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2022年12月31日04:48

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安倍晋三元首相の死去に伴う衆院山口4区補欠選挙を巡り、自民党所属で山口県下関市の吉田真次市議(38)が30日、立候補の意向を表明<安倍氏の妻昭恵さんからも12月半ばに打診を受けた<<

安倍 昭恵(あべ あきえ、旧姓:松崎、1962年〈昭和37年〉6月10日 - )は、第90・96・97・98代内閣総理大臣である安倍晋三の妻。

概要

グレース・ムガベ(左)と
東京都出身。生家の松崎家は、森永製菓創業家の森永家と繋がりが深い家系である[1]。聖心女子専門学校卒業後[2]、電通に入社[3]。衆議院議員の安倍晋太郎の次男である晋三と1987年に結婚。夫の晋三ものちに衆議院議員、さらには内閣総理大臣となったが、昭恵はラジオのディスクジョッキー、居酒屋の経営[4]など、政治家の妻としては異色の活動を展開した。森友学園瑞穂の國記念小學院では名誉校長を務めていたが、森友学園問題が浮上した際に退任した。同様に、加計学園御影インターナショナルこども園では名誉園長を務めていたが、のちに加計学園問題が取り沙汰された際に問題視された。大麻解禁[5]、反原発[3]、反TPP[3]など、夫の晋三とは正反対の主張を展開することもたびたびあった。2017年12月、「国内外における女性の社会参画推進への貢献」によりベルギーからレオポルド2世勲章グランオフィシエに叙勲[6][7]。

経歴
生い立ち
父は森永製菓社長を務めた松崎昭雄[8]。

聖心女子学院初等科、聖心女子学院中等科、聖心女子学院高等科を経て、聖心女子専門学校英語科卒業後、電通に入社。新聞雑誌局で勤務した[8]。

政治家の妻に
1985年、職場の上司を通じて安倍晋三を紹介される[9]。1986年10月、晋三と婚約[10]。1987年6月に結婚した。子宝に恵まれず、不妊治療を試みたり、養子縁組も検討したと『文藝春秋』とのインタビューでコメントしたことを、のちにBBCが報じている[11]。

1993年6月の衆院選で晋三は旧山口1区から立候補し初当選した。

1998年から2002年にかけて、晋三の地元、下関市のコミュニティ放送『COME ON! FM』で、愛称でもある「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務めていたこともあった[12]。

1度目のファーストレディ

左からローラ・ブッシュ、安倍昭恵、安倍晋三、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(2007年4月26日)

ローラ・ブッシュ(左)と(2007年4月26日)
2006年9月、晋三の内閣総理大臣就任によりファーストレディとなった。第1次安倍内閣発足時、昭恵は北海道洞爺湖サミット開催までは晋三が政権を維持できると予想していた[13]。

同年10月8日の晋三の大韓民国・中華人民共和国訪問でファーストレディとして実質的な外交デビューを果たし、その後も外国訪問の際には必ずと言っていいほど付き添った。中華人民共和国訪問の際に北京入りした昭恵は、友好の証しとして雍和宮の仏像を参拝。その後、全聚徳で北京ダックの宴会、政府要人と会談をしている。北京市月壇中学と中華人民共和国身体障害者連合会を訪問し、北京市月壇中学では日本国語の授業を聞いていた[14]。

彼女の活動については「米国型のファーストレディを意識している」との分析もある[15]。彼女の活動を補助する「内閣総理大臣公邸連絡調整官」なるポストが設けられ、宮家邦彦が就任した[16]。

晋三以外の候補者の選挙応援にもかかわるようになり、2007年1月28日に北九州市を訪れ、自由民主党、公明党推薦の市長候補者の柴田高博の応援演説を行った。彼女にとって初めての応援演説であり、選挙戦の最終兵器としての起用であったが、落選した[17]。第21回参議院議員通常選挙では21府県を訪れ遊説を行った。この選挙で自由民主党は大敗し参議院第一党の座を民主党に奪われたが、昭恵は、遊説では「声援ばかりが聞こえてきて、逆風を本当に肌で感じることができなかった」と述べている[18]。

晋三の内閣総理大臣辞任の際は、体調不良を3週間前から再三聞かされていたものの、辞任会見を開くことは事前に知らされておらず、友人からの携帯電話の電子メールで初めて知ったという[19]。

第1次安倍内閣後
入院中の晋三に対し、昭恵は政治家引退を勧めたが、晋三に「いや、それは違う」と拒否された[20]。

内閣総理大臣を辞任した晋三について、昭恵は「楽な道を捨て、茨の道を選んだ」[13]と評しており、晋三が参議院議員選挙惨敗後すぐに辞任しなかったことで「KY(=空気が読めない)」と批判されたことについては「今でも納得できません」[13]と述べている。晋三が政権運営に失敗した理由については、「本人が政権運営の面で突っ走ったこと」[13]を「マスコミに書き立てられたことが、支持離れを起こした理由」[13]と振り返っている。

2008年の第169回国会会期中、晋三と昭恵は私的なスキー旅行に出かけたため、メディアから批判された[21]。昭恵は自身のブログでスキー旅行の模様を公開している[22]。

2008年4月10日の、北京オリンピック開催に際し、チベットへの中華人民共和国の人権弾圧に対する抗議活動が世界中で繰り広げられる中、ダライ・ラマ14世がインドからアメリカ合衆国へ行く途中に日本へ立ち寄った。政府はダライ・ラマを敵視している中華人民共和国に配慮し、「政府として接触する予定はない」としていたが、昭恵がダライ・ラマと面会することとなった。日本国全体が人権問題を軽視しているわけではないことを国際社会に示す意図があったとされる[23][24]。

2011年3月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)取得[25]。修士論文は、「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活—NGOの寺子屋教育支援—」。

2度目のファーストレディ

2017年4月15日、新宿御苑にて夫の安倍晋三首相(左)と

安倍昭恵とメラニア・トランプ(米国のファーストレディ)、2017年11月6日
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自由民主党は民主党から政権を奪還し、総裁であった晋三が同年12月26日に内閣総理大臣に再就任(野田第3次改造内閣総辞職及び第2次安倍内閣成立)、昭恵も再びファーストレディ(内閣総理大臣夫人)となった。

2020年9月16日、第4次安倍第2次改造内閣総辞職及び菅義偉内閣成立に伴い、7年8ヶ月務めたファーストレディを菅真理子に引き継ぐこととなった。

第2次安倍内閣後
2021年2月23日、長年可愛がってきた愛犬「ロイ」が19年6ヶ月の生涯を閉じ、天寿を全うしたとインスタグラムで報告[26]。同年6月27日、熊本県のブリーダー崩壊により保護されたミニチュアダックスフンドの「ロン」(推定5歳)を「家族」として迎えたことをインスタグラムで報告[27]。その後も夫婦や愛犬の日常の様子や夫の地元である山口県や東日本大震災の被災地である福島県内で農業などに携わる様子などを投稿。

2022年6月18日、愛犬「ロン」が近所の公園でドッグランデビューしたことをインスタグラムに投稿[28]。同年6月22日、和歌山県みなべ町の梅農家で手伝いをしたことをフェイスブックに投稿[29]。これ以降、SNSは更新していない。

安倍晋三銃撃事件
2022年7月8日午前11時31分頃、夫の晋三が奈良市の近鉄大和西大寺駅前で参院選の応援演説中、市内在住の男性に改造銃で背後から2発撃たれ、その内2発目が命中し心肺停止状態になった[30][31]。一報を受けて昭恵は自宅から夫が搬送された奈良県立医科大学附属病院に向かうため、東京から新幹線で京都に向かい、途中、京都駅では関係者から連絡を受けた彼女の身を案じた弟・松崎勲(現・森永製菓株式会社執行役員)が合流。その後、近鉄で奈良の大和八木駅へ向かい、夕方までに病院に到着した。昭恵は人工呼吸器をつけてベッドに横たわっている晋三の手を握り「晋ちゃん、晋ちゃん」と何度も名前を呼び続けたが、晋三は同日17時3分に死亡が確認された[32]。

詳細は「安倍晋三銃撃事件」を参照
夫・晋三の死後
夫・晋三の遺体は、昭恵に付き添われ翌9日の午前6時前に搬送先の奈良県立医科大学附属病院を出発。およそ7時間半後の午後1時30分頃に東京・渋谷区の自宅に到着。到着時、自民党政調会長(当時)の高市早苗ら自民党執行部に迎えられた。その後、晋三と1993年の第40回衆議院議員総選挙での当選同期の内閣総理大臣・岸田文雄、晋三が官房副長官時代の総理大臣だった小泉純一郎、東京都知事の小池百合子らが弔問に訪れた。晋三の通夜は11日、葬儀・告別式は12日にいずれも東京・港区の増上寺で家族葬で営まれ、喪主をつとめた。また、8月25日には自宅で四十九日の法要が営まれた。

同年7月21日、自民党本部で開かれた清和政策研究会(安倍派)の総会に出席し、晋三の死去に伴う山口4区の補選について「立候補する考えはない」と話した[33][34]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%98%AD%E6%81%B5


安倍氏の後継候補、補選出馬へ 吉田氏、自民県連公募応じる意向
共同通信社 - 昨日 16:01
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 安倍晋三元首相の死去に伴う衆院山口4区補欠選挙を巡り、自民党所属で山口県下関市の吉田真次市議(38)が30日、立候補の意向を表明した。安倍氏の後援会が後継候補として打診していた。自民党山口県連は候補者を公募する方向で調整しており、吉田氏は応募する考えも明らかにした。

記者会見する山口県下関市の吉田真次市議=30日午前、下関市
記者会見する山口県下関市の吉田真次市議=30日午前、下関市
コピーライト KYODONEWS
 下関市で記者会見し、安倍氏の妻昭恵さんからも12月半ばに打診を受けたと紹介。「若いうちに国政で仕事ができる可能性があるということをチャンスと捉えてほしい」と声をかけられたという。

 会見では「安倍先生の遺志を引き継ぎ、日本が世界の中心で咲き誇る国となれるよう力を尽くしていきたい」と述べた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B0%8F%E3%81%AE%E5%BE%8C%E7%B6%99%E5%80%99%E8%A3%9C-%E8%A3%9C%E9%81%B8%E5%87%BA%E9%A6%AC%E3%81%B8-%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B0%8F-%E8%87%AA%E6%B0%91%E7%9C%8C%E9%80%A3%E5%85%AC%E5%8B%9F%E5%BF%9C%E3%81%98%E3%82%8B%E6%84%8F%E5%90%91/ar-AA15NwXe?ocid=msedgntp&cvid=90262c0adc6d493ea404b9d5369d0f0d


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