大河家康 光秀→天海僧正が絶望的 家光の名前説も粉砕
https://news.yahoo.co.jp/articles/05d9719d3ca6b20efc9dbf000b12d17ffc62f014
家光は本来「家忠」のはずだったのが、金地院崇伝が「花山院家の祖である藤原家忠とかぶる」ということで反対して家光になった というのはウィキペディア等で書かれているのだけれども、なぜ藤原家忠とかぶるとマズかったのかまでは書かれていなくて困惑。
いちおう当時の花山院家でパッと思いつくのは、「猪熊事件」の主犯の一人として流刑になった花山院忠長だろうか。ただその割には、家光の弟である駿河大納言が「忠長」で、これを名付けたのも金地院崇伝。いちおう忠長と名付けられた時点で、すでに猪熊事件の直接の被害者である後陽成天皇は崩御しているのだけれども、蝦夷に流された花山院忠長には、朝廷からまだ赦免が出ていない状況。さてどうなんだろうかと。
「光」に関しては、清和源氏で結構使われているので、わざわざ光秀を由来とする必要はないだろうと。
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