はなちゃんは少し首をかしげて沈黙した。
「う〜んどうも頭の中で整理がつかないじゃの。
ところでみちはどこにおるんじゃの?
みちが現れてわらわを抱き上げて連れ戻してくれたのじゃが…。」
岩井テレサが少し俯いてからはなちゃんに言い、圭子さんの目から新たな涙が流れた。
「はなちゃん、みちは…灰になってしまったの。」
「なんと…。」
「いま、さととまりあがみちの灰を海に帰しに行っているわ…私達も立ち会おうとしたけど…さととまりあは申し出はとてもありがたいけれど、3人だけの時間を下さいって言ってね…。」
岩井テレサが静かに言うとはなちゃんがゆっくりと頷いた。
「そうか…現世から離れたのか…申し訳ない事をしたじゃの。」
俺達は沈黙してしまった。
「じゃがの、あの世界を知った者には、あの世界に入った者には生死の問題はもう小さい些細な事なのかも知れんじゃの。
わらわがこう言うのはいささか…変な事を言うようじゃが…みちは解き放たれたかもしれんじゃの。」
俺ははなちゃんに尋ねた。
「はなちゃん、あの世界っていったいどこなの?
天国とか死後の世界とか…。」
「あいや、彩斗。
あそこをなんと言えば良いか皆目判らんじゃの。
そしてあの存在をも…わらわにはとても判らん存在じゃの。」
じっと話を聞いていたポールがはなちゃんに尋ねた。
「はなちゃん、あの存在はいったい誰なのか…私にも見えたが、子供なのか、男なのか女なのか…悪鬼なのか死霊なのかも判らなかった。
私が今まで遭遇した存在にもあれほど掴み所が無い者はいなかったな。
果たして実在するのかさえも…しかし、私が見た物は幻覚や私が作り上げたイメージやビジョンでも無かった。
いや、確かに実在すると思えるのだが…。」
ポールはそこまで行って考え込んでしまった。
800年以上存在するポール・レナードでも頭をかしげてしまうような存在。
俺にもあの子供らしき者は見えたが、皆目あれが何なのか見当もつかなかった。
「わらわにも判らんじゃの。
あるいはこの星にいる存在かさえも判らんじゃの…。
とにかくわらわが見た物を可能な限り順番に話すのじゃが、それを聞いて考えてもらうしかないじゃの。」
俺達は頷いてはなちゃんの言葉を待った。
「わらわが最初に見たのは拘置所の独房じゃったの。
蜘蛛が一匹あの外道と話していたじゃの。
蜘蛛はあの外道に新たなステップに上がる時だと言ったじゃの。
そしてお前は選ばれた人間であると前に伝えたはずと言ったじゃの。
そして、わらわは見たじゃの。
あの外道は7歳の時に母親を失っておるじゃの。」
岩井テレサが頷いた。
「はなちゃん、確かにあの男は7歳の時に母親を病気で亡くしているわ。
その記録はこちらでも残っている。」
「そうか…それではあれは幻影では無いじゃの。
あの創始者がどこかの墓で喪服を着て悲嘆に暮れているあの男に近づいたじゃの。
創始者を名乗る男は新たな解放だと言っていたじゃの。
選ばれたお前に必要な事だと言ったじゃの。
あの外道は子供のころから絵を描いたり彫刻をしたりしていたが、どうも個性的過ぎて周りから気味悪がられていたようじゃの。
外道の母親だけが理解を示してくれていたようじゃの。」
「樹海地下の創始者が…。」
俺達はため息をついた。
「そうじゃの、あの創始者と名乗る男も実はあの場所にいたじゃの。
後で話すが、あの草原でな、海が見える草原であの不思議な存在と歩いた時じゃが、間違いなく子供の頃のあの創始者と名乗る者がいたじゃの。」
「創始者も操られていたと言う事なの?
つまり…正体不明な子供のような存在に…。」
「圭子、それは違うじゃの。
始めはわらわも一瞬それを疑ったが、あの存在は…何も命令めいた事や何をやるべきかなど一切言わなかったじゃの。
なんと言おうか…あれは善悪などとは遥かにかけ離れた存在じゃったかも知れんじゃの。」
「それは…はなちゃん、神と言う事か?」
「いいや違うじゃの四郎。
何と言うか…神と言うものの概念さえ小さく見えてしまうような…何か全ての源の様な…わらわには良く判らんじゃの。
さて、話を戻すとな、わらわはあの外道がもっと小さい頃の姿が見えたじゃの。
外道の子供がどこかの屋根裏部屋のような所でな…見ようによってははなはだ醜悪にも、またとても美しく見える…何と言うか…美醜などを超越したような絵を一生懸命に床に広げた大きな紙に描いていたじゃの。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「一歩間違えたらあの外道は物凄い芸術家になったのかも知れぬじゃの…あの創始者と名乗る奴が現れなければ…母親がもっと長く生きておれば…。
今となってはさっぱり見当がつかない事じゃが…。
そして、わらわが見たじゃの。
あの、不思議な存在を男なのか女なのか、子供なのかさえ判らぬ存在が、まるでどこかのベッドから夜中に抜け出したように花柄のパジャマを着た美しい存在がの。
あの外道が子供の頃の姿で絵を描いていた部屋の窓から外を見ていたじゃの。
窓の外の風景はの、何か物凄い光と荒れ狂う雲と物凄い風と…微かにものすごい悲鳴が、とんでもなく大勢の悲鳴や何か大きいな物が崩れる音などが聞こえて来ていたじゃの。」
岩井テレサが尋ねた。
「はなちゃん、その、不思議な子供のような存在は何か言った?
その、あの男の子供の頃の姿に。」
「テレサ、何も言わないで窓から子供の方を見てな、そして窓枠に置いてある木の実が付いた枝の切れ端を手に取ってな。
外道の子供の所に歩いて行ったのじゃの。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「外道の子供は絵を描き終わったようじゃったの。
そしてあの存在は振り返った子供に微笑んだじゃの。
そして外道の子供が伸ばした手を取って立ち上がらせると、屋根裏のドアの方へ歩いて行き、わらわにも顔を向けて手を差し伸べたじゃの。
そしてその存在が初めて口を開いたじゃの。」
「なんて?なんて言ったの?」
俺ははなちゃんに尋ねた。
岩井テレサもポールも四郎も圭子さんもはなちゃんを見つめた。
「君達が選べるんだよ。と、そう言ったじゃの。
わらわはあの物凄い状態の外に出て行くのが怖かった事を見透かしたようにそう言って微笑んだじゃの。
そして、あの不思議な存在はドアを開けたじゃの。
そして外は…穏やかに草原が広がっていたじゃの。
空はとても青く、所々に白い雲が浮かんでいてな、爽やかな風が吹いていて、遠くに穏やかな海が見えて微かに潮騒が聞こえて来たじゃの。
そして、外には沢山の子供が居ったじゃの。」
はなちゃんの言葉を聞いて俺は草原の情景を思い出した。
平和極まりないあの草原の情景を。
「子供たちはの、人間も悪鬼もいたじゃの、その服も時代がそれぞれ違うし、子供たちも日本人だけじゃなく、ありとあらゆる民族の子供達が笑顔でいたじゃの。
わらわ達はあの存在のあとをついて草原を歩いて行ったじゃの。
素晴らしく気持ちが良い物じゃったじゃの。
わらわ達はもっと海が見える小高い丘に行ってな、そこで皆が腰を下ろしたんじゃの。
あの不思議な存在がの、わらわ達の顔を笑顔で見回しての。
そして、わらわでもわかるほど普通よりも大きな月が青空に浮かんでいてな、木の実が付いた枝を持った手で月を差したんじゃの。
そして、また言ったじゃの。
君達が選べるんだよ、とな…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「そして気が付いたらみちに抱かれていたじゃの…気が付いたらここに戻っていたじゃの。
これがわらわが見た全てじゃの。」
俺達ははなちゃんが見た物の解釈に困ってしまって沈黙した。
岩井テレサもポールもじっと黙ってしまった。
続く
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