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2023年04月01日14:45

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原発雑考第417号の転載   電力需給逼迫をめぐって(3)  原発回帰の大号令(5)など

 原発雑考第417号の転載です。

2023・4・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


電力需給逼迫をめぐって(3)

 もうすっかり忘れられた感があるが、この冬には電力需給逼迫に備えた節電要請が全国を対象に出されていた。しかし実際にはどの地域も供給予備率が警戒レベルである3%を下回ることはなかった。この結果を見れば、原発回帰を進める政府が化石燃料調達危機をいっそう煽るために節電要請をしたと勘ぐられても仕方ないだろう。
 政府の原発回帰の中身は原発新設と既設原発再稼働である。前者は十年単位の時間を要する事業であって、眼前の化石燃料調達危機の対策にならないことは当初から指摘されていた。後者についても、この冬に電力需給逼迫が発生せず、急ぐ必要はないことが明らかになった。そう考えると、政府の節電要請は裏目に出たということもできよう。
 とはいえ地球温暖化抑止のためにも、高騰する光熱費を抑えるためにも節電・省エネは必須である。この冬の経験がオオカミ少年になって、節電・省エネが軽視されることになってはならない。
一般の家庭で節電・省エネにとって決定的に重要なのは住宅の断熱性能と気密性能である(かつては断熱性能だけが注目されていたが、最近では気密性能も重要であることが強調されるようになっている)。 日本の住宅政策は持ち家新築を極端に優遇するものであるが、地価が高く、住宅取得費の多くの部分を土地代に喰われ、建物は狭小・低品質のものになりがちである。日本の住宅の寿命(平均築後経過年数)が約30年と極端に短いのはそのせいだし、断熱性能・機密性能に劣る住宅が多いのもそのせいである。
 そんな住宅に住んで、暑さ・寒さはがまんするか、エネルギー多消費で凌いできたが、がまんのしすぎは健康によくないし、エネルギー多消費は家計に響くし、反時代的である。ここは、断熱性能・気密性能アップに目を向けるべきだ。戸建てであれ、アパートであれ、持ち家であれ、借家であれ、そのためにやれることはいくらもある。


原発回帰の大号令(5)

 〈大きいこと・多いことは良いことだ〉、あるいは〈大きくなること・多くなることは良いことだ〉という観念は社会に広く行き渡っている。その経済版が、経済成長は持続可能で、環境保全と両立し、貧困などの経済問題を解決し、社会の民主化にも貢献するという主張である。これを成長主義と呼ぶとして、この成長主義と原子力利用との関係を考察する。なお経済成長が貧困などの経済問題を解決するというのは、「富める者がさらに富めば、貧しい者にも富がこぼれ落ちて経済全体が豊かになる」というトリクルダウン仮説が成立すると見なしているからである。
 世界のほとんどの国で成長主義による社会の富裕化と安定が追求されたが、 多くの国では出発点である十分な経済成長に失敗した。それに成功したところでも、環境破壊が深刻化し、所得格差が拡大してトリクルダウン仮説の不成立が明白になり、社会の民主化も進まなかった。
 日本はかつて成長主義の優等生で、1980年代には Japan as No.1と称された。90年代以降も成長主義を信じて諸問題の解決を目指したが、その結果は、経済はほとんど成長せず、工業力は沈下し、賃金は下がり、所得・資産格差は広がり、国家債務が積み重なるという〈失われた30年〉だった。2020年代も半ばに近づきつつある現在もその延長線上にあって、失われた40年への道を辿りつつある。それでもまだ成長主義は広く、堅く信じられている。
 エネルギー面で成長主義を支えたのは化石燃料(石油と天然ガス)だったが、無限に膨張すると考えられたエネルギー需要をまかなうことができる夢のエネルギーとして原子力への期待も広がっていた。具体的には、
・原子力エネルギーの安全で効率的な利用は可能であり、それによって成長
 主義の隘路であるエネルギー供給問題を解決できる。
・原子力は、化石燃料のような環境汚染物質(当初は硫黄酸化物や窒素酸化
 物など。今世紀に入って地球温暖化にたいする懸念の高まりに応じてCO₂
 が追加された)を排出しないクリーンなエネルギーである。
・原発の発電コストは極めて低くなる。
・高速増殖炉や核融合炉の実用化によって人類はエネルギー確保という難題
 から半永久的に解放される。
などである。しかし、現実の原子力利用はこれらの期待を裏切りつづけた。
 安全性については、スリーマイル島、チェルノブイリ、福島と3つの大事故が発生し、大事故に繋がりかねない事故・トラブルは世界中で発生し、原子力エネルギーの安全で効率的な利用は極めて困難であることが明白になった。同時に原発の安全性への懸念が広がり、それを最大の理由とする立地反対運動が盛り上がって原発立地は十分にできず、事故・トラブルで稼働率も低迷し、期待に添いうる電源になることはなかった。
 環境保全については、放射能という最悪の環境破壊物質を処理困難な形で生成し、それを事故によって大量に排出することが知れ渡った。
 経済性については、度重なる事故によって高まった安全確保要求への対応によって発電コストは上昇しつづけた。その最新版が岸田政権の原発回帰政策で導入が検討されている欧州加圧水型炉であり、高コストになることが見えているので、導入に国民負担を求めることまで画策されている。
 原子力利用で人類はエネルギー確保の難題から半永久的に解放されるという期待は、高速増殖炉と核融合炉の開発の挫折によってあっさり裏切られた。
 成長主義が必要とする無限のエネルギーを原子力によってまかなう構想は失敗に帰したのである。成長主義にとって十分なエネルギーの確保は決定的に重要であり、原子力の不首尾は成長主義の失敗の大きな要因となった。
 岸田政権の〈新しい資本主義〉は、成長主義そのもので、資産所得倍増計画の臆面のなさがその端的な表れである。そのような流れのなかで成長主義の申し子だった原子力の復権が目指されるのは、いわば自然なことである。
 とはいえ時代の流れには逆らえない面があって、脱炭素の必要性とその主役が省エネと再エネ利用であることは否定することができない。そこで、これらだけでは2050年脱炭素は不可能であり、火力発電と原発に頼らざるをえないという理屈を考え出した。この理屈は菅政権下でまとめられた「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」で持ち出されたが、岸田政権はそれを継承しただけでなく、菅政権ではためらわれていた原発新設にまで踏み込んでいる。
 しかし火力発電については、脱炭素社会でそれが存在しうる絶対条件であるCO₂回収貯留の実用化とその発電部門での利用が2050年までに日本で可能なのかという大問題があり、原発については、仮に省エネと再エネ利用では2050年脱炭素は不可能だとしても、2060年(あるいは2070年)には可能になる。そうすると、今から計画に着手する新型原発が稼働するのは2030年代末以降であるから、稼働期間は20年から長くて30年程度になり、投下費用の回収が終わらないまま廃炉になることを運命づけられているという大問題がある(これらの点については本誌414号参照)。
 成長主義とともに死んだ原子力を蘇らせることは無理な話なのである。


雑 記 帳

 3月になって暖かになるのと同時にハクモクレンの花がほころび始め、豊橋の最高気温が5月並みの22.7度になった10日に一気に満開になった。モクレンの花は花びらが大きいので強風に弱いが、今年は強風が吹かず、盛大な咲きぶりを1週間近く楽しむことができた。前号に書いた最後の一葉は、花が散って若葉が開き始めてもまだ枝に付いていたが、22日夜のやや強い南東風で散った。冬の北西風には強かったが、逆方向の風を持ちこたえることはできなかったようだ。落ちた葉を探し出して観察すると、干からびて、脱色・変形していたが、ちぎれ目やさけ目はまったくなかった。
 今年のツバメの初見は20日。団地の際の上空を軽やかに飛んでいた。ほぼ例年並みである。今年はわが家の巣を使ってくれるだろうか。
 3月3日の桃の節句に、甘酒ではなくフリーダムブレンドという赤ワインを飲んだ。ロシアの周辺に位置し、国内の一部をロシア軍に占拠されているジョージア、モルドバ、ウクライナの3国から持ち寄られたブドウを混ぜてモルドバの老舗ワイナリーが醸造したもので、名称にはロシアの圧迫に抗して連帯して自由を守るという意思が込められている。値段は少し高かったが、濃厚で複雑な味がしておいしかった。2011年から造られているらしいが、昨年2月のロシアのウクライナ侵略以降は、ウクライナへの連帯を表すためにラベルにウクライナ国旗があしらわれている。
 その3月3日に作家の大江健三郎さんが亡くなった。そのちょうど1ヶ月前には社会思想史家の水田洋さんが亡くなっている。大江さんは享年88歳、水田さんは103歳。それぞれの分野で〈戦後〉を担いつづけてきたお二人が相ついでいま亡くなったことは、〈戦後〉が最終的に消え去りつつあることを告げているようにも思えた。
万場緑地のネコ 第40話 月半ばのある日のこと、餌やりに行っていた連れ合いが、カンタというネコがふだん居るところから随分離れたところに居たという話を聞いて、確かめに行ったら、別のネコだった。別の人の話では、そのネコは1ヶ月近く前からそのあたりに居たらしい。その間ほとんど餌にありつけていなかったようで、ひどく痩せていた。推定年齢5、6歳の去勢されたオスのようで、首に首輪の跡らしきものもあり、飼いネコだったようだ。メイと名付けられ、先月号に書いたキジ太の餌場だった場所に居着きつつある。春には長年飼われていたネコが捨てられることが多い。メイもそうだろう。この年齢からの野良暮らしはきついだろうが、頑張ってほしい。

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