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2023年03月22日13:20

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1897年ころの日・露の労働運動

 「1897年6月2日の新しい法律(新工場法)では『工場主は労働者に日曜及び祭日の休息を与えなければならない。また一昼夜に11時間半以上労働者を使ってはならないという法律の要求』は、その不履行にたいするどういう刑罰によっても保護されていない。」
レーニン全集第2巻『新工場法』から引用。1897年夏にレーニンが流刑地で執筆したものだという。
 同じころの日本の動きとしては、1894年日清戦争。3年後、1897年労働組合期成会結成。3年後、1900年治安警察法制定・労働運動は実質的に禁止。翌年、1901年片山潜たちが社会民主党を設立。3日間で解散させられる。労働運動は似たような状況なのか。いや、ロシアにおいては「新工場法」はペテルブルグの労働者たちの大きな勝利であったようだ。戦いはペテルブルグから全国へ広がっていこうとしている。
そして3年後、1904年このようなロシアとこのような日本が日露戦争を開始する。



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