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2024年01月05日18:39

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【訃報】写真家の篠山紀信さん急死 83歳

篠山紀信さん急死、83歳 宮沢りえ、樋口可南子でヘアヌードブーム テーマ多様さ群抜く巨匠
2024年01月05日 05:01 日刊スポーツ



1960年代から第一線を走り続けた写真家の篠山紀信さんが4日、都内の病院で亡くなったことが分かった。83歳だった。

樋口可南子を撮影した91年の写真集「water fruit」で、それまでに日本では禁じ手とされていたヘアヌードを解禁。同年の「Santa Fe」は、当時18歳で人気が頂点にあった宮沢りえのフルヌードが話題となり、155万部のヒットと日本を席巻。一方で歌舞伎俳優から都市、建築と撮影テーマの多様さでも群を抜いた巨匠だった。

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複数の芸術、芸能関係者の話によると、篠山さんは4日、容体が急変し、都内の病院に救急搬送され、亡くなったという。死因は明らかになっていないが、持病を抱えており、昨年末の少し前あたりから不調だったという。体調を崩すまでは、元気だったという。

篠山さんは、1940年(昭15)に都内の真言宗豊山派円照寺の住職・篠山明信さんの次男として生まれた。59年に日大芸術学部写真学科に入学し、在学中の61年に第1回APA賞を受賞。68年からはフリーで活動を開始し、75年に雑誌「GORO」で山口百恵さんを撮影したことから端を発したシリーズ「激写」は、無名のモデルから人気芸能人まで撮影し人気に。79年には「激写」した元歌手の南沙織さんと結婚したことも話題を呼んだ。


80年から始まった「週刊朝日」の女子大生表紙シリーズでは、宮崎美子、真野あずさ、河野景子、大塚寧々、栗尾美恵子、小島奈津子、下平さやか、高田万由子、進藤晶子、膳場貴子、乾貴美子ら後に時代のトップランナーとなる若い才能を美しさと共に世に送り出した。

平成に入った91年3月、篠山さんは「water fruit」でヘアヌードを解禁。9月には本木雅弘の「white room」も発表。同11月に出版した「Santa Fe」では、宮沢のヌード写真が一般紙の全面広告として掲載されるなどし、ヘアヌードが一気に社会現象となった。篠山さんは19年に日刊スポーツの取材に応じた際「ヌードって隠れて見るものだったのにね。偏見を国民的に覆した本かもしれない。僕はヘアヌードなんて1度も言ってない。世の中がジャンルを作っちゃった」と語っている。

表現の限界に挑む中、世間を騒がせたこともあった。08年に都内の青山霊園などで墓石の上で女性モデルが股間を広げた状態でヌードを撮影したとして、礼拝所不敬と公然わいせつ罪で10年に略式起訴された。1874年(明7)の同霊園開設以来、初のヌード撮影に批判も受けたが「純粋に作品を創り上げようとする行為は表現者としての自由の範囲内。教訓として受け止めた上でさらなる新しい表現に果敢に挑んでいきたい」と語った。

20年には映像作品「イル・ノワール」が都内の映画館で上映され「監督、撮影、篠山紀信と書かれるのは初めて。とにかく感動している」と感激した。22年10月には、8代目市川新之助が初舞台を踏む際の演目のビジュアルを撮影するなど、近年まで活動を続けた。

◆篠山紀信(しのやま・きしん)1940年(昭15)12月3日、東京都生まれ。59年に日大芸術学部写真学科入学。在学中の61年に広告制作会社入社、第1回APA賞受賞。68年からフリー。70年代に山口百恵さんらのグラビアを撮影し「激写」は流行語に。80年にジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケットを撮影した。91年には樋口可南子、宮沢りえのヘアヌード写真集を発表。妻は元歌手の南沙織さん。次男はタレント篠山輝信。
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宮沢りえが先だと思ったら、樋口可南子の方が先だったのか。
ビートルズとかは疎いので、
「"ダブル・ファンタジー"のジャケ写」と言われても「?」だったけど、
画像を見たら「あぁ、あの写真か」と思った。
ご冥福をお祈りします。
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