皆さま、あけましておめでとうございます。
遠出もしない日本人の典型的な過ごし方をした年越しでした。
年末は28日で仕事は終わりました。転職先の会社は31日までの勤務者もいますが、私の職場は早めに休みに入れ幸せです。
年末は地元スーパーを巡って買い物。正月用品と言えば格好いいですが、年始が休みになるスーパーの見切り品目当て。インスタントラーメンやレトルトカレーの詰合せ商品もついでに購入。
あとは、31日夕方にあまり顔を出さなくなっていた銭湯へ。女将さん、常連客がそれぞれ心配してくれていたそう。「忘れられない程度には通わないといけないですね」が年末のあいさつになりました。
その後は、「紅白歌合戦」、年明けは「ゆく年くる年」を見て新年を迎えるという、昭和の正当な年末光景でした。
深夜番組で夜更かしをしたはずですが、1日は朝早く目が覚め、何十年ぶりかで初日の出を見ることができました。
元旦も年末同様、ほぼ寝正月のような過ごし方をするつもりが、午後4時過ぎに能登半島の震度7の地震発生。こちらは震度4でしたが、外にいたせいか街全体の建物が相当揺れる模様を見ていました。
自宅は無事でしたので、次は職場が気になり、機械警備の管制センターに連絡し、警備解除して2時間近くかけて点検作業。震度7でも耐えられる建物のはずなので異常はない模様でしたが、仕事始めまで気を揉むよりはよかったと思います。
2日は、JAL機と海保機の事故、3日は北九州の飲食店街で大規模火災と波乱の幕開けの2024年です。ホテルニュージャパンの火災と羽田空港で着陸機機長がエンジンを逆噴射させた墜落事故が2日続けて起きた年を思い出しました。調べたら1982年のことでした。
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