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2023年03月16日20:53

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生き物を飼うことはエゴだと思ってる(途中から閲覧注意あり)

生き物を飼うことは全て人のエゴだと思ってます。
そしてエゴだという自覚なしに生き物を飼う人を愚かだと思っています。
さらにエゴだと自称自覚していて「かわいそうだから飼わない」という人は偽善者だと思ってます。

という多方面への口撃から始まって(笑)


おいらのペット飼育の守備範囲はアクアリウムなのよ。
小物でも卵胎生メダカ、特にエンドラーズライブベアラーとあとエビ、貝、中国プレコ、このあたりに傾倒しているわけなんだけど、

なんかかんだで水槽歴40年ぐらいなんどもさ、まぁこれまで殺してきた個体数は1万匹を軽く超えるのよ。
三陸はるか沖地震と東日本大震災の時の2度の全滅が半分以上を占めるけど、そもそも小物で寿命が短い種を飼育しているので長くても2〜3年で世代交代しちゃうのね。

おらが飼っているのはたいてい外来種だし、仮に在来種だとしても地域外来種で飼育個体だから自然とは切り離されている存在でね、エゴが深いなぁと実感しているわけです。

でもやってる、飼ってる、
それはエゴだという自覚がありながらも好きだからなのよ。
好きだから飼育したいし繁殖させたいし世代交代して飼い続けたい、その私のエゴというか欲望があるので、自らのエゴの自覚がある上で飼育しているんです。

だってね、災害等があると彼らは高確率で死ぬんですよ。
今のところまだ東北電力に電気は頼りっぱだから地震や嵐で停電すると、まぁ高確率でいっちゃうわけだ。過去2度の大地震でもやられているし。

でもそれを知りつつも、覚悟しつつも、エゴだと自覚しつつも、他の人に迷惑かけないように彼らの世界を守ること、それだけがいまの私の存在意義なわけです。

うん、エゴだね。

んでね、かわいいかわいいだけで生き物飼うのはエゴじゃないって思ってる人は、本当に愚かだと思う。
エゴだと自覚していないから、そういう人は飽きれば捨てるんだと思う。
その時の言い訳として「自然に還してあげる」とか言いながら、自然には存在しない生き物を野に放つのだよ。
だから生き物を飼うことがエゴである自覚がない人は大嫌い。

そしてエゴだと知ってるから生き物飼わない、って人も偽善者でしか無いと思ってる。
人それぞれで飼えない人がいるのは仕方ないけど、飼えるような環境持ちながら「かわいそうだから飼わない」って人は、単に理由を付けて逃げてるだけと個人的には思ってる。

だってね、人のエゴでどこかから連れてこられて、人のエゴで品種改良されて、人のエゴで飼われて、人のエゴで捨てられたり廃棄されたりするわけよ。
だから人の群れの一員として、やれる範囲でやってくれ、って思うから、「かわいそう」でまとめて丸っと切り捨てるのは偽善者にしかおらには思えない。


話の途中ですが、私の言う生き物とは魚だけでなく、両生類も爬虫類も哺乳類も鳥類もそれ以外の動物も植物も菌もバクテリアのことも言ってます。


<ココから閲覧注意、家畜の話始める>

愛玩飼育でもこうなんだから、家畜についてはもっと思う所あるんよ。

おらは1月に解雇されるまで、養豚場で働いていたわけさ。
その農場で唯一ウソを付かず、サボらず真面目にやってたおいらだけど、あることに想いを巡らせていたわけさ。

それは"淘汰"、つまり殺処分のこと。

まず言っとくけど、家畜は経済動物なのよ。面倒見てある程度治療もするけれど、限度を超えて病気だとかケガだとか成長が悪いとかあると、人の手で淘汰しないといけないわけね。
工場で不良品を廃棄するのと同じ、何故なら経済動物は器物であって会社の持ち物であって経済的に成り立たなくなれば処分するの。なぜなら生きていると餌も食べるしスペースも取るし、時には他の家畜への健康被害も出ちゃうから。

んで淘汰する時は、まぁ普通はどっちかなのよ。
多くの人は生き物殺すのに抵抗があって「やりたくない」「かわいそうだ」ってなる。人のよってはそれで会社をやめることもある。
んで少数の人は喜び勇んで笑いながらやるのよ。まぁそれが本当に生き物殺すのが好きなのか、そう振る舞わないと平気じゃないのかしらんけど、そういう人もおる。

でもおらはどっちでもなかった。
おらは淘汰回数少ない方だけど、まだ小さい生まれてすぐの子豚を殺す時も、おらの部署のそこそこ育った若い豚を殺す時も、感情的には何も感じなかった。

ただ、

人のエゴで生み出され、人のエゴで育てられ、人のエゴで殺され、人のエゴで捨てられるのってなんだろうな

って思った。
ここで言うエゴは肉食したいってエゴだよね。だからって肉食批判するのもおかしいと思うけど、せめて食べてあげたいって思った。
でもそれも出来ないのよ。会社の持ち物ってのもあるけど、殺した時点で家畜は産業廃棄物として扱われちゃうのよ。だから勝手に食べてあげることが出来ない。

それを知った上で、そういう経験もした上で、私はエゴを内包し受け止めて生き物を飼うんだと改めて思い知ったわけだ。

血も出ないし叫び声もあげないけれど、こういうことは野菜などの栽培でもやっている。生長のために間引くし、出荷量の関係で廃棄することだってある。
だから全ての生き物でこういうことはあるんだよ。


だから愛玩飼育も家畜も野菜作りも果樹も微生物だって、人のエゴで良い悪いを決めて人の都合で育てたりする、そのことを実感した上でなお生き物が好きだと私は言いたい。


まぁ豚さんはおらの目にはウインナーに見えていたけどね。
だからみんなと違う意味で淘汰には矛盾を覚えていたよ。


もし将来、出来ることならば、生長が遅いという理由で淘汰される豚や、産卵ピークを過ぎたという理由で廃棄される鶏卵などを、なんとか飼って肉にしてあげたいと思ってる。見通しは全くたたないけどね。
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