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2023年08月23日11:15

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「民族の解放のためにという話だったのに、やらされたのは市民を殺すことだった」

Chihiro Sato-Schuh
4時間 ·
【世界の多極化と立体化が起きている】
街でたまたまインド人と話すことになって、私が日本人だと知ると、「日本と中国は関係が悪くなってるだろ」と言われたので、「そんなの政治家が勝手にやってるだけで、国民同士は関係ないよ」と私は言った。この人が、どういう情報を見て言っていたのかはわからないけれど、どこかの領土がどちらのものかで争っているとかそういう話なのだろう。
戦争はいつも、防衛のためだとか民族の解放のためだとかいうことで始まるのだけれど、実際にそこで起こるのは要するに植民地支配であり、つまり搾取と人種差別だ。それが、第二次世界大戦以前には大っぴらに世界中で行われていて、その後も民主化のためという名前で、結局のところ同じことが行われている。
戦争が起こるとき、国民はいつも防衛だとか民族の解放だとか民主化だとかいう表向きの理由に騙されて、一緒にやらされるはめになる。だから、実際に戦争が始まったときに、戦地で起こっていることが、言われていたことと違っていることがわかってきて、しかも戦争に蕩尽するために国民の経済が貧困になっていったり、犠牲が増えてきたりということになると、人々は騙されたことに気づき始めるわけだ。
アメリカ国民は、戦後もっとも多くの戦争につきあわされていたわけだけれど、海外に送られたアメリカ兵たちは、「民族の解放のためにという話だったのに、やらされたのは市民を殺すことだった」とよくもらしていた。そうしたことが、ベトナム戦争でも行われていたし、イラクでも行われていた。そして今のウクライナでもだ。これについては、次期大統領候補のロバート・ケネディ・ジュニアも言っていた。バイデン政権は、ウクライナの人道援助のために軍隊を送ると言っていたのに、実際にやっていることは、ドンバスの市民を虐殺することだと。アメリカ政府はそのために巨額の税金を費やして、社会福祉も公共施設もひどい状態になっている。ウクライナにはいくらでも投資するのに、アメリカの国民のためにはお金を使わない。こうしたことは、ヨーロッパでも同じ状況だ。
第一次世界大戦は、ドイツ国民が戦争継続に抗議して政権を倒してしまったために終わったのだそうだ。戦争が4年も続いて、国の経済が貧困になり、人の犠牲も増えてくると、いったい何のための戦争なのかと人々は思い始めることになる。結局のところ、政治家たちの支配権の問題にすぎなくて、国民のためのものではなかったということがわかってしまうわけだ。それでドイツでは、兵士たちが命令に従うのを拒否して反乱を起こすということが、あちこちで起こり始め、それがついにはベルリンの抗議デモになり、それによって政権が倒されて、第一次世界大戦は終わることになった。
だから結局のところ、国際紛争は国民には関係がない。国民のためにやっていることではないのに、国民がやらされるはめになるというのが戦争なのだ。だから、国民がそのことに気づけば、戦争は終わることになる。
ベトナム戦争でも、同じことだった。ベトナム戦争は、共産勢力からベトナムの人々を守るためということでアメリカが介入して始まったわけだけれど、実のところは政治的な支配権をめぐる代理戦争だった。それで、次第にアメリカで反戦デモが激しくなっていき、徴兵拒否する人たちが続出した。そのためにアメリカはベトナムから撤退することになり、アメリカが撤退したら、戦争はあっという間に終わったのだ。
そうしたこともあり、その後はアメリカでは、徴兵ではなくて、職業軍人だけを海外の戦争に送ることになったらしい。徴兵だと戦争になったときに、国民の反対が強くなるからだ。それで、ベトナム戦争のあとも、アメリカはあいかわらず世界中で戦争を起こしてきた。それが今、ウクライナでは、ロシアを弱体化させるという目的を果たせないまま、アメリカも西側諸国も巨額の税金をウクライナの戦争に投資し続けている。国民が反戦デモを起こすと、ベトナム戦争のときと同じことになるので、西側諸国ではこの戦争では、最初から厳重なメディア統制を行ってきた。実は代理戦争にすぎないことを知られないように、現地の状況も表に出ないようにしてきたのだ。人道援助のボランティアで現地に行った人たちも、ウクライナ軍が市民を攻撃していたと暴露したら、メディアから締め出されて迫害されることになった。それで今や、西側諸国では、報道の自由も言論の自由もないようなことになっている。
世界でこの200年ほど戦争が絶えなかったのは、結局のところ一極支配を進めようとする勢力がいたからだった。表向きにはいろいろな理由で戦争が起こっていたけれど、それは一極支配を隠して、いかにも国民のためになることだと思わせていたからにすぎない。それで私たちは、どこの国とは敵対しているというので、たがいに憎み合ったり攻撃的になったりしてきたのだ。「敵なのか味方なのか?」という基準で、人の好き嫌いを決めたり、文学や音楽までどっちがいいとか悪いとか言ってきた。
たった一つの基準だけですべてを判断するのは、「視野が狭い」と言われるようなことなのだけれど、戦争というのは、そういう状態を人工的に作り出してしまうのだ。本当は広大に広がる世界を、たった一本の直線にしてしまう。その直線の上では、人々は他のことはすべて忘れて、相手を攻撃することだけに意識を向けるようになる。まさしくそれこそは、一極支配が作り出す状態なのだ。
ウクライナの戦争は、つまるところ代理戦争だったわけなのだけれど、東西の代理戦争という意味合いを越えて、一極支配と多極化との代理戦争になっていたようなところがある。実際、東西の冷戦は、ソ連崩壊と中国の自由経済化によって、1990年代にすでに終わっていた。それでも続いていったのは、そもそも共産勢力からの防衛という理由が、一極支配のための戦争の口実にすぎなかったからなのだ。そのため、かつて東ブロックとされた国々は、今度は一極支配に抵抗する勢力になり、多極化を進める勢力になっていった。
この一年ほど、まさにそうした多極化のプロセスが進んでいくのを、私たちは見ることになった。その中で、アラブやアフリカの、これまで敵対してきた国々が、次々と和解し、協力関係を築いていくのも見てきたし、一極支配を離れた国が、急速に豊かになっていくのも見た。世界が多極化すると、すべてはこれほどまでに流れるようにスムーズに動いていくものかと、驚くことも多かった。してみれば、これまで私たちは、一極支配の中で、たった一本の道だけにされた狭い世界に、無理やり自分を押し込めて生きてきたのだろう。世界が多極化したとき、その狭く押し込められた世界が大きく広がって、一本の直線だった世界が立体化したかのようだ。そして、これこそは私たち人間がそもそも生きる世界なのだということに気づき始めている。
政治家たちが他の国と争っていたって、私たち国民には関係がない。政治は一つのごく狭いものにすぎないし、経済だって一つの基準でしかない。そうした狭い基準だけで世界を見るのをやめると、大きな世界が見えてくる。土地が広がり、そこに生きている人々がいるのが見えてくる。そこでは、皆それぞれに幸せに生きようとしているだけなのだ。そんな風に世界が立体的に見えてくると、どこにいようが、私たちは地球の上で調和して生きていけるのがわかるんじゃないかと思う。
そして昨日、8月22日に南アフリカでBRICSサミットが始まって、一極支配に抵抗し、公正さが通る世界のために協同するということが、語られていた。独裁主義や全体主義と戦うということが、一極支配を進めようとする西側諸国の論理だったのだけれど、一極支配こそはまさに独裁主義であり全体主義だったのだ。BRICSサミットに世界中の注目が集まっているからなのか、昨日から急に世界が広がって立体化したかのような感覚がしている。地球全体の集合意識として、何かが大きく変わったのかもしれない。ちょうどマヤ暦で、転換のステージに当たる11回目の20日サイクルが始まった日でもあり、宇宙的なレベルでも、多極化と世界の立体化が起きているのを感じるようだ。
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