「井伊の赤鬼」と恐れられた直政は実は名将ではなかった
https://gunosy.com/articles/eP18m
・家康に仕えた直政は、側近として非常に優秀だった
・家康としては直政を城主や大名などの、さらなる重職に付けたかった。
・しかし、当時は軍功なしで重職につけるのは難しかった
・そこで家康は、直政に武田旧臣の指揮権を与えたり、戦に長けた寄騎を付属させたり、武勇に長けた譜代と縁組させるなどして、何とか軍功を挙げられるようにお膳立てした。
・直政の采配は決して巧みとは言えなかったが、それを補うかのように果敢ではあったし、なにより家康から与えられた戦力が強力だったため、武名を挙げることができた。
まぁ「関ヶ原で死兵と化した島津を追撃して、反撃を食らって重傷を負い、それが元で死亡」というのも、傍目にはムダなことに見えても、本人的には必要なことだったんだろうなと。
思い出されるのは信長家臣団の万見仙千代こと万見重元。優秀な側近として信長から寵愛を受け、さらなるキャリアアップへの第一歩として本願寺攻めで部隊指揮を任されるが、そこでアッサリ戦死してしまった みたいな人。もし生き残って人並み程度の武功さえ示していれば、直政のように要地を与えられて、外様への監視役のような役割を果たしたのではないかなと。
万見重元と井伊直政、どこで差がついたのか。もちろん運もあるのだろうけれど、「これくらい当然やってみせろ」とばかりに戦場に放り出した信長と、「余人には代えがたい」とやや過保護なくらい手厚いサポートを付けた家康という 上司の育成へのスタンスの差ではないかなと。
ログインしてコメントを確認・投稿する