っていう場合、まあ世の中のルールを変えたいって意味なんだと思います。ルール自体を無くすってのも含めて。結局ルールをどうするかって話。
なら一番確実な方法はそのルールを決める一員になること。それが無理なら自分の意思を実現してくれる人をルールを決める一員の中につくること。一員っても木っ端じゃダメですよね。まあ、木っ端でも良いんだけどのちのちルールを決める集団のリーダー格になりえるかリーダー格と同意思を持つ人か。
少数派の木っ端で何をがなったってまあ無意味でしょう。
ましてやそのルールを決める一員にすらならず外野でいくら騒いでもそれは無理無理w
てことでいわゆる左側の人。
デモとかストとかツイッターつぶやきとかしてないで、与党議員になって大臣にでもなればサクっとルール変更できるんじゃないの?
自分で成るのが無理なら同志集めて候補者立てて当選させて(当選させることができるくらい同志集めて)その議員を与党入りさせて大臣になるまでバックアップしたらええんじゃないの?
民主主義ってなんだ!YO!YO!って集団で踊ってもビタ1ミリルールは変わらんよ。
って話を左寄りの人と話たんだけど、結局「自分以外はバカばっかりだから世の中の矛盾に気づいていない」論から抜け出せないみたいです。だから同志集めるの無理なんだって。
じゃあストやYO!YO!で変わるのか。
「変わらないかもしれないけどそれができることなんでやるべき」らしいです。
「いや、変わらないんじゃ無意味でしょ。目的達成できないでしょ?それとも目的達成は二の次三の次で「やる事」が目的なの?だったら変わろうが変わらまいが関係ないからそれはできることをやるべきでしょうね」と言うと
「いや、変わる」だって。
じゃあ最初から「変わらないかもしれないけど」とか言うなよwww
「YO!YO!と言ってたら集団的自衛権の行使容認も廃案にできる!」と言い切れよと言いましたが「それは極論!」だって。
結果に関係なくできることをやる???
結果がでることをやったほうがええんちゃうのw
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