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2023年09月15日12:02

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俺の愛したちあき・なおみ

テレ東、ジャニーズに申し入れ 成果確認できるまで「新規の出演依頼は極めて慎重に判断する方針」【全文】
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=7562380
石原プロの連続ドラマ「大都会 闘いの日々」のなかに「俺の愛したちあき・なおみ」という傑出した回がある。
別に封印作品になっているわけではなく、今でも配信されているはずだ。
傷つきながら組織暴力と戦う刑事黒岩(渡哲也)と見守る新聞記者(石原裕次郎)の枠物語のなかに様々な事件が描かれるというごくありふれた刑事ドラマなのだが、倉本聰脚本のこの回は、「六羽のかもめ」などにおける「テレビとは何か」というメタの関心が正面切って描かれているところが特に興味深い。
北海道から上京して歌手を目指す少女(高橋洋子)が「みんなそうしている」というレコード会社の差し金でさる有力な作曲家と性関係を強要される。
いろいろあって、仲介者である暴力団の男を彼女は刺殺するのだが、そのことを秘してテレビの「人間ドキュメント」風番組で真相を告白しようとするという、まあそういう話である。
蜷川幸雄がその番組のディレクター役で大変いい味を出している。
蜷川さんは軽薄なインテリ役の俳優としてはまことに得難い存在で、のちに大演出家となって俳優を引退したのは大変惜しまれる。
(六羽のかもめでは芸能事務所やレコード会社からプレゼントをもらいまくっている「労働組合員のテレビディレクター」を好演している)
思わぬ殺人の告白に現場は右往左往し、上からの指示で音声が切られようとするときに「このまま流せ!これこそがドキュメントじゃないか」と抵抗する蜷川ディレクターは説得力があり、いい場面だったと思う。
自分好みの少年を集めるために野球チームを作り、さらに芸能事務所まで立ち上げたのは相当のことだが、テレビ局のプロデューサーや地下アイドルの運営の中には日々のセクハラが目的を仕事をしているような手合いが例外的な存在でなかったし、現在進行中の歴史でもあるということを考え直す意味はあるだろう。
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