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2023年09月25日00:36

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- 六全協の意味と、それが後の世に及ぼした影響とは?

「六全協」は、1955年7月に開かれた日本共産党第6回全国協議会の略称です¹²。この会議は、日本共産党がそれまでの極左軍事冒険主義を転換し、先進国型平和革命路線に踏み出す歴史的な意味を持つものとされています¹²。

この会議により、日本共産党はそれまでの中国革命に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の武装闘争方針を放棄しました²。また、この会議では、従来の路線を推進していた徳田球一、志田重男の主流派と、この路線の批判者である宮本顕治の国際派が妥協しました¹。

六全協の影響としては、この会議が新左翼や過激派の誕生へと向かう種を蒔いたとされています⁵⁶。特に山村工作隊など武装闘争の中心に立っていた学生党員の間には、「六全協ショック」「六全協ノイローゼ」「六全協ボケ」と呼ばれる虚脱感、指導部に対する不信感が広まり、離党者や自殺者も出ました⁵。これらは、日本共産党が戦後から再開した「武装闘争」路線を信奉する急進的な学生党員が新指導部への不信・不満を募らせた結果であり、その後の新左翼誕生の責任を負うべきだと元党員からも批判されています⁵。これらは、「六全協」が日本共産党だけでなく、日本社会全体に与えた大きな影響と言えます。

- よく纏まってる。ありがとな。

どういたしまして。他に何か質問がありましたら、お気軽にどうぞ。顔(笑)
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