真田幸村、島津義弘、島左近……家康が最も恐れた人物は誰?
https://realsound.jp/book/2023/02/post-1267166.html
この3人から選ぶのであれば、家康を切腹寸前まで追い込んだ幸村こと真田信繁。島津義弘や島左近は、関ケ原で直接相対した将兵たちからすればトラウマものなのだけれども、家康本人に脅威を与えることはなかった。
歴史ネタでは鉄板となりつつある「家康が恐れた男、多すぎ問題」。一口に「恐れる」と言っても、そのベクトルは様々あるわけで、恐れた男が沢山いてもおかしくはないのだろう。まぁそれを差っ引いてもニコニコ大百科の総勢37人(ジュリアおたあまで含む)には苦笑せざるをえないが。
家康が恐れた男、織田信秀。いや確かに6歳で人質として織田に連れて行かれているので、当時はおっかなかったとは思うのだけれども、人質交換以降は特に接点もないまま家康が9歳になった頃に信秀は死んでいるわけで、それで恐れた男と言われてもなと。
家康が恐れた男、柳沢信俊。誰かと思ったら武田旧臣から徳川旗本なった人で、徳川綱吉の側近として有名な柳沢吉保の祖父。徳川が武田に大敗した三方原にも、山県昌景麾下で参加していたという話で、そのへんを指して恐れた男なのかなと。
家康が恐れた男、島津家久。最近だと「豊久の実父」と書いたほうが通りが良いかもしれない。いや、家久の武略が驚異的であったことは何ら異議はないのだけれども、家康とはほとんど接点がないまま秀吉の九州征伐直後に早逝しているわけで、どこをどうやったら家康の恐れた男とになるのかと。あまりの接点のなさに、実は薩摩藩初代藩主の方の家久(義弘の子)との取り違えではないかと思ったのだけれども、そうなると家康から偏諱で「家」の字を与えられるくらいには友好的だった家久を、家康が恐れる理由が分からなくなるのだよなと。
意外に思ったのは、恐れた男たちに石川数正が含まれていないこと。徳川の軍法は知っているし、一時ほどではないにしても三河への影響力はあって、一揆扇動や国衆の調略などの可能性もあったわけで、ずいぶんと肝を冷やしたと思うのだけれども。まぁ歴史小説だと、豊臣への移籍は深い理由があってのことで、本心から家康に背いたわけではない…みたいなキャラ付けされていることが多いので、その影響で「恐れた男たち」入りできてないのかなと。
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