皆さんは男性と女性がともに共存するために、協力しあうために、
どんなことが必要だと思いますか。
性やジェンダーについて、どう思いますか。
女性の権利ときいてどんなことを思い浮かべますか。
女性が国会議員になったりして社会進出すること?
あるいは、女性らしさ(ジェンダー)から解放されること?
女性の社会進出がすすめば、
それだけ女性の声が政治に届きやすくなる、
それはあるけれど、
でも。
中国の昔の詩には奥さんの立場に立って詠んだ作品があるし、
紀貫之だって、和歌の教科書として書かれたとはいえ、
男が女の声を代弁することは、かならずしも不可能とは言えないと思う。
だから、国会議員を男女同数にすれば
女性の声が届くかというと
結論からいうと、そうはいえないと思う。
なぜって、国会議員という特権階級の女性が一般の子育てに追われる女性の権利を
代弁して謳いあげることは
男性がそうするのと同じくらいかどうかはわからないが、やはり難しいことだと思うから。
ひとは経験した以上のことを知ることができる。
限界はあるにせよ。
ただ、他者の立場に立つ想像力を持ちさえすれば、可能だと思う。
だから男性が代弁することは、あるていど可能だと思う。
ジェンダーでいえば、
男、女というくくりでなく、
それぞれがそれぞれの個性をもってそのひとらしく生きることを最優先する社会になれたらと思う。
子育ては女の生きがい、というのは幻想ではないかと
ここだけの話、思っている。
従来の仕組みでいうと、
母親が夢やじぶんの仕事を犠牲にして生まれ育つのが子どもであり
父親が金のために働いてじぶんを犠牲にして育てるのが子どもであることは
母と父の役割を交換することはできるかもしれないが、
誰かがやらなければならないことであることには変わりなく、
極論すれば子育ては
得られる喜びはもちろんあるだろうが、仕事や生きがいを奪われた親にとっては一種の負担である、というのは動かしがたい事実だ。
負担の部分はは社会全体で支え合いながらやればどうだろう。
無理に生きがいにしようとすると、
子どもにじぶんの果たせなかった夢を押しつけるようなかたちになってしまうといった弊害が出てきそうな気がする。
長田弘もいっていた、
期待しすぎることは子どもをだめにしてしまう、と。
子どもが自主性を身につけられるためには
まず親が、こころのゆとりをもって、
あこがれの職業に是が非でもついてほしいとかの思いこみを捨て、
できる子だから愛するとか、見た目が可愛いから愛するとかだけでなく、
存在そのものを許すような愛情を持つことがひつようだ、
でも、親も人間だからなかなか難しいけど。
持つよう努めるべき、って感じでしょうかね。
あ、話が逸れた。
わたしは漠然と思っているのです。
男と女は同等の権利を持つべきだけれど、
それは同質の権利ではない、と。
つまり、男も女も同じように人間の尊厳というか価値をもっているけれど、
まったく同じように扱われるべきとは限らない、ということです。
この日記はもしかしたらつづくかもしれません。
次回は、体の性とこころの性がズレていてもいいじゃない?
といった話をしたいような気がします。
ちょっとだけプロフィール。
夫との十年の結婚生活、死産を経ていまはシングル。
子育て経験はありませんが教師の経験はあり、
ひとを、人材を育てるということにはものすごく関心があります。
まだいささか雑多ですが、
わたしなりにひとつの考えとして提出しました。
男性の方、仕事をしながら子育てしている方、子育てにもっぱらたずさわっている方、子育てや結婚をためらっている方など、いろいろな方の意見をききたいです。
同時に、筋が通った異論・反論も歓迎いたします。
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