秀吉が「歴史」を学んでいれば、徳川の世は来なかった? 関東に根差す気風とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a197e4383e89bba15b51e0780ebd2f7777cac7c
関東が独立志向の高い地域である以上、相当の実力者かつ地域情勢にも通じていなければ統治できない。いくら大身であっても西国大名を連れてくるのでは不適切。東国の大身というと上杉景勝か家康ということになる。
実際、家康の服属以前は景勝が関東の取次をやっていたのだけれども、家康が服属したら共同での取次になり、気づいたら家康が取次になっていたのだから、景勝では足りないところがあったのだろう。やはり家康以外に選択肢はなかったのではないか。
まぁ秀吉が関東に移動して直接統治すればいいのだろうけれど、秀吉の権威が朝廷から与えられた太閤関白の位に紐づいている以上、天皇のいる上方から動くことは出来ないだろう。明治政府のように天皇ごと関東に移動というのも考えるけれど、江戸が第一都市として発展した後ならともかく、当時の関東に天皇を迎えることが出来るかというと、そんなことはないだろうと。
北条征伐から程なく亡くなる秀長のような、秀吉の分身となるべき身内さえいればなと思わないでもないが、室町幕府と鎌倉公方の関係を考えたら、そう簡単でもないだろう。そして、よく考えたら家康も妹婿で身内な件。
そもそもにして、家康を関東に封じ込めるための包囲網を構築していたのに、秀次殺害で秀次付きの大名が不穏になって、朝鮮出兵で武断派の大名が不穏になって、それらが全て家康のシンパになった結果、包囲網が機能しなくなっている。家康を関東に入れたのが問題なのではなくて、その後の判断ミスの方が問題なのだろうと。
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