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2023年07月04日22:04

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「〜してもらっていいですか?」に不快感! 押しつけがましい! 敬語表現としてアリなのか?

「〜してもらっていいですか?」に不快感! 押しつけがましい! 敬語表現としてアリなのか?
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「〜してもらってもいいですか」という言葉は、相手に何かを依頼する際によく使いますが、違和感を覚えたり不快に感じる人が多いようです。ではこの敬語表現を使うのは間違いなのか、考えてみましょう。
「〜してもらってもいいですか」という敬語表現は間違い?
次のような言葉はよく耳にしますし、自分でも使っているという人も多いのではないかと思われますが、言われたほうは実は何だか気になる、不快、押しつけがましい……などと感じることも多いと聞きます。

1「こちらにお名前を書いてもらってもいいですか?」

2「こちらにお名前を書いていただいてもよろしいですか?」

1と2は、公共機関の窓口や受付などでよく耳にします。これはいずれも相手にその行為をしてもらおうとする場合に、婉曲に表現することによって配慮を表しているととらえることはできます。「〜してもらってもいいかどうか」と、相手に伺う、相手の判断や許可をあおぐような言い方をすることにより、相手への配慮を表すというわけです。

日常生活で 「ちょっと貸してもらってもいい?」というのに同じく、「書いてもらっていいですか」「書いていただいてよろしいですか」ということで敬語表現に言い換えているという点では、言葉遣いとして間違いというものではないでしょう。

しかし、実際にはたとえ2のように言われても、何だか不自然だと感じたり、適切でない言葉に響くのは、次のような点が原因なのではないかと思われます。

「〜してもらってもいいですか」違和感や不快感を与える理由とは?
「お名前を書いていただいてもよろしいですか」以外にも、「こちらに印鑑を押していただいてもよろしいですか」「カードを入れていただいてもよろしいですか」なども同じような例として挙げられます。

この言葉が使われている場面を考えると、これらは、名前を書いても書かなくてもいいわけではなく、カードも入れても入れなくてもいいわけでない。どちらもそうしてと依頼しているわけですね。もっといえば、特に制限をもうけず任意でというのではなく、そうしてもらわなければならず、相手に選べる余地はないのです。

そのような点から考えて「〜してもらっていいですか」と許可を求めるのもおかしいと感じるのも理由のひとつのようです。

また、もうひとつは「〜してもらう」というのは、相手に何らかの手間を掛けるということですから、きちんとお願いの気持ちをこめた言葉を用いるべきだという点でしょう。それらの理由から、もっと適切な言葉に言い換えるならば、次のような言い方ができるでしょう。

「こちらにお名前を書いてもらってもいいですか」の言い換え例文
「お手数お掛けしますが(ご面倒をお掛けしますが)こちらにお名前をお書きいただけますか」「こちらにご署名願います」……と、言い換えることができます。

また、「こちらにカード入れてもらっていいですか」も言い換えるならば、「恐れ入りますが、こちらにカードをお入れいただけますか」「こちらの機械にカードを差し込んでいただけますか」「こちらにカードをお入れください」……などの言い方ができます。

ほかにも、「デジカメのシャッター押してもらってもいいですか(旅行先で)」「もう少し上にあがってもらってもいいですか(美容院で)」「これ渡してもらってもいいですか(会社で)」など、挙げたらきりがないほど「〜してもらってもいいですか?」という言葉はあふれています。

しかし、どれもみな選べるものでも断れるものでもない雰囲気が漂っています。相手に依頼する言葉も色々ですが、場面に応じて適切な言葉を使い分けるのも相手を不愉快にさせない心配りですね。
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敬語は、相手との距離を遠くする用法であって、遠くする事で相手に警戒をさせない事を示す。その方法としては、距離、高さ、時間がある。過去形が敬語によく出現するのも、過去には戻れない事から遠いというニュアンスがあるからと思われる。

敬語は古代の階級や権力の発生とほぼ同時期に起きた言語使用法と考えられる。王に対しては余計な警戒させない事が必要だった。その意味で敬語は王ではなく仕える側から生まれたと思われる。彼らは進言や献策など様々な状況において、自分の安全のためにも裏切り、下剋上、疑心暗鬼を生ませない事が必要であったろう。その為に、自分がへりくだって裏切らない事を常に表現する必要があった。

社会情勢で様々であろうが、礼を尽くすのは基本的には服従の意志であって、これは相手の言葉に全て従うという意味になる。その結果として敬語は相手の労力(エネルギー)を最小にする効果を生む。

これは状況によって様々な形態を示す。日本語には尊敬、謙譲、丁寧がある。尊敬は相手を中心に、謙譲は自分を中心に下に、という感じでよく発展している。これは階層や支配が強い歴史があったのかも知れない。少なくとも長く天皇を統治に組み込んだ我が国の歴史と無関係とは考えられない。

尊敬は裏切らない事の表明、丁寧は尽くす事の表明、謙譲は上下関係の確認という面があるようにも感じられる。尊敬は過去、謙譲は高さ、丁寧は距離という感じもしないではない。

「してもらっていいですか」と似た言葉に「してあげる」という用法もあった。どちらも、「する+方向」を相手に向けて使っている。これらの「して」用法(授受表現)には、もらう、あげる、くれる、おくなどがある。

方向とは力学的な力であるからベクトルを持つ。その対象は会話の相手であるから、敬語で自分に向かってくる力である。敬語が距離を取ろうとするのは、この力を弱める為である。

この弱めるという効果を持たせねがら、何かの主張、依頼、要求をする。その時に敬語である事の最重要な点は、相手に拒否する労力を最小にする点にある。

何かをあげるといわれた場合、不思議な事に人間は断る事に心理的負担を感じる。だから普通は断らない方が多い。その方が両者にとって労力が最小になる。イラナイものだったら断って返すよりも、貰ってから捨てる方がコストは小さい。だが、与えた方がその代償を求めてくるなどの場合は話は複雑になる。

だから、断るコストを小さくする効果が敬語には含まれている。これを断る事は心理的負担が小さいのですよと表現するのが敬語の役割ともいえる。

「してあげる」の場合も断る負担は小さい。なぜなら「してもらわなくてもいいよ」と言えるのは、「あげる」があくまで上げる側の立場しか言っていないため、もらう側の都合を一切考慮していない点で、もらう側には迷惑であると言いやすいのである。

なぜなら相手は、こちらの事を考えていないからである。これはあくまで自分の勝手な行為で、あなたの都合など一切考えていませんよと宣言しているからこそ、断りやすい事になる。所が、「あげる」という表現が大上段であると感じる人もいる。

あげるには無償の意味もあるので、自分に価値のないものを押し付けるというニュアンスがない訳でもないからである。

「してもらっていいですか」は「してもらう」+「いいですか」の組み合わせで敬語的になっているが、この言葉の背景には、私が困っています、助けてくださいという言葉がある。

「してくれる」と「してもらう」は似ているそうである。「きもちくしてくれる」と「きもちくしてもらう」のニュアンスの違いは、相手へ要求したかどうかの違いだそうである。してくれたのは相手が自発的にして呉れた場合、してもらうはこちらの要求からしてくれた場合という違いである。

すると「してもらって」は、向こうからの要求である。「いいですか」は断る事も出来る事の表明である。そして二重の覆いかぶせは、発した側は敬意の協調であるが、受け取る側からすれば、要求が二回届いたのと同じなので、却って断りにくくなっている。

二回要求してきたという事は切羽詰まっていると考えるのが自然だからである。だから不快と感じる人の感性はそう間違っていないのである。しかし、この言葉が使われる多くの場合で、実際は断れない状況なのである。

もし断った場合は手続きが中断する、最悪の場合はキャンセルに至る場合に使われるのである。これは、両者の間で暗黙でこれを断る事はないという場合である。

美容院で、こちらを向いてもらっていいですか?と言われる場合がある。もし断っても、美容師は移動して体勢を変えれば業務上支障はない。しかし、顔を曲げるコストと比べれば数十倍のコストである。それを断る勇気を持つ人はそう多くはないはずである。

ニュアンスの中にある多解釈が両者での擦れ違いや感覚の齟齬を生む場合がある。それを丁寧に解析すれば、恐らく両者の言い分が正しい。それを多くの人が無意識で使っているという点で豊かな言語の土壌の力強さが全ての人を覆っている事は脅威的な物語だと思われる。

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