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2023年07月28日23:31

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゚Д゚) < Teen Kanya (三人の娘)

『RRR』吹き替え上映スタート!「新鮮」「入り込んで見られました」リピーターの感想続々
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=25&from=diary&id=7506150

 吹替版の一般公開おめでとうございます!
 記憶にある限り、吹替版で劇場公開されたインド映画はこれが初…なのかな? 今まで、ソフト化された時とか、CS放送時に吹替版が作られたことはあったけど、劇場公開先行で吹替されるってのは、それだけ注目度が高いってことなんでしょか。

 ま、ワタスは今だに怖くて吹替版も収録されてるDVDも字幕で見てるんですが。うん。
 なんか、吹替になると途端にセリフがわざとらしく聞こえてきたり、説明過多に聞こえて来ることが多くてさ…。情報量が一気に減った感じがしてしまうんは、元のイメージに引っ張られているせいですかいのう。
 吹替の方が好きな映画ってのもあるから(「ビバリーヒルズ・コップ」とか「マスク」とか)、全部が全部とは思わないので、見て見たら好きになるかもなんだけど…なんか、声が浮いて聞こえてきやしないかって怖さが拭えなくてね…。

 字幕派か吹替派かなんてのは、その時の気分だから争う気は無いんですよ。
 でもでも、普段英語字幕で見てる自分としては「台詞の機微を探る」楽しさも映画の楽しさの1つだと思ってしまうので、最強なのは英語字幕で見ることだと思うのぉぉぉぉぉぉ!!!!!(そんなカバな

 そんなこんなで、今日も今日とて英語字幕で見た映画の感想文を勢いで置いておくんよ!



Teen Kanya (三人の娘) 1961年 156分(173分とも)
主演 チャンダナ・バナルジー & コニカー・モジュムダール & オポルナ・ダース・グプタ
監督/製作/脚色/音楽 サタジット・レイ
"三人の娘が紡ぐ、三つの軌跡"

https://www.youtube.com/watch?v=VqXtZJ8fsUw

The Postmaster(郵便局長) 35分
主演 オニル・チョットパドヤーイー & チャンダナ・バナルジー

 辺境の村の郵便局長として派遣されたカルカッタ(現 西ベンガル州都コルカタ)育ちのナンダラルは、その日から小間使いの孤児の少女ラタン(別名ラトナ)と暮らすようになる。
 ある日、ラタンに家族の話をしていたナンダラルは、地元の歌を披露してくれた彼女に「じゃあ、あとは文字さえ覚えれば私の妹と同じくらいになれるね」と語り、ラタンの希望のもと暇な時間に彼女に文字を教えることを決めた。前任の郵便局長と違って優しいナンダラルに懐くラタンは、どんどん読み書きを上達させるのだが…。


Monihara (The Lost Jewel / 宝石を失った男) 53分
主演 カーリ・バナルジー & コニカー・モジュムダール

 とある廃墟を散策していた村の教員ゴービンダ・チャクラヴァルティは、そこでフードにくるまって座り込む初対面の男と話し込み、この廃墟にまつわる幽霊譚を聞かせ始める…

 30年ほど前の1月初め。不動産業者のパニブシャン・シャハと妻モニマリカ(愛称モニ)がマニクプールのシャハ屋敷を相続した。愛する妻のためにはなんでもするパニブシャンだったが、モニは「このお屋敷は好きよ」と言いつつそっけない態度。妻への愛を示すため、事あるごとに宝飾品を与え妻を喜ばすパニブシャンだったが、子供ができないことに悩むモニの元には「金を恵んでくれ」と語る従弟が再三やってくる。
 そんなある日、屋敷に火事が起こってしまい…!!


Sampti (The Conclusion / 結論) 68分
主演 ショウミトッロ・チャタルジー & オポルナ・ダース・グプタ

 大学を卒業してカルカッタから帰郷したオムルヤは、寡婦の母との再会もそこそこにお見合いの席に駆り出される。しかし、その席に近所の悪戯娘として有名な孤児ミヌマイー(別名ミヌモイー。通称ミヌー)がペットのリスを放って台無しにしてしまい、その帰りに彼の靴を盗んで行ったミヌーを見つけたオムルヤは、彼女の不意をついて靴を取り戻すが、それからしばらく物思いに耽る日々を過ごすようになる。
 数日後、オムルヤから「ミヌーと結婚したい」と唐突に告げられた母親は、自分が準備した見合い相手を断ってよりにもよってミヌーとはと怒り出し…!!



わーい(嬉しい顔) 詩聖ラビンドラナート・タゴールの短編を元にした3編のオムニバス・ベンガル語(北インド 西ベンガル州とトリプラ州、アッサム州、連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島の公用語)映画。
 同じようなタイトルの、2012年のベンガル語映画「3 Kanya」とは別物?

 国際公開版では、通常版と別に、2つ目のエピソードをカットした短縮版「Two Daughters(二人の娘)」も公開。
 1998年、米国のアカデミー・フィルム・アーカイブは、短縮版ではカットされた「Monihara (The Lost Jewel / 失われた宝石)」を保管作品としたことを発表している。
 人によっては「サタジット・レイの最高傑作」と評される場合もあるとか。

 3つのエピソードはそれぞれ「タゴール原作の短編の映画化」「ある女性が話の中心となる」という共通項があるだけで、お話としては関連のない独立した物語。そこに流れる、それぞれの男女のつながりと反発のさまが、人生のままならなさを捉える詩的な美しさ(と残酷さと…)を現してくれる。

 最初の「The Postmaster(郵便局長)」は、10才になるかならないかで1人で小間使いとして働きづめの生活をおくる少女ラタンの物語。
 物語的主人公は、そのラタンが世話をする都会育ちの新任郵便局長ながら、今まで亡き親以外に触れたことのない優しさを持つ郵便局長との暮らしに家族愛的なものを見出し始める少女ラタンの快活さ・麗しさ・物悲しさが、重層的な儚くも美しい姿を見せつけてくれる。
 しかし、当の郵便局長も含めそれに気づかない大人たちの鈍感さ、あくまで「文字を教える事」「小間使いに優しく接する事」が郵便局長の戯れ的な暇つぶしでしかなかった事を露呈させる最後の別れのシーンの寂漠感の重さたるや、相当なもの。楽しく希望に満ちた日々がある故に、それが過ぎ去った後に残る絶望の大きさはあまりにも計り知れない。植物の旺盛な成長力に満ち満ちた村の情景にあって、それと対比される人の暮らしの孤独、希望があるからこそ露わになる絶望、その鮮やかすぎる対比と転調の凄まじさが印象的なエピソード。
 ラタン役を演じたチャンダナ・バナルジーの名演が光る一本でもあるけれど、この人はその後、66年の「Kaa」に主演しただけで映画界を去り、その後どうなったか誰も知らないというのがなんとも…。

 2つ目の「Monihara (The Lost Jewel / 宝石を失った男)」は一転して、倦怠期の夫婦の、お互いの思いを図るような不器用な愛情関係を描く不条理話。
 物好きな教師が廃墟にまつわる幽霊譚を語って聞かせる態で描かれる不条理劇は、途中までは夫婦のディスコミュニケーションを描くサイコサスペンス的な様子を見せ、ラストのその相互不信が生んだ不条理展開は、エドガー・アラン・ポーを彷彿とさせるゴシックホラー的な雰囲気に転調し、最後に語り手の教師の眼の前で起こった不条理の生々しい残影を見せて終幕となる。
 必要なものはなんでも揃えられる富裕層の夫婦が唯一手に入れられないもの…夫は妻への愛、妻は子供という夫への愛の形…その不在を隠すように・あるいは代理品とするように、妻に与える宝石の量が夫婦の存在意義になっていってしまうのを止められない2人の哀しさが、より廃墟となった屋敷の持つ寂漠感を強調する。
 幽霊譚と言っても、最後の最後にしか幽霊は登場しないし、登場しても大して怖くはないものでしかないけれど、ゴシックホラー特有のはっきりした形にならない悲哀や鬱憤と言った奥底に抱える正体不明の思いに悩まされる人の儚さが、富裕層の夫婦が暮らす屋敷の壮麗さ・豪華さとのギャップになっていく絵面も効果的。その空間の大きさと装飾品の多さが、夫婦の生活の豊かさを見せつけるとともに心のありようそのものになっていく空虚さを伝えるカメラワークの秀逸なこと!
 妻モニマルカを演じるコニカー・モジュムダールは、本作および同年公開作「Punasha」で映画&主演デビューした女優。以降、80年代初頭までベンガル語映画界で活躍(それ以後も、数本映画出演しているよう)。2019年に西ベンガル州都コルカタで物故されている。

 3つ目の「Sampti (The Conclusion / 結論)」は、再び貧しいベンガル農村を舞台にした初々しい結婚物語。
 都会帰りのインテリ青年のお見合いを主軸に、洪水で親を失いながらもジャングルに囲まれた村で元気に暮らす悪戯娘が、いざ結婚となった時に「妻」であり「大人」になることを拒否し、森の木々に隠しているペットのリスと遊びまわる「子供」でいたいと欲し続ける、その生命力の麗しさ、大人になりたくないと主張する幼稚さ(あるいは理不尽な世間に対する抵抗)と自由奔放な明るさ、自由を欲するその生命力の強さを見せていく。
 男性の成人が結婚とは別に「大学の卒業」とか「仕事で生計を立てる」「村の大人社会に入っていく」事でも現されていくの対して、女性のそれが明確に「妻になる」「母になる」ことを第1に求められていく姿を、主役の悪戯娘ミヌーと最初の古風なお見合い相手との姿とで対比させるのも象徴的ながら、大人になることを拒否するミヌーを選ぶ主人公と、結婚儀礼を恥ずかしがりながらも受け入れるミヌーがいざ初夜となった時に逃げ出して夜中ずっと森でペットと遊びまわる姿の多重性も美しい。これ見ると、初夜というのも結婚儀礼の要素の1つに組み込まれてるもんなんだね…とも思えてくるのもなんとも(村中でお祝いしてから、新婚夫婦用の寝室に皆で騒ぎながら閉じ込めるのは「朝まで出てくるな」と言う脅しの意味でもあるんでしょうなあ)。初夜を通常通りに終わらせなかったというその1点で、村人全員の怒りを買うミヌーの悲惨さもとんでもないし、そこを受け入れ「妻」や「母」になる覚悟を一晩に満たない時間で決めなければならないミヌーの悲壮感漂う姿は、それ以上に強烈で強い(それを肯定的に描いてるのか、否定的に描いているのかは、見る人による感じだけども)。
 なんと言っても、このエピソードの魅力の全てを構成してるのが、悪戯娘ミヌーの魅力を200%アピールしているオポルナ・ダース・グプタ(またはオポルナ・ダースグプタ。後のベンガル語映画界の巨匠アパルナ・セーンその人!)でありましょうか。55年の「Mejo Bou」に子役出演してからの本格的映画デビューとなった本作が縁で、その後もサタジット・レイ監督作に呼ばれ続ける名女優となる人だけど、もう本作の時点で大物オーラ全開の素晴らしい演技を見せつけ、多種多様な魅力ある表情を見せつけてきまする。これ見ると、娘のコーンコナー・セーン・シャルマーをも遥かに凌駕するとんでもない演技力と美貌の持ち主だったんだなあと感心してしまいますわ。

 3つのエピソードのうち、2つが緑濃いベンガルの農村部でありその貧しさや厳しい自然によって孤児になったヒロインの不自由さが儚く物悲しさを強調するんだけども、それはそれで当時(今も?)のベンガル地方でよくあることでもあることなのか…とか思うと、解決不能な数々の不条理が横行するベンガル社会にあって、そこに息づく人々の暮らし・一生・生活儀礼のそれが、時に麗しく時に残酷に個人の生き方に関わってるが故に、こう言った物語や詩、歌が必要とされていくのもなんかわかるよな…とか、知らないくせに訳知り顔で言ってみたくもなるとですよ。その静謐な画面構成と映像の見せ方が、数あるサタジット・レイ映画の中でもより詩情豊かに見えてくる1本ですわ。


第2篇 Monihara (The Lost Jewel / 宝石を失った男)のソングシーン

https://www.youtube.com/watch?v=YrWquYEAHYg




受賞歴
1961 National Film Awards ベンガル語映画最注目作品賞(第3篇Samptiに対して)
1961 Annual BFJA(Bengal Film Journalists’ Association) Awards 監督賞・インド映画・オブ・ジ・イヤー賞
1963 Berlin International Film Festival セルズニック金月桂樹作品賞
2019 Cult Critic Movie Awards 作品賞





・Teen Kanya を一言で斬る!
「罫線付きノートに、2行使って書いてるベンガル文字ってよく書けるなあ…と思える縦横無尽な線の運びよ(単に、慣れでしょうけど)」
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