■祭りの山車がUターン中に突然後退、ひかれた男性死亡 愛知県豊田
(朝日新聞デジタル - 10月15日 18:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7149587
自分の街には「くらやみ祭」があるが、担ぎ手たちは、混雑している市中、それも路上喫煙禁止地域でタバコを吸い、吸殻をあたりに捨てる。
集まった若者の喧嘩を通報したこともある。
祭が「輩の憂さ晴らしの場でしかない」とまでは言わないし、
「伝統?じゃあ、おまえ、あすからちょんまげな」そんな揶揄もしない。
我々は、たくさんの慣習を「陋習」「蛮行」「差別的」「不合理的」
等々の理由で廃棄してきたのだ。
発話のコンテクストにも依存することではあるけれど、
「伝統・伝統的」という言葉が「何を含意しているのか」ということには
留意するようにしている。
大人は愚行権を持つことを理解している。
ただ、それへの希求を「伝統」だと主張することには
もろ手を挙げて賛成はいたしかねるし、
それが「長い間継続している習俗」だとしても、
「だから即これからも続けるべきことだ」とは言いえないということ。
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