空気が読めなかった織田信雄は、のちに豊臣秀吉に悲惨な目に遭わされた
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f4837d55b992e9482c7282d1b08c31d292945104
>信雄は家康のあとの三河国など5ヵ国を与えられることになった
>ところが、信雄は秀吉の国替えの命令を断ってしまった。その結果、信雄は改易
信雄が入らなかった代わりにどうなったのかというと、信雄の本来の領地である尾張に秀次が入って、三河などの東海道筋には、堀尾・中村・山内といった 秀吉にとっての譜代といえる部将時代からの家臣が入っている。
譜代衆たちの役割は、関東に国替えになった家康の「蓋」。家康が反旗を翻した際には、秀次の指揮の下で、譜代衆が東海道で家康を迎え撃ち、上方の本隊到着までの時間を稼ぐという重要な任務だった と解釈されている。
つまり信雄が国替えに応じていた場合、信雄が家康と対峙する役割を担っていたことになる。家康が当時としてはトップランクの実力をもつ武将であることは明らかだったし、信雄はかつて家康と組んで秀吉と戦っているのだから、再び裏切る可能性はあった。
それにも関わらず、信雄を家康の抑えに起用しようとしたということは、秀吉は信雄をそれなりに評価していたし、信頼もしていた ということになるのではないだろうか。現代では評価がボロくそな信雄だけれども、同時代人からすれば別の評価もあったのかもしれない。まぁ結局は「命令拒否」という形で期待を裏切ったのだけれども。
ログインしてコメントを確認・投稿する