徳川家康が生き延びたのは奇跡に等しい…「三方ヶ原の戦い」で武田信玄が描いた完璧すぎる家康殲滅プラン
https://news.yahoo.co.jp/articles/796cd47ad196d4ffc2750ee0f4b006a564afaf03?page=4
>あと1年でも長生きしたら歴史は変わっていたかもしれない
信玄が死んだのは1573年4月なので、1574年4月まで信玄が生きていれば家康を滅ぼせたのか という話。まぁその辺は「信長がいつの時点で浅井朝倉を倒して 徳川の後詰に兵を回せるか」次第だろうと。
で、どうやったら浅井朝倉を倒せるかというと、小谷城防衛のための要衝・山本山を押さえる阿閉貞征の去就次第。史実では1573年8月に貞征が寝返り、それから1ヶ月経たずに浅井も朝倉も滅んでいる。
で、阿閉貞征の寝返りのトリガーになったと思われるのが、その直前に起きた足利義昭の挙兵→京放逐。その足利義昭の挙兵は、信玄の徳川領侵攻に誘発されてもの。信玄が西上した時点で、浅井朝倉の滅亡は決まっていた感がある。
信玄が生きていれば、阿閉貞征が日和って裏切らなかった可能性はあったか。史実において、信玄の死は当初伏せられていて、公表されたのは3年後。直接対峙していた家康ですら、信玄の死を確信して動きだしたのが数カ月後の8月。遠江から遠く離れた貞征が、8月時点で信玄の死を確信できていたかは怪しい。つまり信玄が生きていたとしても、阿閉貞征の裏切りは止められなかっただろうし、浅井朝倉の滅亡も止められなかっただろう。
阿閉貞征が浅井を見限った理由は、未だ定かではない。10年ほど前に新発見された文章から、浅井長政が阿閉の家督を、一族の別の人間に与えようとしていたのではないかという説もある。そうなのだとすると、裏切るのは時間の問題だっただろうと。
なので、家康は9月くらいまで耐え抜けば、信長の主力による後詰めが得られることになる。
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