-「されど我らが日々」と「青春の墓標」(1965)の概要
「されど我らが日々」は、柴田翔の中編小説で、1960年の学生運動を背景とした青春小説です¹。この作品は1964年に文芸春秋新社より出版され、同年上半期の第51回芥川龍之介賞を受賞しました¹。物語は、日本共産党が武装闘争の方針を撤回した1955年の第6回全国協議会(六全協)前後の東京大学を舞台に、デモ活動から逃げ出してきた経験を持つ男性や学生運動の挫折後に主婦として生きることに疑問を持つ女性などの様子を描いています¹。
一方、「青春の墓標」は、奥浩平が自殺した後に出版された遺稿集で、彼が学生運動に参加し、その中で経験した苦悩や恋愛などを描いています⁶⁷。この作品は、彼が異なる党派に所属することで引き裂かれていく愛情と信念の間で揺れ動く様子を描いています⁷。奥浩平は大学入学後にマルクス主義学生同盟(中核派)の活動家となり、その後自ら命を絶ちました⁶⁷。
Memo:
これらは、古風な言い回しをすれば「運動に主体的に関わった者達」、今風に云えばインサイダーによる、ある種の「証言」である。
「されど我らが日々」
六全協がもたらした思想的混乱を背景とする当時のサヨク達の懊悩呻吟を、一活動家の観点から小説の形で総括したもの。1964年の芥川賞受賞作で、純文学作品は概ねつまらんのだけど、これは、いまだに文庫版で売れ続けている。
青春の墓標(1965)
六全協後に組織された共産主義者同盟が60年安保で敗北した後、性懲りもなく革命的共産主義者同盟!というものが出来た。この同盟が、更にに革マルと中核へ分裂しつつある時期、革マルを選んだ恋人との決別を苦に病んで自ら命を絶った(余人の憶測)中核派の青年が居まして、「青春の墓標」は彼がつづった日記。
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