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2022年10月31日04:55

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オフクロの誕生日。

10月30日(日)。

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7月12日はオヤジの誕生日だったが10月30日はオフクロの誕生日だった。

オヤジも良く働いてエラかったが、オフクロも良く働いた。
まだ二畳に住んでいたボクが小学校に上がる前、オフクロは近くの工場に働きに行き、昼食と夕食の時に帰って来て、また働きに行き夜9時まで残業していた。

それから直ぐに近くの六畳一間の長屋に引っ越したが、ウチは近くに住む人たちより比較的早くテレビが入った。
学校から帰ると近くのオバさんたちが煎餅や甘納豆をつまみながら、歌舞伎を見ていた。
オフクロに文句を言うと、「しょうがない、あの人たちはテレビががない、お前はいつでも見れるんだから我慢しなさい」とのことだった。
あの頃の長屋はオープンだったなあ、そして歌舞伎のテレビ中継なんてやっていたのだなあ。

小学校6年の時だった。
お腹が痛い。
何日も前からお腹が痛い日が続いた。
オフクロに言うと「正露丸を飲んどけ」と言うので飲んでも痛さは取れない。
学校でも痛くて授業に身が入らない。
忘れもしない。
火曜日だった。
その頃、TBSテレビで夜10時に30分番組のメロドラマをやっていた。
オフクロはそれを楽しみにして近所のオバさんも集まり見ていた。
ボクが「お腹が痛い」と訴えると、やっぱり「正露丸を飲んどけ」と言うばかりで、「痛い痛い」と繰り返すと「このテレビが終わるまで待っておけ」と言う。
さすがに見かねた近所の人が「奥さん、これは病院に連れて行った方がいい」と言ってくれて、近くの医院に行った。
診断は盲腸。慢性だったらしくもう少しで死ぬところだったらしい。
その夜のうちに手術を行った。
局部麻酔で今もあの時の金属音、先生と看護婦の微かな会話が蘇る。
大きくなってから「死にかけた、殺されかけた」と言うと照れ臭そうに笑っていた。

オフクロは良く働いた。
毎日、カレンダーに自分の勤務した時間を書き込んで給料日を楽しみにしていた。
ボクが東京に出てから「ステレオが欲しい」と言うと気前良く10万円送ってくれた。
後で聞いた話だと自分の生家が廃墟になったのでオフクロが一人で再建費用を賄ったらしい。

オフクロは良く働いた。
もう貸家暮らしをやめて家を建てて引っ越してから、オフクロは近くの神社の食堂に働きに行っていたが、大晦日から正月にかけても働きに行こうとするのでオヤジと姉と3人で「正月くらい休んだら?」と説得すると「正月だから働くんだ、年末年始の客がいっぱい来る」とのことでそれ以来、オフクロを説得するのは諦めた。
だから家族揃って紅白歌合戦を見た記憶がない。

オフクロは80才で亡くなった。
姉と「早かったよね〜」と言い合っている。
ありがとう。今更ながら自分がどれだけダメで未熟な人間か思い知っていますが、まあボチボチ生きて行きます。
ありがとう。


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