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2023年06月24日14:29

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流山フィルハーモニー交響楽団 第61回定期演奏会

モーツァルトの最高傑作?!

☆流山フィルハーモニー交響楽団 第61回定期演奏会
■日時:2023年6月4日(日) 13:30開場 14:00開演
■会場:スターツおおたかの森ホール
■曲目:
♪モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
♪シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 作品97 「ライン」
■指揮:佐藤雄一
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今回初めての会場「スターツおおたかの森ホール」。
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東武アーバンパークラインの電車がすぐ隣を通っているが、振動や音はホール内に一切響かない。
その点はよくできた建築物だ。
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ホール内では、かなり前の方に座ってみたが、次回はもっと後ろで聴くことにしよう。

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♪モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」

今回の演奏会で、一番の収穫は、「プラハ」の素晴らしさを知ったことだった。
実は「プラハ」はよく知らない曲だったから、久しぶりに「ウィーン・フィル魅惑の名曲」シリーズを引っ張り出してきて予習した。
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ジェイムズ・レヴァイン指揮、ウィーン・フィルの演奏だ。
まさか、レヴァインの指揮に感銘を受けるとは思わなかった。
ウィーン・フィルの美音に支えられているが、うわべの派手さを抑え、曲の実質を隅々まで描こうとしている印象。
生気と創意に溢れた曲の魅力を堪能した。
あえて言えば、第一楽章は第二主題が弱い感じがする。
第三楽章は、良いメロディーだが、第一楽章に比べて音楽が単純すぎるという印象だった。


さて、佐藤氏指揮による流山フィルの演奏である。

第一楽章
重々しく、結構長い序奏が付くのが特徴的だ。
流山フィルの演奏は、序奏の途中から一転して厳しい表情に変わった。
既に序奏から佐藤氏は、レヴァインよりも、音楽からドラマを読み取っていた。

主部に入る。
ほんの二つ三つの音が、深い思いを込めて上昇を繰り返したり、下降を繰り返したり。
なんと、これはブラームスの交響曲第四番や、マーラーの交響曲第九番の世界を先取りしているかのようだ。

主題はアクセントを利かせ、第二主題もよく歌っている。
レヴァインよりも、第二主題の音楽的意味を際立たせている。
短調になる部分も実に効果的だ。
ホルンやトランペット、ティンパニが、輝かしく盛り上がりを演出する。

展開部での、パート同士の対話は、さすが佐藤氏だ。
短調で下降しても、再び力をつけて上昇する音楽の生命力。

再現部と思しき部分にも、音楽的な展開がある。
ここでも第二主題が生きてくる。
安らぎの象徴のようでもあり、人間的な力と歓喜に溢れている。

音楽はまだまだ続く。第二展開部だろうか。
この、尽きることのない音楽の展開、この素晴らしさ、ベートーヴェンの「英雄」の第四楽章にも匹敵する!

更に、第二再現部だろうか。
何度でも不死鳥のように復活してくる音楽のエネルギー!
この曲を作曲当時、モーツァルトは困窮の極みにあったという。
作曲している時だけが幸せだったとも。

まさに、これは創作の高みに達した天才の、精神的高揚の極みを示す音楽ではあるまいか。
シューベルトの、終わることのない「天国的な長さ」の世界、その先駆でもある。
しかも、破格に輝かしい、生命の充実を示している。

三度、第二主題の、長―短―長の展開が意味を持って迫る。
佐藤氏はこの複雑な音楽を、実にドラマチックに読み切っていたのだ。


第二楽章
まるで交響詩のようにドラマチックで内容豊かな音楽だ。
長調と短調の間を揺れ動き、日々の生活の中にある様々な感情を表現する。
第一楽章の序奏とも関係ありか?
大丈夫だよ、と声を掛け合うようなメロディー。
展開部にも深い表現が。
汲めども尽きぬ豊かさを持った音楽だ。


第三楽章
音楽のメッセージを深く読み取る佐藤氏が、レヴァインとウィーン・フィルの演奏を凌駕していく。
ティンパニの連打は、生への強い意志の象徴のようだ。
何が押し寄せても、ユーモアを忘れない、へこたれない!
試練の後こそ、第二主題のユーモアが生きてくる。
人間的なメッセージに溢れるモーツァルトの演奏だった。

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♪シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 作品97 「ライン」

シューマンの交響曲は佐藤氏の十八番である。
私がシューマンの交響曲の素晴らしさを知ったのは、100%佐藤氏のお陰である。
今回の「ライン」は、佐藤氏の演奏としてはベストではなかったと思う。
それでも、多くの素晴らしい時間があった。

第一楽章
何とも雄大な表現だ。大河のようだ。
それも、ライン川というより、揚子江、アマゾン川級の大河だ。
これほどの歌心をもって、流山フィルがスケール大きく歌ったことは、かつてなかったのではないか。

これは、佐藤氏のヴィジョンによるのは勿論だが、弦のトレモロの異常な多さの効果を生かすためでもあっただろう。
佐藤氏は(多くの指揮者がそうするように)オケが全然弾けていないのに速いテンポで押し通したりしないのだ。
楽譜から音楽を読み取る耳の卓越性と、音楽に対する深いリスペクトがそうさせるのであろうと考えている。

第二楽章
実に悠然としたユニゾンが、とても大きな世界を表現する。
中間部は、モヤがかった音色となり、何を表現するのか明瞭でなくもどかしかった。

第三楽章も、佐藤氏のイメージに到達していないと感じた。
第四楽章も、バランスと音色表現の難しさが未解決な印象だった。

第五楽章
たーらーーー、たーらーーー、という下降する音型の表現に工夫があった。
ファンファーレから、コーダは素晴らしく、溜飲が下がる思い。

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新しいホールでの演奏ということもあり、様々な期待があったが、佐藤氏得意のシューマンが不十分だったのは、諸事情により、練習回数が少なかったためであろう。

しかし、モーツァルトの「プラハ」に出逢えた喜び、感動は大きな収穫だった。
モーツァルトの作品は傑作ぞろいだから、簡単にどれかを最高ということはできない。
それはよく分かっている。
それを承知で、私には「プラハ」はモーツァルトの最高傑作ではないかと思えた。

奔流のように溢れる創意に満ちた音楽、極致とも思える精神的高揚、存分に人生観を表現した、その内容の豊かさ故である。

また、佐藤氏の指揮で「プラハ」を聴きたいと願っている。
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