に対して真っ向から対立するものであった。
フォト
前の話が倹約で藩を立て直した上杉鷹山だったが、こちらはその真逆の政策で藩政を導こうとして挫折した徳川宗春が主役。
ただの放漫財政ではなく、宗春なりの考えがあり、五徳の内、慈と仁に重きを置くものであった。宗春は芝居や祭りを奨励し、名古屋は華やかな街となるが、結局赤字となってしまった。これは年貢制によるもので農民の労働が減れば当然収入も減少するためである。

これが吉宗の耳に入り、宗春は蟄居処分を命じられる。
宗春の試みは挫折してしまったが、使者の「浅野幸長」は宗春の理念が間違ってなかったと認めている。名古屋では町人が街の賑わいを誇りに感じ、名古屋は日本一の都という自負があった。

時代劇では悪役として描かれることの多い宗春だが、その積極財政は先見性があるというか、早すぎたのかもしれない。

第10話『飲まず次郎長』
飲んだくれていた「清水次郎長」は突如闇討ちされてしまった。
それから50年後、死期が近付く次郎長は孫娘に襲撃された時の事を語り始める。
フォト
侠客として名を馳せた次郎長が若い頃に襲撃された逸話を元にした話。最期が近付く次郎長が当時を回想していく方式で、その襲撃を機に断酒していたが、その真相は次郎長の父親が酒を辞めてもらいたい親心で敢えて次郎長を襲撃したのであった。

末期の水として酒を薦められるも次郎長は落語『芝浜』のサゲを引用して〆るオチ。「よそう また夢になるといけねェ」

第11話『くつがえし正雪』
軍学者の「由井正雪」は門弟を集め、軍議を教えていたが、門弟からしたら奥義に見える内容も幕府の幕閣からしたら当たり前のことを教えているに過ぎず軽んじていた。
フォト
由井正雪の乱の首謀者の由井正雪が主役。幕府の上層部は合戦経験者に対して、太平の世を生きる正雪らは戦いを知らない世代とジェネレーションギャップを題材に、太平生まれをゆとり世代、関ヶ原後の世代を団塊の世代に例えている。

反乱はあっさり頓挫して正雪は自害して果てるが、幕府壊滅を企てたのがアンチ徳川で有名な「後水尾上皇」で、紀州徳川家も焚きつけていた陰謀的な話は史実というよりは伝奇に近い。
正雪は志半ばで倒れるも、幕府は浪人救済に方針を転換しているので無駄ではなかったということか。

第12話『とらせず虎三郎』
米俵を前に仁王立ちする「小林虎三郎」。欠食児童の如く腹を空かせて米を求める同胞に対して首を縦に振らなかった。
フォト
小泉元首相が所信表明演説でも引用した長岡藩の「米百俵」と小林虎三郎の逸話を元にしている回で、戊辰戦争で敗北した長岡藩は困窮するが、見かねた支藩が百俵の米を贈る。だが、虎三郎はそれを売って教育の資金に充てようとしたのが「米百俵」の内容。

虎三郎は米百俵は食べてしまえばそれまでだが、学問で経済を学びことの大切さを皆に説く。
幕府を打倒した薩摩藩が郷中教育で思考を鍛えたように、いつか薩長を倒すために数百年を見据えて教育に力を入れようとする。虎三郎の「食えぬからこそ人材を育てるのだ」という言葉に揺り動かされた長岡藩士は賛同して、三銃士の如く刀を合わせて誓いを立てた。

良い話風の美談に見えるが、5ヶ月後に長岡藩は財政破綻してしまい、廃藩置県を待たずして消滅してしまうトホホな事実も描いている。
明治10年。病に伏せた虎三郎はあの時の米を食べておけばよかったと後悔するも、膳に乗った長岡の米、さつま汁、駿河の鯛を見て日本は諸藩が集まって統一国家になると悟り、自身の狭量の浅さを恥じた。だが、さつま汁は薩摩藩を思い出してしまい、キレてしまう理性に感情が負けてしまうオチだった。

第13話『あきらめず広嘉』
岩国藩主の「吉川広嘉」。父の「吉川広正」は領内の綿川に橋をかけるも流されてしまい、失意から隠居してしまった。広嘉は父の無念を晴らすためにも暴れ川に橋をかけるべく挑戦する。
フォト
毛利家の分家の岩国藩の当主が主役。吉川家は関ヶ原の戦いで西軍でありながら東軍に通じていたため、裏切り者扱いされていたが、吉川広嘉は世間からの視線に負けることなく橋を完成させるべく苦心する姿が描かれている。
焼いて膨らんだ餅をヒントに完成させたのが今も残るアーチ橋の「錦帯橋」である。

第14話『想い侘びお初』
信長の妹「お市」の娘である「浅井初」。母からの教えを守り乱世を生き抜いていた。
フォト
最期に収録された話は浅井三姉妹の次女であるお初。長女の「茶々」と三女の「お江」と比べたら影が薄い印象があるが、大阪の陣では和睦交渉を務め、秀忠に嫁いだお江の愚痴を聞き、姉と妹の相談相手を担っている。

お市の教えというのが「愛を裏切ってはならぬ」というもの。お市は浅井長政に男子が生まれないことで文句を言われ、それを恨んで信長に長政の裏切りを伝えていた。浅井夫婦は仲が良好に描かれることが多い中、この描き方は新鮮に感じる。

その言葉を守ってきたお初は「京極高次」に嫁いでいたが、子供には恵まれずそんな自身をお初は自虐する。だが、高次も自分が武将としては役立たずとぶっちゃけて初に出会えて良かったと誇る辺り、妻の七光りから蛍大名とあだ名される高次でもお初と共に過ごせたのは幸せだったと言える。
茶々は大阪の陣で命を落とし、お江も息子の将軍後継の座を巡ってひと悶着あった訳だし、姉や妹と違って地味かもしれないが穏やかな人生を贈れたのはお初が母の教えを守ったからと思わせる内容。


各話の主役の中には武将や大名もいるが、江戸時代の画家、戯作者にもフォーカスを当てていて、たいてい漫画の主役にはならない人物を掘り下げているのがポイント高い。
作中でズッコケるシーンもあり、『風雲児たち』の影響を受けている節があるが、作者が島津重豪主役の『識りたがり重豪』を発表したのも、このシリーズを描いていたのが下地になっていたと感じる。タイトル名も、紹介する人物名の前にその人物を表す言葉が付けられているので。
巻末には各話の解説とギャグの注釈が収録されていて、これも『風雲児たち』オマージュだよな。

6 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年02月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
2526272829