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2023年11月02日20:54

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上賀茂神社(紅葉の季節に)

上賀茂神社に紅葉を訪ねる


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都名所図会(上加茂社)巻之六(都名所図会 上加茂社)

 昨日、いい天気だったので、リハビリが終わった午後、そのまま植物園へ。パートナーが昨日の朝日の朝刊の綺麗な紅葉の写真を見せて、「府立植物園の池に紅葉が映ってとても綺麗らしいよ。行ってきたら?」と言うので、30分ほど歩いて植物園の北門へ。

 そしたらなんと「臨時休業」の札がぶら下げてあるじゃありませんか!しかも、昨日から3日間連ちゃんでお休み!朝日新聞も朝日新聞だ、3日連続で臨時休業する植物園の紅葉が綺麗ななんて誘うような写真をでかでかその休業の日に載せるなんて!と思ったけれど、あとでケータイでデジタル版をみると、少なくとも「27日は休園」と断ってありました。それにしても掲載のタイミングが悪すぎない?
 
 それに、植物園も植物園。この紅葉も最後の見ごろという季節に3日連ちゃんで休むなんて!どうもその前の金、土、日と3日連続で、秋のイベントみたいな催しをやっていたみたいだから、公務員さんのことだから職員で慰安旅行でも行ったんじゃないの?なんて勘ぐりたくもなったけれど、どうも電気系統の故障だか不具合だとかちらっと書いてありました。滅多に来ないのに、まだ多少は不自由な体を押して紅葉を見に来ればこれだからがっかり。

 そこで、どこか近くで紅葉が見られないかな、と思って思いついたのが上賀茂神社(やっと出ました)。植物園から鴨川沿いにえんえんとこんな道を北へ歩きました。いい散歩道でしたが・・・

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 これは川の西側のバスも通る道。河川敷がいい散歩道ですが、少し冷えたので、上賀茂バス停から東へ橋を渡って、東岸をさらにもう一つ下の橋まで歩きました。

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 賀茂川河畔にも一つ二つきれいな紅葉がみられました。

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 そしたら、もう上賀茂神社はすぐそば。世界遺産の碑のある大鳥居からまっすぐのびる参道を通ってもうひとつの鳥居をくぐります。
 世界文化遺産の上賀茂神社、正式には賀茂別雷神社(かものわけいかずちじんじゃ)、祀られているのは別雷神(わけいかずちのかみ)、その正体はカミナリさま。

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 第二の鳥居をくぐると、いくつかの建物が。

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 これが正面の建物。前に二つの「立砂」があり、これは神社の北の方角にある神山を象ったものだそうです。もともとは神山のほうで神事が行われていたのが、この場所に下りて神社がたてられたとか。

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 朱印の受付所などもありました。

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 これは舞殿(橋殿ともいうらしい)。立札には「往古より勅使御拝の殿舎。文久3年(1863年)造替」とありました。

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 本殿入口の朱塗りの楼閣。

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 楼閣をくぐると正面が本殿です。

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 この本殿に連なって権殿があります。一般参拝客はここでお賽銭をあげて引き返しますが、500円払うと、靴を脱いで左手の建物の小部屋に招じ入れられて、若い神職が部屋の中に懸けてある神社の縁起を描いた絵を示しながら解説とお祓いをしてくれて、そのあとこの写真の本殿の前までは入って参拝できるようになっています。
 神社の縁起として語られるのは謡曲「加茂」のもとになったこんな話です。
 加茂の里に住む秦氏の女・玉依日売(たまよりひめ)が川で水を汲んでいると(神職の解説では禊をしていると)白羽の矢(同・朱塗りの矢)が流れてきたので、それを持ち帰って軒に挿していた(同・枕元に挿して祀っていた)ところが懐妊して、男の子を生みます。その子が3歳になったとき(同・元服の儀式のときに)、自分の父が天にある雷であると告げて(知って)天にのぼり、別雷神となったといいます。
 京都でも最も古い神社の一つとされ、雷神がご祭神なので、厄除け、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めて来たそうです。また、平安時代初期から400年にわたり、伊勢神宮の斎宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきたと解説にありました。葵祭のときはその斎王代列等500名、長さ800mに及ぶ行列がみな葵の葉をつけて下鴨神社からこの上賀茂神社へと進みます。いまから1400年も前、欽明天皇のときに始められた神事のようです。 

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 境内にはそう多くはないけれど、紅葉した楓が風情をそえています。

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 いまこの神社は第42回式年遷宮の第二期事業として、重要文化財の楼門など境内建造物の檜皮屋根の葺替工事などを順次進めていて、この工事には50トンもの檜皮が必要だとかで、参拝者に檜皮を2000円で購入してほしいと呼びかけています。神職の説明では檜皮葺替えに10億円もの経費がかかるのだとか。その工事の模様を一部垣間見せてくれるのも先の500円の特別展観のうちで、現場へいくと、葉加瀬太郎さんや宮本亜門さんの署名が入った(つまり寄付をされた)檜皮が飾ってありました。申し訳ないけど、私は無収入・年金暮らしの身ゆえ、特別拝観の500円とお賽銭二か所200円ほどでご容赦いただきました (^^;

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 本殿の脇に縁結びの社という「片岡社」があります。上賀茂神社の境内には24社もの摂末社があるそうですが、その中でも第一摂社に定められている片山御子神社というのだそうで、別雷神の母神である玉依比売命をお祀りしてあるそうです。この神は、恋愛成就、子授け、安産の神様だそうです。

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 この片岡社には紫式部もたびたび参拝して、歌を詠んでいるそうです。

 賀茂にまうでて侍りけるに、人の、ほととぎす鳴かなむと申しけるあけぼの、片岡の梢おかしく見え侍れば
    ほととぎす 声まつほどは 片岡の 
          もりのしづくに 立ちやぬれまし
                     (『新古今和歌集』巻第三 夏歌)

 (ホトトギス〜将来の結婚相手〜の声を待っている間は、この片岡の社の梢の下に立って、朝露の雫に濡れていましょう)

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 上賀茂はすぐきの産地。来る途中も堤の東側の農家でたくさんのカブラを積み上げて、漬けている風景が垣間見られました。境内にもその「すぐきの天秤押し」がしつらえてあって、解説もされていました。

 「11月になると上賀茂の農家で上賀茂神社と関係の深いすぐきの漬け込みが始まります。一晩荒漬けされたすぐきは、水でていねいに洗われた後、四斗樽の底から1段ずつたっぷり塩をかけて、この地特有の”天秤押し”で渦巻き状に漬け込まれます。この”天秤押し”は、長さ3〜4メートルの丸太ン棒の先に重石をくくりつけテコの原理を応用して相当な圧力をかけています(400kg〜500kg)。また、農家の軒先に天秤棒が横一列に並ぶ姿は、上賀茂の冬の風物詩として親しまれています。」(JA京都市上賀茂支部の解説「すぐきの天秤押し」)

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 すぐきの樽の奉納品だったでしょうか。

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 境内に流れる川は「ならの小川」。小倉百人一首で詠まれた歌はこの川だったんですね。

 風そよぐならの小川の夕ぐれは
   みそぎぞ夏のしるしなりける       
               (藤原家隆)

 平安時代に神職がみそぎを修していた情景を詠んだものだそうです。立札の解説によれば、この辺りを「ならの小川」と言ったのだそうです。

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 境内ではここが一番きれいな紅葉が見られました。

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 都心から離れているので、人もそう多くはありませんでした。

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 やっぱり若い女性がいたりすると絵になって、しばらく目の保養をさせてもらいました(笑)。

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 帰宅してパートナーに話したら、彼女は息子たちをつれて一度、二度、来たことがあり、この「ならの小川」で遊ばせたそうです。夏など、幼い子がはいって遊ぶにはちょうどいい浅い流れですね。

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 午後四時前もう日が落ちて

           blog 2018-11-29


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