【スーダン難民は密航船の出発地チュニジアへ 現地を揺るがす「アラブ人」と「黒人」の軋轢 フォーサイト】
https://www.fsight.jp/articles/-/49859 抜粋
◇洋上で阻止、「いっそ死なせてくれ」◇
取り締まり船の甲板上に連れてこられた彼らに出身国を尋ねると、ニジェール、ガンビア、ベナンといった西アフリカの国名とともに、数千キロ離れた東アフリカのスーダンという声がいくつも上がった。
赤いニット帽をかぶったオスマン・アブバカル(20)は、私をにらみながら吐き捨てるように言った。
「スーダンに安全はない。だから停戦の時に逃げてきたんだ。先に行かせてくれないなら、どうすればいいっていうんだ? いっそ海で死なせてくれ。国連だって助けてくれなかったんだ」
小さな子どもを連れた女性が突然、声を出して泣き始め、両手で頭を抱え込んでうなだれた。
「スーダンは愛する母国だ。戦争がなければチュニジアやリビアなんかに来るもんか」
サハラ砂漠を越え、無政府状態が続くリビアに密入国したが、多くが道中で兵士に連行されたり行方不明になったりした。安全を求めて、さらに西に進んで隣国チュニジアに逃れた。
「でも仕事がなく、寝る場所すらなかった。雨が降っても公園に野ざらしだった」
アブバカルは私に、スファックス中心部にあるその公園に行ってみてくれ、といった。
「人間が暮らせる環境じゃない。まともに暮らせるなら、だれも命がけで地中海なんて渡らない」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、スーダンの戦闘で周辺国に50万人以上が逃れ、ほぼ半分を隣国エジプトが占める。国内避難民も約170万人に上っている。それでも私が5月上旬、欧州の玄関口となっているイタリアのランペドゥーサ島で取材していた際にはまだ、地中海中央部に戦闘を逃れたスーダン難民の姿はなかった。
国際移住機関(IOM)のベテラン広報官は「スーダンからの旅路はとても遠い。国境周辺で事態が沈静化するのを持っている人が多いはずだ。ここまで来るには少なくとも1年はかかるだろう」との見方を示していた。
現実には、戦闘から逃れた難民ははるかに早く砂漠を越え、海を渡り始めたことになる。
◇生ごみの上で野宿、塩水で水分補給◇
その公園は、吐き気を催すほどの強烈な生ごみの臭いで満ちていた。
チュニジア第二の都市スファックスの中心部で、城壁に囲まれたメディナと呼ばれる旧市街の市場に隣接した広大な公園だった。再造成のために、あちこち生ごみで埋め立てられていた。
・・「僕たちが寝ているのはここです」
赤いセーターを着たマビル・モハメド(18)は、地面やコンクリートの上に敷かれたボロボロのマットレスや段ボールを指さした。難民キャンプと違って、テントや水、電気といった最低限のインフラすらなく、支援団体などの姿もない。たまに地元の人たちが食事を配ってくれることがあるくらいだという。
「スーダンは戦争ですが、ここでは食べ物や寝るところがありません。飲み水もないので、モスクでもらえる塩水を飲んでいます」と窮状を訴える。
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