気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」 (cool beauty) と賛美された。人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し、女優業から引退した。>
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曖昧さ回避 この項目では、アメリカ映画について説明しています。雑誌については「裏窓 (雑誌)」をご覧ください。
裏窓
Rear Window
監督 アルフレッド・ヒッチコック
脚本 ジョン・マイケル・ヘイズ(英語版)
原作 コーネル・ウールリッチ
製作 アルフレッド・ヒッチコック
出演者 ジェームズ・ステュアート
グレース・ケリー
音楽 フランツ・ワックスマン
撮影 ロバート・バークス(英語版)
編集 ジョージ・タマシーニ(英語版)
製作会社 Patron Inc.
配給 パラマウント映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1954年8月1日
日本の旗 1955年1月14日
上映時間 112分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $1,000,000
配給収入 世界の旗 $37,034,514[1]
日本の旗 1億4219万円[2]
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『裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年のアメリカ合衆国のサスペンス映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はジェームズ・ステュアートとグレース・ケリーなど。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)による同名の短編小説(原題は『It Had to Be Murder』)を原作とし、事故で車椅子生活を送る男がアパートの部屋の裏窓から目撃した事件の顛末を描いている。現在、パブリックドメインとなっている。AFIが選出した「アメリカ映画ベスト100」では42位にランクインした。
ストーリー
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権を侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2021年2月)(使い方)
カメラマンのジェフ(ジェームズ・スチュワート)は事故で足を骨折し、マンハッタンのグリニッジヴィレッジのアパートで車椅子生活を余儀なくされている。そんな彼にできる楽しみは、カメラの望遠レンズを使って中庭の向こうに見える他のアパートの住人達の人間模様を観察することであった。
ある日、いつも口喧嘩が絶えなかった中年男(レイモンド・バー)の妻が突如として姿を消す。男の怪しい挙動を観察していたジェフは殺人事件と確信するが、友人のドイル刑事には取り合ってもらえず、恋人のリザ(グレース・ケリー)、通いの看護師のステラ(セルマ・リッター)と共に調査に当たる。
外出することのできないジェフに代わってリザが証拠を探ろうと動くが、彼女は無謀にも男の部屋に侵入し、それがもとで男はジェフが自分の犯行を知っていることを悟ってしまう。
ジェフを殺そうと男が部屋にやってくるがすんでのところで逮捕され、ジェフとリザには平和な日々が戻ってきたのだった。
キャスト
役名 俳優 日本語吹替
テレビ朝日版 BD版 機内上映版
L・B・ジェフリーズ ジェームズ・スチュアート 小川真司
リザ・フレモント グレース・ケリー 武藤礼子 日野由利加 鈴木弘子[3]
トーマス・J・ドイル刑事 ウェンデル・コーリイ(英語版) 横内正 野島昭生
ステラ セルマ・リッター 初井言榮 谷育子
ラーズ・ソーワルド レイモンド・バー 富田耕生 大川透
ロンリーハート夫人 ジュディス・イヴリン(英語版) 翠準子
ソングライター ロス・バグダサリアン(英語版) 玄田哲章
ミス・トルソ ジョージン・ダーシー(英語版) 土井美加 御沓優子
犬を飼う夫人 サラ・ベルナー(英語版) 佳川紘子
犬を飼う夫人の夫 フランク・キャディ(英語版)
ヒアリングエイド夫人 ジェスリン・ファックス(英語版) 京田尚子
新婚夫婦 ランド・ハーパー 大塚芳忠
ハヴィス・ダヴェンポート 榊原良子
ソーワルド夫人 アイリーン・ウィンストン 前田敏子 最所美咲
カール ラルフ・スマイリー 秋元羊介 板取政明
ガニソン編集長 ギグ・ヤング[4] 池田勝
不明
その他 N/A 緒方賢一
高瀬淑子
島香裕 真矢野靖人
及川ナオキ
宮沢きよこ
西村太佑
演出 山田悦司 市来満
翻訳 額田やえ子 植田尚子
録音
調整 東上別府精
飯塚秀保 小出善司
青木臨
効果 PAG
プロデューサー 猪谷敬二
制作 グロービジョン 映画公論社
初回放送
発売日 1986年10月19日
『日曜洋画劇場』
21:02-23:09 2012年11月2日 1984年
JALにて上映[5]
作品の評価
映画批評家によるレビュー
Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した。」であり、76件の評論のうち高評価は99%にあたる75件で、平均点は10点満点中9.2点となっている[6]。 Metacriticによれば、18件の評論の全てが高評価で平均点は100点満点となっている[7]。
受賞歴
賞 部門 対象者 結果
第27回アカデミー賞 監督賞 アルフレッド・ヒッチコック ノミネート
脚色賞 ジョン・マイケル・ヘイズ(英語版)
撮影賞(カラー部門) ロバート・バークス(英語版)
録音賞 ローレン・L・ライダー
第20回ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 グレース・ケリー 受賞※
※『喝采』『ダイヤルMを廻せ!』の演技と合わせての受賞。
メモ
ジェームズ・ステュアート、グレース・ケリー
劇中、ほぼ全編にわたってカメラはジェフの部屋から出ない[注 1]。舞台劇のように場所を限定したサスペンス映画は、『救命艇』や『ロープ』でもヒッチコックが挑戦したテーマである。必ずしも成功したとはいえなかった前2作での反省を踏まえ、全編にわたって緊張感の持続する上質なサスペンスに仕上がっている。
主人公ジェフが窓から落下する場面はスタントマンを使わずスチュアート本人が演じているが、本当に落下した訳ではなく、ブルーマスク合成を利用した特殊撮影である。この撮影法は後年の『めまい』でも使われた。
本作は主人公とその部屋の窓から見えるアパートの住人たちの生活風景を全員が一斉に演じ、一連の流れの中での撮影が要求されたため、実在のアパートを借りてロケーションするのではなく「全編スタジオセット撮影」という方法が採用された。したがって窓の外にひろがる隣近所のアパート群との距離、見える角度、車道を通過する自動車の種類、台数、タイミングなど、全てが完璧に計算されたものとなっており、ヒッチコック作品の中でも特に作り込みの細かい作品である。
作中ではジェフが住むアパートの住所はニューヨーク市グリニッジヴィレッジの西9丁目125番地とされているが、西9丁目に125番地は存在しない。上述の通りスタジオに再現された中庭は、クリストファー通り125番地他の裏に広がる中庭(クリストファー通り、ハドソン通り、西10丁目に囲まれている)をベースにしたもので、実際の中庭の景観は今も殆ど変わっていない。
ヒッチコックの他の作品と同様のパターンが随所に見て取れる。
ブロンドの活動的なヒロイン
体制側の無理解(この作品でも刑事はラストシーンまで殆ど手助けをしてくれない)
コメディ・リリーフとなる老婦人(ここではリッター演じるステラ)
最後のアクションの前にマクガフィン(ここでは女性が消えた理由)を明らかにしてアクションに観客を集中させる構成 …など
アイリッシュによれば、著作権料として支払われたのはわずかに600ドルだったとのこと。ただしアイリッシュはその額よりも、ヒッチコックが自分の住所を知っているはずなのに映画の招待券を送ってこなかったと不満を漏らしている。
主人公が身に付けている腕時計はTISSOTである。
ヒッチコックの出演シーン
隣のアパート最上階の作曲家の部屋に登場。ピアノの横で時計のネジを巻いている。
「アルフレッド・ヒッチコックのカメオ出演一覧」も参照
リメイク
裏窓
Rear Window
ジャンル 犯罪
サスペンス
原作 コーネル・ウールリッチ
脚本 ラリー・グロス(英語版)
エリック・オーヴァーマイヤー(英語版)
監督 ジェフ・ブレックナー(英語版)
出演者 クリストファー・リーヴ
ダリル・ハンナ
音楽 デヴィッド・シャイア
国・地域 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
各話の長さ 89分
製作
製作総指揮 スティーヴン・ハフト
デヴィッド・V・ピッカー(英語版)
ロバート・ハルミ(英語版)
クリストファー・リーヴ
撮影監督 ケン・ケルシュ
編集 ジェフリー・ローランド
製作 カンブリア・プロダクションズ(英語版)
ハフト・エンターテインメント
ホールマーク・エンターテインメント(英語版)
放送
放送チャンネル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ABC
放送期間 1998年11月22日
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『裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1998年に放送されたアメリカ合衆国のテレビ映画。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)の短編小説を原作とした1954年のアメリカ映画『裏窓』のリメイク作品である。
概要
1995年の落馬事故によって半身不随となったクリストファー・リーヴの俳優復帰作である。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『裏窓』の主人公が足を骨折したカメラマンであるのに対し、リーヴ演じる本作の主人公は事故によって四肢麻痺となった建築家と設定されている。主人公がリハビリテーションに取り組む場面はリーヴの実体験に基づいている。
撮影はニューヨーク州ホワイト・プレインズのバーク・リハビリテーション・センターや、ニューヨーク州ヨンカーズにあるオーチス・エレベータ・カンパニー社の倉庫などで行われた。
キャスト
ジェイソン・ケンプ:クリストファー・リーヴ
クラウディア・ヘンダーソン:ダリル・ハンナ
チャーリー・ムーア刑事:ロバート・フォスター
アントニオ・フレデリックス:ルーベン・サンチャゴ=ハドソン
リーラ・ケンプ:アン・トゥーミー(英語版)
ジュリアン・ソープ:リッチー・コスター(英語版)
アイリーン・ソープ / アイリーンの妹:アリソン・マッキー
評価
エンターテインメント・ウィークリーのケン・タッカーは、「ジェイソンの酸素供給チューブが切断される場面では、リーヴが実人生で悲劇に見舞われているという背景によって真の恐怖がもたらされた。リーヴの演技は緩慢でぎこちないとはいえ、本作の問題点はリーヴの演技にあるのではない。エリック・オーヴァーマイヤー(英語版)とラリー・グロス(英語版)が台本を担当するテレビドラマにはしばしば混乱させられる。本作の制作陣は、オリジナル版でセルマ・リッターが演じたような精力的でクセのある脇役を用意すべきだったろう」と批評した[8]。
受賞歴
賞 部門 対象者 結果
ゴールデングローブ賞 男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門) クリストファー・リーヴ ノミネート
プライムタイム・エミー賞 音楽賞(作曲賞リミテッドシリーズ/テレビ映画/スペシャル部門) デヴィッド・シャイア ノミネート
全米映画俳優組合賞 男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門) クリストファー・リーヴ 受賞
エドガー賞 テレビ映画・ミニシリーズ部門 ラリー・グロス(英語版) ノミネート
エリック・オーヴァーマイヤー(英語版) ノミネート
コーネル・ウールリッチ ノミネート
舞台
2015年10月22日から、アメリカコネチカット州のハートフォード・ステージにて、舞台化作品が上演された。キース・レディンが脚色を担当。主演のケビン・ベーコンはスチュワートの演じた役を務める[9]。
相手役はメリンダ・ペイジ・ハミルトンが務める。役名はグロリアに変更され、映画版でグレース・ケリーが演じたリザ役にあたる[10]。
脚注
注釈
^ 終盤、ジェフが窓から落下したあとに短時間のみ屋外でのシーンがある。
出典
^ “Rear Window” (英語). Box Office Mojo. 2021年2月3日閲覧。
^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)121頁。
^ “鈴木 弘子 -主な出演作品-”. 賢プロダクション. 2022年6月28日閲覧。
^ クレジットなし
^ 淀川長治 (1984年8月号). “映画解説 今月のプログラムから”. 機内誌 WINDS (JAL): 116.
^ “Rear Window (1954)” (英語). Rotten Tomatoes. 2021年2月3日閲覧。
^ “Rear Window Reviews” (英語). Metacritic. 2021年2月3日閲覧。
^ Tucker, Ken (1998年11月20日). “Rear Window Review | TV Reviews and News” (英語). Entertainment Weekly. オリジナルの2012年6月14日時点におけるアーカイブ。 2021年2月3日閲覧。
^ “ヒッチコック監督「裏窓」が舞台化!主演はケビン・ベーコン”. 映画.com. (2015年8月28日) 2015年8月28日閲覧。
^ “ケヴィン・ベーコン主演の舞台版「裏窓」ヒロイン決定”. シネマトゥデイ. (2015年10月5日) 2015年10月5日閲覧。
関連項目
エキザクタ・ヴァレックスIIa - ジェフの使用していたドイツ製のカメラ。(東)ドイツ製。レンズはKilfittの400mm、F値5.6です。黒のマスキングテープでメーカー名を覆っている。
「裏窓」殺人事件 車椅子の少女が覗く夜の密室 - 本作をモチーフにしたサスペンスドラマ。「土曜ワイド劇場」にて放送。出演:水谷豊、渋谷琴乃。放送日:1993年4月24日。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、裏窓に関連するカテゴリがあります。
英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
Rear Window
裏窓 - allcinema
裏窓 - KINENOTE
Rear Window - オールムービー(英語)
Rear Window - IMDb(英語)
Rear Window - Rotten Tomatoes(英語)
Rear Window - TCM Movie Database(英語)
Rear Window - Box Office Mojo(英語)
"Rear Window" アメリカ国立フィルム登録簿
Rear Window - American Film Institute Catalog(英語)
Detailed review - Filmsite.org
表話編歴
アルフレッド・ヒッチコック
典拠管理 ウィキデータを編集
カテゴリ: 1954年の映画アメリカ合衆国のミステリ映画アメリカ合衆国のサイコスリラー映画アルフレッド・ヒッチコックの監督映画フランツ・ワックスマンの作曲映画パラマウント映画の作品覗き見を題材とした映画作品アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品ウィリアム・アイリッシュ原作の映画作品マンハッタンを舞台とした映画作品グレース・ケリー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%8F%E7%AA%93
グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日 - 1982年9月14日)は、モナコ公国の公妃。元アメリカ合衆国の女優。
同時代に活躍した女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」 (cool beauty) と賛美された。人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し、女優業から引退した。
生涯
生い立ち
1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。父ジョン・ブレンダン・ケリー(John B. Kelly, Sr.)はスラム育ちの煉瓦職人であったが、上流階級の競技であるボート競技で頭角を現し、ボート関係者の嫌がらせにもめげず、オリンピックボート競技において1920年のアントワープオリンピックで2個の金メダルを獲得し一躍国民的英雄になった。そして1924年のパリオリンピックでも金メダルを1個獲得した。その後、彼は煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者になった。母マーガレット(1898年 - 1990年)はドイツ系で元モデルであり大学講師だった。父方の叔父はピューリッツァー賞を受賞した劇作家のジョージ・ケリー(英語版)。兄は1956年のメルボルンオリンピックのオリンピックボート競技で銅メダルを獲得したジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニア(1927年 - 1985年)。
少女時代はおとなしく、人前に姿を現すのが苦手な赤い頬の子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが1番不器用であったという。その一方、ダンスやピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。
女優時代
ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見た製作者のスタンリー・クレイマーが『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。彼がグレース・ケリーを評して"Grace Kelly is a snow covered volcano"(雪に覆われた活火山)と述べた逸話はあまりにも有名。
1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。
非常に恋多き女性として有名で、ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ、ジャン=ピエール・オーモンなどの、主に自分より年長の男性と浮名を流した。父親が彼女に冷淡な癖に、異性との交際には異常なほどうるさかったことも、背景にある。
結婚・公妃として
ホワイトハウス訪問(1961年)
カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と結婚。公妃となるため女優業を引退、1956年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となった。(1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している)
挙式は、カトリックの伝統に沿い、グレースの出身地であるアメリカ合衆国で行われることも検討されたが、最終的にはモナコで行われることになった。
1956年1月5日、婚約を発表。同年4月18日、モナコ大公宮殿にて法的な結婚式が行われた(The Civil Wedding)。翌4月19日、モナコ大聖堂(サン・ニコラ大聖堂)にて、カトリック式の挙式が行われた(The Cathedral Wedding)。これらの模様は、ヨーロッパ諸国で生中継された。
結婚後は3人の子どもに恵まれ、公妃としても病院を設立したり、自身の名前を冠したバレエ学校を支援するなど精力的に活動した。
1982年9月13日、自らハンドルを握りローバー3500を運転して南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡(52歳)。この事故死を受けてモンテ・カルロでは全てのカジノの営業を一日間中止して喪に服した。
同乗していた次女のステファニー公女(当時17歳)は軽傷であり、9月26日[1]に退院した。現地報道では、一時情報が錯綜し、ステファニー公女が運転していたとも報道された[2]。
9月18日、モナコ大聖堂にて葬儀が行われ、各国の王族・要人の他、フランク・シナトラらハリウッド俳優も参列した。
子女
カロリーヌ(左)、ステファニー(中央)、アルベール(右)、夫レーニエと (1966年)
レーニエ3世との間には、一男二女がある。
カロリーヌ・ルイーズ・マルグリット(1957年 - ) - ハノーファー王子エルンスト・アウグスト5世妃
アルベール・アレクサンドル・ルイ・ピエール(1958年 - ) - モナコ大公アルベール2世
ステファニー・マリー・エリザベート(1965年 - )
逸話
バラ「プランセス・ド・モナコ」(1982年)メイヤン作。彼女に献呈されることになっていたバラ(発表前に他界)。ピンクと白の2色は、モナコの国旗をイメージしている。
1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないよう、カメラを向けられた際、エルメスの鞄「サック・ア・クロワ」で腹を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。
ポール・ギャリコの小説『トンデモネズミ大活躍』に献辞があるが、これは、彼女が初めて作った陶製のネズミの置物を題材にした作品の執筆をギャリコに依頼しており、それを受けたもの。
日本文化を愛好し、特に華道をはじめ植物に関するものが大好きで、モナコに日本庭園を造営することを希望していた。死後、レーニエ3世の指示によって、別府保男設計による本格的な日本庭園がつくられた。1994年に開園。庭園内の茶室「雅園」は、フランス語訳すると"Jardin de Grace"すなわち"グレースの庭"の意となる。
澤田廉三(元国連大使)・美喜(三菱財閥令嬢で後のエリザベス・サンダースホーム創設者)とは澤田夫妻のニューヨーク駐在時から家族ぐるみの親交があり、王妃になったのちも美喜の慈善活動を支援した。また澤田家長女恵美子は、親友として日本人ではただひとりモナコでの結婚式に招待を受け、モナコ公子出生時にはモナコ宮殿に手助けで滞在、1982年グレースの来日時には案内役を務めた。
その他
日本では「グレース王妃」の呼称が用いられることもある。しかし、レーニエ3世はモナコ大公(Prince of Monaco)であり、グレースは王妃(Queen)ではない。
出演映画
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%BC
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