28年前の1月17日。
あの激しい揺れは忘れられない。
実家は土砂崩れのあった西宮·仁川地区。
たまたま私の実家は被災しなかったものの、小中学校の同窓生3分の1が亡くなった。
地震前から父が西宮の大学病院に病気入院中。
父の被災状況を確認しに病室へ行ったら、窓から見る神戸方面は、まるで大空襲を受けたような黒煙で夕方のような暗さだった。
やがて、病院のご遺体運び出しに人手が足らなくなり私も手伝うことに。
さらに、死体袋も在庫がなくなり、工事用ブルーシートで手作りすることも手伝いました。
震災5日後から、大阪湾岸と瀬戸内海のヨットやモーターボートたちが大阪~神戸の物資海上輸送ボランティアを始めました。
私も毎週2日、クルーザーを操船して物資輸送しました。
■追悼行事コロナ禍前に回復へ
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7263855
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