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2022年08月19日23:55

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キリスト教のフリーメーソン批判、フリーメーソンの十戒

カトリック教会

フリーメイソンリー批判において、最も歴史の長い宗派は、ローマ・カトリック教会である。教会の教理に真っ向から矛盾する自然主義的な理神論を唱えていることから、カトリック教会によるメイソン批判がなされてきた。こうして、数名の教皇達の回勅が、フリーメイソンリーに反対して発布された。その最初のものは、教皇クレメンス12世の1738年4月28日の回勅であり、最後のものはレオ13世の1890年10月15日の使徒的書簡である。1917年発布の教会法は、特にフリーメイソンリーに入会する者は必然的に破門になると明白に謳っている。また、同年の教会法ではメイソン的と思われる書籍が禁止されている。 1983年になると、教会は新しい教会法を発布した。それは、前の教会法のように、メイソンの団体を秘密結社であると名指しでは批判をしていないが、以下のように記している。 「反教会的な陰謀を持つ結社に参加する者は、即座に処罰を被る。そのような結社を助長したり、入会したりする者は、聖務禁止の罰を被る。」 ここでメイソンという表記がなくなっていることから、第二バチカン公会議によりリベラル化した教会においては、カトリック信者のメイソンリーへの参加禁止の態度が変化したのではないか、という考えを、カトリックの側でもまたメイソンの側でも引き起こすことになる。 しかしながら、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後のベネディクト16世)は教理省長官として、メイソンの組織に対して以下のように公に宣言している。

「メイソン組織に対する教会の否定的な判決は、彼らが教会とは相容れない教義を持つようになって以来、変わることなく残っている。それゆえ、そこに参加する者達は、除外された状態であり続ける。メイソン組織に登録される信者は、大罪の状態にあり、聖体拝領に与ってはいけない。」

それゆえカトリックの考え方によると、メイソンのロッジへの参加はいまだに破門に該当する行為であり続けるということになる。一方、フリーメイソンリーはカトリックとの友好関係の構築に反対しているわけではない。英連邦グランドロッジとそれに連なるロッジ群は、教会の主張を否定して「フリーメイソンは宗教ではなく、宗教の代理でもない」としている。

プロテスタント

カトリックの訴えとは対照的に、プロテスタントの側からの批判は、フリーメイソンが神秘主義、オカルト主義、悪魔主義であるとする見地に根ざしているようである。たとえば、メイソンの学者アルバート・パイクは、しばしばプロテスタントによって、メイソンの権威的な立場にいる者として扱われる。しかし、パイクは博識ではあるが、公的な情報だけに依拠するなら、議論の対象になっているようフリーメイソンリーのスポークスマンではなく、さらにはこうした批判は、19世紀の合衆国で孤立していた南部のフリーメイソンリーに対する姿勢と無理解に基づいているとフリーメイソンリーによって主張されている。 自由メソジスト教会の創始者であるB.T.ロバーツは、フリーメイソンリーに対する19世紀中盤における反対者であった。ロバーツは道徳的見地から、この組織に反対し、言及している。 「ロッジの神は、聖書の神にあらず」 ロバーツはフリーメイソンリーを神秘主義か代替宗教(宗教にとってかわろうとするもの)とし、自分の教会において、フリーメイソンの大臣を支持することがないよう推奨した。秘密結社からの自由は、自由メソジスト教会の「自由」の由来の一つでもあった。

聖公会

フリーメイソンリーの創始以来、多くの英国国教会の主教は、メイソンになってしまい、大主教ジオフリー・フィッシャーもそのような一人であった。過去において、英国国教会では国教会の教えとメイソンの実践に矛盾が生まれるとする者は少数だった。しかしながら過去何十年かにおいては、特に教会の福音的勝利のために、国教会でフリーメイソンリーに対する議論が話題に上ることもあった。現カンタベリー大主教であるローワン・ウィリアムズ博士は、メイソンの儀式に対するいくつかの懸念を持っていることを明らかにし、一方で国教会での内や外でのメイソンの犯罪行為を耐え難いとしている。一方で、2003年には、英国のメイソンリーに対して、自身がモンマス主教であった時に、キリスト教とメイソンの信条は相容れないとし、自分の管区内における上級職へのメイソンの任用を妨げたことについて、謝罪の必要性を感じているという。

正教会

1933年、ギリシャ正教会は、フリーメイソンであることは背教行為の構成要件となると声明し、したがってそのような者は、痛悔し、メイソンリーを抜けるまで領聖できないとした。これは正教会の終始不変の見解とされている。フリーメイソンリーに対する正教会の論評は、「フリーメイソンリーはそれが神秘主義や秘密主義、あるいは理神論を信奉する秘密結社である限りにおいて、キリスト教とあらゆる点において、共存することができない。」とするカトリック教会やプロテスタントの従来の主張を支持している。正規のフリーメイソンリーは、伝統としてこれらの主張に対して、しばしば英連邦グランドロッジに連なるロッジ群の「メイソンは宗教でなく、宗教に代わるものでもない」とする以上の反論はしていない。近年では、しかしながら、こうした姿勢は変化しつつあり、多くのメイソンのウェブサイトや出版物が、これらの批判に反論している。

・キリスト教とフリーメーソンとは、本質的に対立しているから、フリーメーソンに入会すると、キリスト教を捨てることになる。
教皇レオ13世のことば(1892年)

・フリーメーソンは、悪魔のシナゴグ(会堂)である。
教皇聖ピオ10世(1914年)のことば

・教会の最大の強力な敵は、フリーメーソンである。
聖マキシミリノ・コルベ(1917年)

・フリーメーソンおよびそれに類似する秘密結社に入会する者を破門する。
教皇ヨハネ・パウロ2世のことば(1981年)

・教会の上層部にさえ忍びこんだ無神論とフリーメーソンの諸勢力は、ひそかな、あざむきやすい方法でこのマリア年(1988年)をボイコットしようとして連合したのです。
聖母マリアのなげき(1988年)
「聖母から司祭へ」(164ページ)

 1738年、教皇クレメンテ十二世は、フリーメーソンを断罪し、フリーメーソンに加入するものはすべて破門した。その姿勢は、とくにベネディクト十四世、レオ十三世、ピオ九世などに強く受け継がれ、今日に至っている。
ヨハネ・パウロ二世も1981年3月2日

「フリーメーソン及び類似の秘密結社に入会した者は、教会法により破門になる」

と新たな声明を発表した。

教皇レオ13世 フリーメイソンについて 1『フマヌム・ジェヌス』
http://gokyo.web.fc2.com/savebox/leo13-humanum_genus-ja.html

「私の子供たちよ、私は再びサタンの秘密結社に加わらないように、あなたたちに警告します。それは本当にサタンの会堂がです。これらの秘密結社は、兄弟愛、博愛、人類同胞主義などのラベルを身につけています。しかし、私の子供たちよ、どんなことをいっても、あなたがたの信仰をくつがえそうとしているのです」

「惑わされてはいけません。ああ、わが子の家(教会〉の指導者たちよ。フリーメーソン主義を容認するという誤りを受け入れてはなりません。あなたたちの先輩にあたる聖職者たちのすべてが、フリーメーソンをサタンの会堂(シナゴーグ)として断罪してきたのは、理由のぁることです。兄弟愛、博愛、人類同胞主義を主張する者たちの誤りと欺きに陥ってはいけません。なぜならそれは、その自然主義、唯理論においてどんな神を認めているのですか。その神は天の父なる神ではありません。わが子(イエズス)ではありません。そのような秘密結社に入る人間に対して、それは破滅をもたらすでしょう」

 1976年11月1日に於ける聖毋マリアのメッセージです。

しぜん‐しゅぎ【自然主義】の解説

出典:精選版 日本国語大辞典

しぜん‐しゅぎ【自然主義】
1哲学で、自然を唯一の実在・原理として、精神現象を含む一切の現象を自然科学の方法で説明しようとする立場。

自然科学(しぜんかがく) の意味

出典:デジタル大辞泉(小学館)

しぜん‐かがく〔‐クワガク〕【自然科学】の解説自然界の現象を研究する学問の総称。実験・観察・数理に支えられて、対象の記述・説明、さらには事実間の一般法則を見いだし実証しようとする経験科学。ふつう天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分ける。

●唯理論【ゆいりろん】
精選版 日本国語大辞典
ゆいり‐ろん【唯理論】
?名? 超自然を排して、自然の理に訴えてすべての事象を解釈する立場。ナチュラリズム(自然主義)の古い訳語。合理主義。〔哲学字彙(1881)〕

出典:デジタル大辞泉(小学館)

「合理主義」の意味合理主義(ごうりしゅぎ) の意味

ごうり‐しゅぎ〔ガフリ‐〕【合理主義】の解説1 物事の処理を理性的に割り切って考え、合理的に生活しようとする態度。2 哲学で、感覚を介した経験に由来する認識に信をおかず、生得的・明証的な原理から導き出された理性的認識だけを真の認識とする立場。経験論に対比される。デカルト・スピノザ・ライプニッツ・ウォルフなどが代表的。合理論。理性論。唯理論。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

合理主義哲学ごうりしゅぎてつがく
合理主義哲学は、17-18世紀の近代哲学・認識論における一派。大陸合理主義、大陸合理論とも呼ばれる。

フリーメーソンのカトリック教会破壊の十戒

1.ペトロの磐を粉砕する。カトリック教会には約2500名の司教がいる。すでに教皇の権力が取り去られつつあるように、司教からも権力を取り去らねばならない
2.子供の良心を変える。父と子の関係から同胞意識(仲間意識)という関係へ心を向けさせる
3.カトリックの伝統を根絶する
4.福音を空洞化する。宗教的真理を疑問視させる
5.典礼の改革、ラテン語の廃止
6.祈り、犠牲、つぐないを少なくする
7.悪の意識を根絶する。罪は個人のものではなく、環境によって作られるように納得させて、罪の責任を回避させる
8.聖体におけるキリストの現存を否定し、礼拝における敬虔の雰囲気を失わせる
9.信経(信仰宣言)を伝統的のものから現代人の考えに合うように変更して、その効果を失わせる
10.神の母マリアの信仰を除去する

イルミナティのカトリック教会破壊指示書

1.カトリック教会の守護者聖ミカエルを、ミサ中であろうとなかろうと、すべての祈りから取り除け。それは(人々を)キリストから引き離すと言え。
2.金曜日に肉を食べないことや、断食のような四旬節中の償いの習慣を止めさせよ。いかなる自己否定の行いをも止めさせよ。喜び、幸福、隣人愛の行いで置き換えよ。キリストはすでに私たちのために天国を勝ち得ているから、人間の努力は役立たないと言え。
3.ミサを改訂し、非聖化するためにプロテスタントの牧師を集めよ。まことの現存を疑うように扇動し、聖体は単なる食事と象徴にしか過ぎないというプロテスタントの信念に近いものだと断言せよ。
4.すべてのラテン語の典礼、信心、歌を止めよ。それは何を言っているのかわからない占いだと暴露せよ。そうすれば、人々は司祭がラテン語をもう使わなくなるのを見て、自分たちより優れた知性を持っているとは考えなくなるだろう。
5.教会でヴェールを被らないように婦人たちを励ませ。髪は性的なものである。そして女性が侍者や司祭になるように教会に要求せよ。それを民主主義的理想に基づかせよ。女性解放運動を始めよ。
6.ホスチアを拝領するとき、跪くのを止めさせよ。聖体拝領のとき子供たちが両手を合わせているのを止めさせるように修道女に言え。神はありのままの彼らを愛するのだと言え、そして、彼らがミサ中に完全にリラックスするようにさせよ。
7.聖なるオルガン音楽を止めよ。ギター、口琴、太鼓、足踏みを持ち込め。これはイエズスとのいかなる個人的祈りや会話をも妨げるだろう。イエズスが子供たちを宗教的召命に呼ぶ時間を与えてはならない。
8.神の母や聖ヨゼフに対する聖歌を汚せ。それを偶像崇拝と呼べ。プロテスタントの歌に取り替えよ。これは、プロテスタントが真の宗教で、少なくともカトリック教会と同等だと、カトリック教会が最終的に認めているのだということを意味するだろう。
9.すべての聖歌を取り替えよ、イエズスに対するものでさえ。聖歌は幼少期において自己否定と神への償いの宗教的生活によって受けた甘美な平安を思い起こさせるから。以前の典礼はともかく間違っていたと人々に確信させるために新しい歌を持ち込め。それぞれのミサで、最低一つはイエズスに決して触れずに人間愛について語っている歌を用いるよう確かめよ。
10.祭壇からすべての聖人の聖遺骨を取り除け、それから、祭壇自体を取り除け。サタンに捧げる黒ミサのときに生きた人間を捧げるのに使えるように、あり合わせの、祝別されていない机と取り替えよ。教会でのミサは、聖人の聖遺骨を備えた祭壇の上でのみ献げるという教会法を廃止せよ。
11.聖ひつの聖体の前でミサをする習慣を止めよ。いかなる聖ひつもミサに用いられることを許すな。机(祭壇)を夕食台のようにせよ。それは、それが聖ではなく、会議机やトランプ台のように、他の目的にも使えることを暗示するように持ち運べるようにせよ。後に、この机に少なくとも一つの椅子を備えよ。司祭をそこに座らせよ。聖体拝領後の態度が司祭が食後休んでいることを意味するように。ミサのとき、決して司祭に跪いたり、片膝を曲げたりさせるな。……人々は食事時に跪かないのだろうか。
12.聖人を少しずつ教会の典礼歴から取り除け。福音書に記されていない聖人について、司祭が話す権利を禁ぜよ。それを好ましく思わないプロテスタントが教会にいるかも知れないからだと言え。
13.福音書の朗読を紹介するとき、聖という語を取り除け。聖ヨハネ(または他の)による福音書というところを、ただ単に、ヨハネによる福音と言え。これは、人々はそれらをもはや崇敬すべきではないということを意味するだろう。プロテスタントのと同じになるまで聖書を改訂し続けよ!
14.すべての個人的祈祷書を取り払い破壊せよ。これは聖心・聖母・聖ヨゼフの連祷や聖体拝領のための準備を止めるだろう。それは同様に、聖体拝領後の感謝の祈りをも形だけにさせてしまうだろう。
15.すべてのご像と天使の絵を取り除け。われわれの敵の像を周囲に持っている必要があろうか?それは神話、または、おとぎ話だと言え。
16.下級品位の悪魔払いを取り除け。そうするように全力を尽くせ。本物の悪魔などいないという考えを売り込め。それは悪を意味する聖書の方法であって、悪者なしに良い話はできないと言え。そうすれば、彼ら地獄も信じないだろうし、そこに行くことも決して恐れなくなるだろう。地獄は神から離れること以外のなにものでもないと言え。そこには何の悪いことがあるだろうか。
17.イエズスは単なる人間で、兄弟姉妹を持っており、支配者階級を憎んでいたと教えよ。彼は、売春婦の仲間、とくにマグダラのマリアを愛したと言え。彼は教会や会堂が大嫌いだったと言え。
18.修道女たちの虚栄心、魅力、美貌をそそることによって、彼女たちを還俗させることができるのを忘れてはならない。修道服を変えさせよ。それは自動的にロザリオを投げ捨てさせるだろう。修道院内に意見の相違があることを世に示せ、そうすれば、召命は枯れるだろう。
19.すべての公教要理を焼き払え。神の愛の代わりに、神の民の愛を教えるように宗教教育者に言え。彼らに人前をはばからず愛するのは成熟している印だと言え。セックスを宗教の授業の共通語とせよ。セックスを新しい宗教とせよ。
20.修道女の召命数の減少によって、すべてのカトリック学会を閉ざせ。修道女は、まさに低賃金の社会福祉労働者で、教会は彼女たちで富を得ていると言え。カトリック校に勤めている平信徒の教師の給料は国立学校並みにするよう要求すること。
21.大学の絶対支配権を滅ぼすことによって、教皇を滅ぼせ。政府は喜んで資金をはずんでくれると言うことによって、大学を教皇から引き離せ。無限罪の御宿りのスクールをコンプトン・ハイスクールに変えるなど、ミッション系の学校の名称を世俗的名称に変更せよ。それを、エキュメニカルと呼べ。
22.その職務に年齢制限をおくことによって、教皇の権威を攻撃せよ。年齢制限を少しづ下げさせろ。教皇の過労を防ぐためのものであると言え。
23.司教会議を設置することによって、教皇を弱体化させるよう激励せよ。イギリス国王が上院と下院に支配され彼らから指令を受けているように、教皇も表看板に過ぎなくなる。それから、司祭レベルの会議を設置して、司教の権威を弱める。司祭は、最終的に望む名声を得られると言え。それから、司祭を支配する平信徒グループを結成させて、司祭の権威を弱めよ。枢機卿さえ教会を去るほどに、憎悪が高まってくるだろう。教会は、今や民主主義になったのだといえ。新しい教会組織を称えよ。
24.平信徒から寄せられる尊敬を失わしめることによって、司祭の召命を減らせ。一人の司祭の政治スキャンダルによって、千の召し出しが失われることだろう。好きな女のためにすべてを捨てる、落ちこぼれ司祭をほめたたえよ。彼らを英雄とたたえよ。還俗した司祭を褒めちぎり、彼らは司祭職ができなくなるよう圧力をかけられた殉教者なのだと言え。
25.司祭不足を理由に、教会を閉鎖に追い込め。それは経費節約のための、正しい経済行為なのだといえ。神はどこででも祈りの声を聞くのだから、教会は浪費にすぎないと言い広めよ。
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