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2024年01月30日14:40

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機動戦士ガンダムSEED FREEDOM

見てきましたよと久々の記事を書く次第。

一言でまとめますと、
20年前SEEDに脳を焼かれた私が、再び同じ炎に焼かれた気分です。

あと、SEED完結編的な印象をもっていましたが、厳密にはDestinyの続編というのが正しい。
そう、正しく、正統続編。

リアタイ視聴していた身ですが、それでも最低のガンダム作品としてDestinyが挙げられるのはまったく異論はないのです。
しかし、今作SEEDFreedomには、その過去の最低評価すら覆すほどのスペックを感じざるを得ません。当時青春真っただ中だった私たちが夢見たガンダムSEED Destinyがここにあります。

INVOKEから始まりあんなに一緒だったのにで終わるあの至福の30分間、いや、Realizeで始まりFIND THE WAYで終わるあの30分間でも良いのですが、とにかく、当時一瞬でもあの熱にあてられた人はぜひ見て欲しい作品ですし、むしろ内容的に当然ですが当時の期待故にDestinyアンチになってしまった人も是非見るべき作品です。おそらくそのアンチの原因の何割かが解決することでしょう。

さて、ここからは内容のお話をします。

ネタばれPVで出ているシーンではありますが。

「必要だから愛するのではありません。
 愛しているから必要なのです」

このセリフがもう作品のすべてなんですが、おそらく、最初(SEED時)はラクスもキラを必要としていただけだったんじゃないかなと。
フリーダムという力を授ける存在でしかなかったのではなかろうか。
だから、必要とする/されることは本来とても尊ばれる事象であることは疑いがありません。そのため、必要とされる人間が必要とされる場所で生きるデスティニープランは大きな意味では有意義であろうと思います。
しかし、人間には意思があります。
誰もが誰かに必要とされる社会ならば、そこには他人を尊重する愛=必要とされる/されない権利=自由こそ、より必要なのです。
だからこそ、タイトルがガンダムSEED Freedomなのだなぁと。

そんなことを考えた次第。

いやほんと、細かく見ていくと突っ込みどころがたくさんある映画なのは間違いないのですが、シナリオの勢いと、あと神曲たちとで押し切って、でも受け継いできたテーマはしっかり描くという―−これこそ、思春期の私をオタクの沼に沈めた作品であると、今は胸を張って言えます。
20年前にやれよ!!ってのはその通りなんですが、まあ、今となっては20年あったからこそここまでのお祭り映画として完成できたのだと思っております。
ただただ、感謝を。


――――まあ、冷静に思い返してみると、薄い本のネタになりそうな場面ばかりだな!!とは思います。
令和の時代に来るか?再びSEED同人の波が…!
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