mixiユーザー(id:12322419)

2023年08月13日16:33

37 view

「商人たちの選択―千葉を生きた商家の近世・近現代―」

8月6日に千葉市立郷土博物館で開催中の企画展、「商人(あきんど)たちの選択―千葉を生きた商家の近世・近現代―」を鑑賞してきたのでその感想。

この展示は現在の千葉市で商売していた3つの商家の歩みを中心にした展示。
文具屋の和田屋を商っていた岩田屋。
千葉でも歴史のある書店の多田屋。
呉服屋から百貨店に転換した奈良屋。
フォト

千葉市立郷土博物館に行くのは去年の青木昆陽に関する企画展以来だが、去年は青木昆陽と薩摩芋の展示と農業がテーマだったのに対して、今回は商売テーマの企画展と対称的でもあった。
今回の展示は全て撮影がOKだった。
フォト
フォト

展示はプロローグ、第1章〜第3章、エピローグで構成。

プロローグでは各商家の紹介前に江戸時代後期の千葉の街並みが描かれた絵図、明治・大正の職業別明細図、俯瞰図を展示して、それらに紹介予定の奈良屋や岩田屋の名前もあり、商家としての歴史の古さを感じた。
フォト

第一章の題材は岩田屋(和田商店)。岩田屋は千葉にある本家から分家して商いを始め、当初取り扱っていたのは炭であった。文具屋の前身が炭の問屋というもの意外だが、江戸時代でのエネルギー需要を支えたのが燃料として普及していた炭であることを展示で紹介。炭の中には今で言うブランド品もあり、岩田屋が取り扱っていたのが佐倉藩の特産物の佐倉炭。
フォト
岩田屋は佐倉炭の販路拡大を行っていたが、展示品ではそれらの書状や議定書もあった。

明治時代になると文具を主とする業種の和田商店に鞍替えし、今でも和田商店は営業を続けているが、店舗は博物館から歩いて5分のところにあったりする。
千葉銀行の前身となる第九十八銀行の設立にも携わり、計測機器を取り扱う千葉量器株式会社も創業して明治時代における日本近代化に合わせて文具以外の会社の経営も行うが、残念ながら千葉量器は既に閉業している。

第二章で取り上げられる多田屋は東金で医業を営む能勢家の9代目当主が書道塾を開き、そこから書店屋に発展したのが始まり。
フォト
書店なので版木や発行した本の現物が展示されていたが、中国の歴史読本『十八史略』を元にした書物がヒット商品だった模様。
フォト
本以外には東金の名所の絵はがきも取り扱っていて、多田屋当主の教養も伺えた。
フォト

書店から別業種への拡大していく様子や書店文化との関わりも紹介されていて、三省堂の経営立て直しにも関わっていると知り、驚いた。
トランプ販売の免許状もあって、時代に合わせてハイカラな商品も取り扱い、洋物店(帽子、靴、鞄)も開業していた。
フォト

短歌誌のアララギは3号まで多田屋の印刷所で刷られていて、それらの現物も展示されていて千葉の書店が日本の短歌史にも関わっていたのは意外であった。
フォト

多田屋の展示でも目を引いたのは多田屋が平成に刊行していた小冊子スタイルで千葉県東総地域の歴史を解説した歴史読本『千葉東総シリーズ』。
フォト
昔学生時代にその一部を入手したことがあったが、これを刊行した多田屋の歴史をこうやって知る日が来るとは思わなかった。

多田屋は昭和にデパートを開業する構想もあり、それらの趣意書やイメージ図も展示。実際に建設工事の着工が始まるも世界恐慌で頓挫してしまい、幻のデパート構想になってしまった。
フォト

第三章の奈良屋は千葉在来の商店ではなく、京都の呉服屋がルーツにある。
寛保3年(1743年)開業なので、今回の展示で紹介されている商家では一番の老舗。
フォト

奈良屋は江戸時代後期に佐倉・佐原に出店し、佐原では伊能忠敬と交流があった。
明治42年には千葉店を開業して、大正年間には第一次世界大戦の特需の大戦景気や関東大震災で東京から避難民が千葉に流入したことによる人口増加で3年近くで売上げが3倍に増加した。

第二次大戦では空襲で店舗が消失する憂き目にあうも戦後間もない時期から営業を再開して戦後6年で百貨店のビルを建造。再スタートを切っている。

奈良屋の社長である杉本郁太郎は文化人の一面もあり、句集も展示。奈良屋を展覧会の会場に使い、大賀ハスの石碑の撰文も担当している。
フォト

杉本郁太郎は三越に入社経験のある繋がりからか、奈良屋は三越と業務提携。
昭和47年にそごうの隣にデパートのニューナラヤを開店している。
ニューナラヤの開業時の広告や店舗の写真も展示されていたが、昭和のデパートの面影を感じた。
フォト
フォト
昭和59年にニューナラヤは千葉三越に改称して経営権も三越に譲渡し、平成29年には千葉三越も閉店。奈良屋は260年近くの歴史に幕を閉じている。

エピローグでは現在の和田商店の外観写真や多田屋の能勢家の人が書いた著書や杉本郁太郎による奈良屋の社史も展示されているが、「選択が必ずしも適切であると限らず」の一文が印象深い。
フォト
フォト
今回の展示で紹介された三つの商家の内、和田商店と多田屋は現在も経営を続けているも、奈良屋は閉店してしまった。
時代に適応する為に時には業種を変え、店舗を進出することで商家は生き残りを模索してきたと言える。
商人の選択が功を奏することもあれば、失敗することもある。店を続けることができたのも結果論と言ってしまえば、それまでだが和田商店、多田屋、今は亡き奈良屋の展示を通して地域の経済史を学べる内容であった。

奈良屋と多田屋は千葉在来、奈良屋は京都出身と違いはあるが、それぞれ文化活動を通して地域に貢献していたことも伺える展示内容で、エピローグのパネルは今の利益追従を優先した経済活動に対する疑問で締めくくっていた。

企画展と併催で開催されていたパネル展も鑑賞。
フォト
パネル展の「京と千葉氏」は千葉氏と京の結びつきを紹介した展示で、千葉氏は坂東武者の荒々しいイメージがあるが、ルーツを辿れば桓武天皇に遡ることができる一族なので、京との繋がりがあるのも納得できる。
フォト
パネルでは武士がこれまでの定説と異なり軍事貴族が出自にある説を言及し、千葉常胤が源頼朝に付き従ったのも京都の有力皇族が背景にいたのを解説していた。
フォト
千葉氏は鎌倉時代には京都の内裏を警備する大番役も任されていた。

京都との関係性では千葉氏から派生した東氏が和歌を親しんだことも取り上げていて、東氏は室町時代には古今和歌集の解釈を秘伝として受け継ぐ古今伝授を継承していたが、それが巡り巡って細川幽斎にも受け継がれるのも歴史の縁と言った具合だろうか。
フォト

千葉氏本家自体は室町時代には室町幕府が設置した鎌倉府に出仕することになり、活動拠点を関東にシフトしてゆき、京との繋がりが失われていった。

パネル展の片隅にはミニ展示「来てたの?家康」も開催。千葉における徳川家康の足跡を紹介しており、鷹狩で訪れていた東金御成街道を紹介していた。
フォト

企画展鑑賞後は茶屋のいのはな亭で水まんじゅうと甘酒を頂いた。
暑い日には水まんじゅうの喉越し良い食感が最適で、甘酒も水分、栄養補給にピッタリであった。
フォト

この展示は9月3日まで。

5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年08月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031