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2022年11月23日00:01

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11月23日の日記

今日の出来事:1885年−大阪事件、1943年−タラワの戦い:日本軍守備隊が玉砕、1963年−通信衛星による日米間のテレビ中継に成功

今日は、大阪事件です。1885年に起こった「自由民権運動」の激化運動の一つです。朝鮮に政変を起こし、日本国内の改革に結びつけようという発想に基づくものでした。大井憲太郎を中心に、景山英子や旧自由党の一部が参加しました。朝鮮半島に渡って改革派の独立党(金玉均ら)を支援し、立憲体制を築こうという計画が立てられました。国内での「自由民権運動」が政府の弾圧のため閉塞したため、海外に進出する事で日本の国威を発揚し、国内改革を図ろうと考えたものでした。爆弾を製造したり、資金を集めるために強盗も行われましたが、実行前に計画が漏れて139人が逮捕されました。大井憲太郎らは1889年、憲法発布の恩赦によって出獄しました。福田英子(景山の改姓)の著書、「妾の半生涯」には、この時の収監の状況が描かれています。北村透谷は「自由民権運動」に参加していましたが、「大阪事件」の際、強盗に誘われたため悩んだ末、運動を離脱しました。しかし、後に発表した長詩「楚囚之詩」は、この事件の影響があると言われています。

次に、タラワの戦い:日本軍守備隊が玉砕です。1943年11月21日から11月23日にかけて、ギルバート諸島タラワ環礁ベティオ島(現在のキリバス共和国)で行われた日本軍守備隊と米軍との戦闘です。米軍は「ガルヴァニック作戦」の一環として実施した作戦でした。1943年11月10日、レイモンド・スプルーアンス中将指揮のマキン・タラワ侵攻部隊はハワイの真珠湾を出撃しました。11月19日にタラワとマキンへ同時に事前攻撃が始まり、これより3日間、タラワは米軍の砲爆撃を受けました。11月21日午前4時、タラワ環礁の外側にいた米軍の輸送船から上陸第1波である125両のLVTが発進しました。舟艇群は環礁の西側の水路から礁湖への侵入を試みましたが、日本軍の西海岸の砲台が反撃し、上陸部隊は大損害を被りました。米軍は派遣艦隊の旗艦である戦艦「メリーランド」が艦砲射撃で反撃し、その主砲で日本軍の西海岸砲台を制圧しました。この後、米軍は島の砲陣地や機銃陣地に対して再び艦載機による攻撃を加え、午前6時20分には戦艦3隻、巡洋艦5隻が艦砲射撃を開始しました。米軍は礁湖内にも駆逐艦2隻を進出させて海岸線を砲撃しました。米軍は3個大隊の兵力を6波に分け、まず海兵隊員を乗せた第1波から第3波まではLVTで3分間隔で発進し、その後に戦車や野砲等の重装備を積んだ第4波以降の舟艇群が続きました。各波の上陸地点は西から第1大隊は「赤1区域」、第2大隊は「赤2区域」、第3大隊は「赤3区域」と分けられ、それぞれ担当する海岸の幅は約360mでした。上陸地点の450m手前にはリーフがありました。そのリーフに第1波の上陸部隊が近づいた時、日本軍守備隊は砲撃を開始し、米軍に甚大な被害を与えました。舟艇群に対して日本軍は海岸砲と機銃による攻撃を加え、ほとんどのLVT水陸両用車は海岸にたどり着く前に命中弾を受けました。第4波以降の上陸部隊も続々とリーフに辿り着きましたが、LVTではなく上陸用舟艇であったため、リーフを乗り越える事が出来ませんでした。日本軍守備隊は海岸から機銃で攻撃を加えたため、海岸にたどりつけた者はほとんどいませんでした。海岸にたどり着いた者は奥行き60m程度しかない砂浜の陸地側にある、高さ1.2mの防壁の側に身を潜めました。上陸した米兵約5000名のうち3分の1が死傷しました。上陸部隊の苦境を見た攻撃隊指揮官のデビット・シャウプ大佐は連隊予備の前線参加を命じ、さらなる艦砲射撃と航空支援を要請しました。島は再び砲爆撃を受けました。ジュリアン・スミス師団長は師団の予備兵力である海兵1個連隊の投入を決定しました。二度目の艦砲射撃により、日本軍の死傷者は急増しました。これを見た柴崎恵次少将は戦闘司令所を負傷者の治療所に提供し、自らは参謀や司令部要員を連れて外海側の防空壕に移りました。しかし、その防空壕に直撃弾が命中し、柴崎恵次少将は戦死しました。翌11月22日午前6時、米軍の増援部隊が海岸へ向けて進撃を開始しました。これに対し、まだ健在であった日本軍の海岸砲や迫撃砲が砲撃を開始し、「斉田丸」からも機銃攻撃が行われました。この攻撃により、米軍は再び大損害を被りました。特に「斉田丸」からの機銃攻撃は絶大な効果を挙げました。米軍は「斉田丸」に対して航空攻撃を行いました。米軍は工兵部隊による決死隊を編成して「斉田丸」に近づき、高性能爆薬を仕掛けました。その高性能爆薬により「斉田丸」は大爆発を起こし、「斉田丸」の日本軍の機銃陣地は沈黙しました。「斉田丸」を制圧した後、午後3時に米軍の1個大隊は「緑区域」と呼称された西海岸に上陸を開始しました。この1個大隊は後から上陸した軽戦車中隊とともに、島の南岸沿いを進撃しました。そして、上陸した米軍は南海岸に達し、日本軍の兵力を東西に分断する事に成功しました。翌11月23日、米軍は最後の1個大隊を「緑区域」に上陸させました。米軍の激しい攻撃により守備隊は後退していき、東地区守備隊の生き残り約350名は飛行場の東端陣地に集結して抵抗しました。分断された西地区でも守備隊が抵抗を続けていました。そして、この日の夜に日本軍の残存守備隊の約110名は、最後の突撃を敢行しました。突入は3回にわたって行われ、1、2回目は30名、3回目の突入は50名で行われました。いずれも同一地点を攻撃したため、米軍の被害は軽微でした。同じ頃、西地区守備隊の約50名も同様に玉砕しました。こうして「タラワの戦い」は終結しました。この戦いで、日本軍 の戦死者:4713名、生存者:軍人17名、内地出身軍属:14名、朝鮮出身軍属:129名、米軍の戦死者:1009名、戦傷者 :2296名でした。

最後に、通信衛星による日米間のテレビ中継に成功です。通信衛星とは、マイクロ波帯の電波を用いた無線通信を目的として宇宙空間に打ち上げられた人工衛星です。(Communications Satellite)「CS」と略されています。その出力が大きく、使用目的が衛星からの直接放送であるものを特に放送衛星(Broadcasting Satellite)「BS」と言います。1957年、当時のソビエト連邦が初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功し、その実現性が検討されるようになりました。当初は軌道上で安定に動作する中継機(トランスポンダ)の開発が困難であったため、受動型衛星エコー1号および2号の実験が行われました。テルスター衛星は初めての能動型通信衛星です。この衛星は1962年7月10日、NASAによりケープカナベラル宇宙基地から初の民間企業がスポンサーとなって打ち上げられました。その後、トランスポンダの数や帯域を増やし送信電力も高めたリレー1号衛星が1962年12月13日に打ち上げられました。このリレー1号を用いて1963年11月23日に行われていた初の日米間テレビ伝送実験中に、「ジョン・F・ケネディ米国大統領暗殺事件」が報道されました。その映像は当時のテレビ視聴者に強い印象を与えました。

今日の誕生日:東福門院和子、フランクリン・ピアース(第14代アメリカ合衆国大統領)、ビリー・ザ・キッド、カール・ゲープハルト、小林桂樹、白井義男、サイババ、田中邦衛、たこ八郎、栗本慎一郎、十朱幸代、小室等(元六文銭)、綿引勝彦、山口弘和(コント山口君と竹田君)、士郎正宗、林田健司、ドン・フライ、畑野ひろ子、岩崎ひろみ、三瓶、田中みな実、宮澤エマ 、永島優美、山川穂高、須藤凜々花(元NMB48)、中島美央(元Flower、元E−girls)、竹内朱莉(アンジュルム)、志田愛佳(元欅坂46)、幕之内一歩、天野アキ

今日の記念日:勤労感謝の日、外食の日、ゲームの日、ハートケアの日、お赤飯の日、Jリーグの日、珍味の日、小ねぎ記念日、分散投資の日、牡蠣の日、キンカンの日、キンレイ感謝の日、ゆず記念日「いい風味の日」

今日の「今日訓」:本日は、「勤労感謝の日」です。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。1948年に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」(祝日法)により制定されました。農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代・皇極天皇の時代に始まった「新嘗祭」の日が、第二次世界大戦後の「GHQ」による占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」です。「新嘗祭」は1872年までは「旧暦11月の2回目の卯の日」に行われていました。1873年に「太陽暦(グレゴリオ暦)」が導入されましたが、そのままでは「新嘗祭」が翌年1月になって都合が悪いという事で、「新暦11月の2回目の卯の日」に行う事としました。それが1873年では11月23日でした。しかし、翌1874年からは11月23日に固定して行われるようになりました。また、「勤労感謝の日」に便乗して「外食の日」、「ゲームの日」、「ハートケアの日」、勤労感謝の日を「ねぎらいの日」として「小ねぎ記念日」、牡蠣の需要のピーク直前となる「勤労感謝の日」に栄養ある牡蠣を食して日頃の仕事の疲れを癒そうと「牡蠣の日」、「11(いい)つまみ(23)」の語呂合わせで「珍味の日」、「いい(11)分散(23)」の語呂合わせで「分散投資の日」、 1992年にJリーグ初の公式戦が国立競技場で行われた事から「Jリーグの日」、「勤(キン)感(カン)」の語呂合わせで「キンカンの日」、「鍋焼うどん」など数多くの冷凍食品を製造販売する「株式会社キンレイ」商品を愛好してくださるお客様へ感謝する「キンレイ感謝の日」、「い(1)い(1)風(2)味(3)」の語呂合わせで「ゆず記念日「いい風味の日」」となりました。
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