47都道府県旅・No.46
−山形−
山形は冬に行くと数年前から決めていた。寺社を充実させたいのなら夏だろうが、山形っぺい風景といえば冬景色でしょうよ。
今回はあえて範囲を狭めて濃い内容で。最新のiPhone 14 Proも活用して、今まで以上に撮影にもこだわった。まぁ大した事ないけど。
【山形市(市街地)】
『山形駅』
「山形市観光案内センター」。
とりあえず外しゃむいので。序盤はのんびりいこうや。
『霞城公園(山形城跡)』
市街地のほぼ中央に位置。約35.9haの面積を有する『山形城跡』を整備した都市公園。
山形城は東北屈指の戦国大名・最上義光公がその礎を築いた城。出羽の関ヶ原合戦「慶長出羽合戦(長谷堂合戦)」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ヶ城」とも呼ばれた。
国の史跡。日本100名城。
「二ノ丸東大手門」。
山形城の正面玄関ともいうべき重要な門。最上氏時代は本丸と二ノ丸が城郭の中心だった。枡形(広場)を中心に櫓門・続櫓・高麗門・土塀で構成されたこの門は、藩主の威厳を民衆に広く示す役割も担っていた。
延文元年(1356年)に斯波兼頼(最上家初代)が羽州探題として山形に入部し、翌年に山形城が築城された。以後、出羽斯波氏は最上氏を名乗り、最上氏本宗家の居城となった。
現在の城郭は第11代城主最上義光が築いた居館が原型。本丸、二ノ丸、三ノ丸を三重の堀と土塁で囲まれた全国有数の規模を持つ輪郭式平城で、東北最大。外郭である三ノ丸は現存する日本最大の天守がある姫路城の外郭や内曲輪よりも広い。本丸は御殿のみで天守はなかったが、二ノ丸には代用の三重櫓が建てられていた。本丸には御殿、二の丸には山形藩の政庁と御三階櫓が、三の丸には534人の上級、中級の最上家家臣団の屋敷、城外には1,326人の家臣の屋敷と寺院が町方を取り囲むように置かれ、長谷堂合戦で得た出羽57万石の本城となる。
「本丸一文字門」。
山形城は土塁で囲まれた城郭だが、城門のみ石垣が用いられている。二ノ丸や三ノ丸の出入り口はかぎ形に折れ曲がり、防御のための構造が至る所に見られる。
園内やその周囲には「旧済生館本館」「山形美術館」「最上義光歴史館」などの文化施設がある観光名所。
現存の二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後の元和8年(1622年)に城主となった鳥居忠政により整備されたもの。現在は武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しており、本丸、二の丸跡が霞城公園として一般公開されている。
春には約1,500本の桜が咲き誇る山形市随一の桜の名所でもあり、「霞城観桜会」が開催される。
【山形市(山寺)】
天台宗・宝珠山『立石寺(りっしゃくじ)』。正式名は『宝珠山阿所川院立石寺』⛰
通称『山寺(やまでら)』の名で知られる。
寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされているが、正確な時期や事情については諸説がある。
「対面石」。
慈覚大師が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎と大師がこの大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられている。
「蔵王国定公園」に指定されており、慈覚大師が開山した四寺(他は中尊寺・毛越寺、瑞巌寺)を巡る「四寺廻廊」を構成しているほか、若松寺と慈恩寺を含めて巡る「出羽名刹三寺まいり」を構成する。
「根本中堂」。
山寺の本堂。ブナ材の建築物としては日本最古。現存のものは延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼が再建したもの。堂内では大師作と伝えられる本尊・木造薬師如来坐像を祀り、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができる。
「日枝神社」。
立石寺文書の「立石寺記録」では、「開山」を円仁、「開祖」を安慧と位置づけており、子院の安養院は心能が、千手院と山王院は実玄が開いたとされる。
「芭蕉曽良像」。
鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東御祈祷所となり寺は栄えた。薬師如来坐像は元久2年(1205年)に修理されており、この時に本堂の修造が完了して十二神将像を造立した。後に兵火により伽藍を焼失し、13世紀中頃には幕府の政策により禅宗に改宗となった。
「鐘楼」。
延文元年(正平11年・1356年)、源氏の斯波兼頼が羽州探題として山形に入部した後、兼頼により再建され天台宗に戻った。
文明14年(1482年)、雪舟等楊が訪れ写生している。
「山門」。
古来、悪縁切り寺として信仰を集めている。
奇岩怪石からなる山全体が修行と信仰の場になっており、登山口から大仏殿のある奥之院まで1015段の石段が続く。石段は登ることにより煩悩が消滅すると言われている。
「四寸道」。
参道は絶佳の景観が広がる。
「せみ塚」。
元禄2年(1689年)に俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中で山寺の地を訪れている。その後、翁に連なる弟子たちが芭蕉が句の着想を得たと思われる土台石の下に、芭蕉の遺した短冊を埋め塚を立てた。斎藤茂吉をはじめ、多くの俳人・歌人も訪れた。
大永元年(1521年)、寺は天童頼長の兵火を受けて一山焼失。焼き討ちの際、比叡山延暦寺から分燈されていた法燈も消失した。天文12年(1543年)、天台僧の円海は春還芳公尼からの助成を受けて延暦寺に登拝、再度分燈を受けた。元亀2年(1571年)に延暦寺が焼き討ちされ法燈が消失すると、その再建時には立石寺から延暦寺へと逆に分燈された。
「弥陀洞(みだほら)」。
岩壁に仏の姿を見つけることができれば幸せになれるとされる。
「仁王門」。
江戸時代まで存在した十二支院のうち、現在は4つの院がその面影を残している。
「性相院」。
慈覚大師作と伝える阿弥陀如来を本尊とし、運慶作の毘沙門天を安置。明治元年(1868年)に山の善行院・極楽院を合併して現在に至る。
「金乗院」。
延命地蔵菩薩を本尊とし、他に千体・不動明王を安置。天保11年(1840年)、澄明旭海によって再建された。
「中性院」。
本尊は阿弥陀如来。明治元年(1868年)に不動院と合併した。背後の岩窟には新庄藩戸沢家歴代の石碑が建つ。道の向かい側には山形城主・最上義光公霊屋があり、最上一族の霊を本尊となる一寸一社の地蔵尊によって祀っている。
「華蔵院」。
本尊は慈覚大師作の観世音菩薩。
「三重小塔」。
国重要文化財。永正16年(1519年)建立。柱間一尺五寸ほどの小さなもので、他の塔と同様の工程で組み上げられた全国で最も小さい三重塔。
「大仏殿」。
像高5mの金色の阿弥陀如来が安置され、宗派を問わず供養に数多くの人が訪れる。
「如法堂(奥の院)」。
大師が中国で持ち歩いていた釈迦如来と多宝如来を本尊とする。参道の終点にあることから「奥之院」と呼ばれる。この道場で慈覚大師が初めた石墨草筆・一字三礼の如法写経行が護られている。
山形城主であった最上家と関係が深く、同家の庇護を受けていた。最上義守の母・春還芳公尼は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫にあたる最上義光も立石寺を保護。寺領1,300石が与えられている。最上氏と山寺の関係は、最上氏が改易される元和2年(1622年)まで続いた。
全盛期の江戸時代初期には2800石の朱印地・僧房100寺・僧侶300余人を有した。
「納経堂」。
山内で最も古い建物。奥之院で4年をかけ写経された法華経がここに納められている。
雄大な山々を背景に巨大な奇岩の上に建つ様は、山寺を代表する眺め。
「開山堂」。
大師の御堂。堂内には木造の大師像が安置されており、朝夕食と香が絶やさず供えられている。大師の命日である1月14日のみ開帳され、法要が行われる。
百丈岩の崖下にある入定窟には大師の遺骸が金棺に入れられ埋葬されている。
「五大堂」。
五大明王を奉る。舞台造りの御堂からは山寺の絶景を一望できる。
「御朱印」。
【山形市(市街地)】
宿泊のため、再び山形駅へ。
『霞城セントラル』
山形駅併設の官民複合型高層ビル。市内の建築物では最高の高さを誇るランドマーク。
最上階24階にある展望ロビーは無料で開放されており、市街地が一望できるブルージャイアント。周りはカップルだらけのブルーロック。
えちえちやん。
えちえちパラダイス。
腹ペコ。
『米沢牛の案山子』🥩
三大和牛のひとつとされ、数々の優秀賞を獲得しているブランド牛『米沢牛』の焼肉。ウマー。
酒と食料は買った。
『山形県郷土館 文翔館(山形県旧県庁舎及び県会議事堂)』
大正ロマンの薫りを今に伝えるレンガ造りと豪華な装飾。内部には約250名収容の議場ホール、2つの会議室、8つのギャラリー、展示室等を設置。シンボルの時計台は、現在日本で稼働している中で札幌の時計台に次いで2番目に古いもの。両棟とも国指定重要文化財。夜はライトアップが行われる。映画のロケ地としても使用されており、今では山形市内の代表的な観光名所となっている。
初代県令三島通庸の手により、明治10年(1877年)に山形県庁舎が、明治16年(1883年)に県会議事堂が建設されたが、明治44年(1911年)の大火により両棟とも消失。現存のものは大正5年(1956年)に完成したもの。
両棟は英国近世復興様式を基調とした建物で、渡り廊下で結ばれている。旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外廻りの壁面は石貼りで覆われている。昭和50年(1975年)まで県庁舎として使用されていた。旧県会議事堂はレンガ造り一部2階建てで、演奏会等の会場としても使用され、現在でも様々な催しに使われている。
昭和5年には新議事堂が建設され、その後旧議事堂は改造され事務室として使用された。
平成7年(1995年)、10年におよぶ工事が完成し、「文翔館」として開館。
『山形七日町ワシントンホテル』
レストランや宴会場を備え、1Fにはコンビニが併設。
大浴場「めぐみ湯」では、地下100mより汲み上げた蔵王水系の地下水を使用。200年の時を経て滲み出た恵みの湯
風呂入ってグビッとチューハイ流し込み
朝風呂にも入って良き目覚め
朝食は地元食材を使った山形の郷土料理をメインに、豊富な品ぞろえの和洋ビュッフェスタイル。
『いも煮』『玉こんにゃく』『山形県産つや姫』『山形県産牛すじカレー』など
【山形市(蔵王)】
『蔵王(ざおう)』
蔵王連峰・標高約900m地点。日本最大規模のスキー場「蔵王温泉スキー場」「蔵王温泉」「蔵王の樹氷」などで有名な、山形の代表的な観光地。
「樹氷通り」。
「蔵王ロープウェイ」
「蔵王山麓駅」〜「地蔵山頂駅」を結ぶロープウェイ。
標高1,331m地点の「樹氷高原駅」。
四季折々の景観を眼下に眺め、素敵な空中散歩が堪能できる。
ゲレンデがとけるほど広瀬香美やん。
Hello, 蔵王の樹氷。
『蔵王の樹氷』
標高1,661m地点の「地蔵山頂駅」。
蔵王連峰の特殊な気象条件と植生が織りなす、世界的に知られる“氷”と“雪”の芸術品。蔵王の冬の風物詩。
独特な形状で大きく成長した樹氷群は「スノーモンスター」とも呼ばれ、まるで自然が造り出したアートのよう。
特殊な気象条件によって、霧状になった氷点下の過冷却水滴を含んだ季節風がオオシラビソの木々にぶつかり、瞬間的に凍り付くことで大きく成長する。樹木に形成された霧氷の隙間に多くの雪が取り込まれて固くなっていくという流れを繰り返すことで形成された。
シーズンには「樹氷ライトアップ」が開催。多彩なライトに照らし出された樹氷群が織りなす風景は異世界に迷い込んだかのよう。雪上車に乗って観賞する「樹氷幻想回廊ツアー」も開催される。
「蔵王地蔵尊」。
高さ2.34m。37年もの長い歳月がかけられ、安永4年(1775年)に完成。建立後に遭難者が少なくなり、「災難よけ地蔵」と呼ばれるようになった。200年以上神聖な山々を守り続ける地蔵尊。
限られた地域にしか見られず、世界でもあまり類をみない。
ひとつとして同じものはなく、刻々変化するその姿は雄大で繊細。その美しい景観は世界でも評判で、一目見ようと訪れる人が絶えない。
「レストラン山頂」。
雲の上の絶景レストラン。季節とともに移り変わる大自然の風景を楽しみながら。
山形三元豚を使用した「豚の焼肉丼」
ウマー。
「蔵王温泉スキー場」⛷
単独のスキー場としては国内最大規模の面積を誇る、東北を代表するスキー場。変化に富むコースが数多くあり、コース幅・ゲレンデの広さ・宿泊施設の充実さから、日本スキーのメッカとされる。
蔵王の街が目前に広がる絶景コース。山頂から始まる5コースを繋げると、最長距離10kmを滑走することができるぞ
「蔵王樹氷原」。
銀世界の絶景。まるで空を飛んでる気分たぜ。
『蔵王温泉』。
標高約900m・高地のいで湯。日本屈指の古湯。
開湯は1900年前。日本武尊の東征の際、従軍した吉備多賀由により発見された。
寒い。膀胱やばい。
樹氷通りとこの「高湯通り」を中心に、情緒ある温泉街が広がる。
「下湯共同浴場 / 上湯共同浴場」。
全国でも有数の優れた泉質と豊富な湯量を誇る。
江戸時代になると蔵王権現への西側登山口として賑わった。
温泉街には3つの足湯、情緒ある3軒の共同浴場、5軒の日帰り温泉施設がある。
冬季以外は「蔵王温泉大露天風呂」が開放される。
温泉街で流れてる川っぺいやつ全部温泉っす。
「河原湯共同浴場」。
蔵王の湯は全国有数の強酸性硫黄泉。硫黄泉の皮膚・血管の若返りと殺菌・美肌効果から、「美人づくりの湯」として知られる。
街のいたるところから立ち上がる湯煙と、ほんのりと香る硫黄泉の香りに包まれながら温泉街散策を楽しめる
昔ながらの旅館、土産屋、食事処、カフェなどが建ち並ぶ。
高湯温泉、最上高湯とも呼ばれ、白布・信夫とともに「奥羽三高湯」に数えられる。
「ZAOセンタープラザ」。
蔵王温泉街の中心。ホテル、レストラン、土産店を兼ね備えた充実の温泉施設。
本日2回目の蔵王温泉は露天岩風呂
冷えた体に染みるぜ。泉質もばっちぐー。
さらば蔵王。今回は冬なので断念したが、いつか「御釜」にも行ってみたいと思てますネン。
【新庄市】
鉄道院(ぽっぽや)の雰囲気で旅感を味わっている。不器用ですから。
『新庄駅』。
宿泊は新庄で。ちょうど一年前にも寄ったこのビッグボスな地に、今年も訪れる事になろうとは。
『ホテルルートイン新庄駅前』
ラジウム人工温泉大浴場「旅人の湯」の後は、マッサージチェアーでグビッとチューハイ
朝は朝食ビュッフェが付いてるぜ
【北村山郡大石田町】
何年も前から行きたかったやつ行く。
バスVIP席やないか。ありがとう、おっさん
【尾花沢市】
『銀山温泉』
山道を越えて。周囲を山に囲まれた小さな谷間にある温泉郷。
温泉街には土産屋、食事処、カフェのほか、
共同浴場や足湯などもある。
温泉街の中心を流れる銀山川の両岸に大正末期から昭和初期に建てられた木造多層建築の旅館が軒を並べ、昔ながらの独特な景観を作り出している。
「和楽足湯(わらしゆ)」。
温泉街の中心にある足湯。銀山川のすぐそばで源泉をそのまま使用。
立ち並ぶ旅館の外装には鏝絵(こてえ)と呼ばれるカラフルな絵が描かれ、アスファルトには雪の結晶を模したタイルが埋め込まれている。
多くの旅館は建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築。
大正ロマンの風情溢れる漂う光景は、温泉街のシンボル的な風景。
まるでタイムスリップしたかのようなレトロな風景が広がる。
「能登屋旅館」。
ひときわ目を引く銀山温泉のシンボル的旅館。創業は明治25年(1892年)。国の登録有形文化財。
玄関エントランスの柱には鏝絵を施した流麗な装飾がなされ、正面にはバルコニーが付き、丸みを帯びた装飾など、大正モダンの洒落た意匠で広く親しまれている。
まるで映画「千と千尋の神隠し」の舞台のようだと話題。
「古勢起屋」。
部屋や館内は日本建築美を愉しむレトロモダンな空間。昔ながらのノスタルジーな佇まいを再現した源泉の風呂が魅力。
膀胱が 悲鳴をあげるよ 氷点下(川柳)。
開湯は慶長年間(1596-1615年)。かつてこの地に栄えた野辺沢銀山の鉱夫が発見したことによる。
山奥にある秘湯であったが、 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の舞台となった事で全国的にその名を知られることになった。
きめ細やかな霜降りのブランド牛「尾花沢牛」や、地元産のそば粉で作られた「尾花沢蕎麦」などの名物グルメもおすすめ。
周辺には「洗心峡」や「白銀の滝」など、風光明媚な自然スポットもある。
「瀧見館」。
尾花沢産蕎麦粉を使った"挽きたて・打ちたて・茹でたて"の蕎麦や、様々な懐石料理が味わえる温泉旅館。外激寒やし膀胱やべいし、絶景露天風呂にでも入ろう。
泉質はナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉。出羽の名湯として名様高く、細かな湯花が混じった乳白色の湯
深い雪に覆われる豪雪地帯の秘境であることから、雪見の露天温泉を楽しめるのも銀山温泉の嬉しいところ。
最高。
体はポカポカ。温泉でゆっくりしてたら外はすっかり夜に
夜の銀山温泉はより幻想的。
まるで絵画のような別世界。
ガス灯に暖かなオレンジ色の明かりが灯り、雪が降り積もった銀世界の街並みが一段とロマンティックに
その風景は多くの人を旅へといざなう。
5月〜10月の毎週末には、「花笠踊り」が橋の上で披露される。
冷えた体には、温泉と酒と鍋料理が待っている。
ノスタルジックな日本情緒が漂う
素敵な夢見れそう
【山形市(市街地)】
翌日の朝・再び山形駅付近へ。ここも氷点下のはずだが、最近のゲロキチ豪雪のおかけで、ここが春のように暖かく感じる
市街地で土産ショッピングして帰ろう。山形名物のさくらんぼなどもここでしっかり網羅
やっぱ冬に来て良かったな、山形。ナイス・ノスタルジック。
では、次は夏かな。「出羽三山」「鳥海山」「上杉神社」「蔵王の御釜」…
その時の楽しみとしてとっておこう。
ではまた会おうぞ山形よ⛰
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