織田の援軍を待つ間、家康はなりふりかまわず浜松に籠城するしかない。それをされてしまうと、武田としては、それほど兵力差が開いてない上に、その後の織田との決戦にも備えないといけないことを考えると、正攻法ではなく兵糧攻めするしかない。
ここ最近、家康が三方原に出陣せざるを得なかった原因として話題になっている、浜松への水上輸送の要である堀江城。ここを落とさない限りは兵糧を締め上げ切れないが、史実では援軍に来た伊井氏などの奮戦もあって、三方ヶ原の後も落とせていない。まずここをいつ落とせるのか。
織田と同盟を結んでいる上杉という問題。もちろん武田もその辺は考えていて、あらかじめ一向一揆などで越中に動乱を起こして、謙信の動きを封じた上で遠江侵攻しているのだけれども、その動乱も1573年1月時点で謙信がある程度まで鎮めてしまっている。謙信が動けるようになると、武田としてもあまりスキは見せられない。
で、農繁期をどうするのかという問題。武田の動員兵の半農の比率次第では、本国に戻して田植えをさせなければいけないだろうと。史実の武田が4月に撤退を開始したのも、信玄の容態の悪化ももちろんとして、農繁期の問題があったのではないかと思っている。
とか色々と考えると、たとえ信玄の寿命が1年伸びたとしても、家康を滅ぼしきれるかは分からないし、そも武田軍が遠江に留まっていられるのかどうかも分からない みたいなオチ。
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