九火なりの「ラップ講義」その1
つぶやきでも書いたけど、最近『「ラップ」と「ダジャレ」の違いは?』を考えてみて九火なりに途中経過をご報告します。
まず第一に九火は、「日本には“同音異義語をダジャレと結びつけやすい”概念がある」って思いました。
ラップと言うモノを知る前に、日本人は昔から同音異義語(似てる言葉)に囲まれてて頭の中で無意識に「単語を聞いたら意味を探る」思考回路が出来上がっている。
それは話し手の言葉を理解して、話の辻褄を合わせるために必要な事。
でも、その反面で「本来の意味」とは「別の意味」にも変換出来てしまう事も理解してしまうので「ダジャレ」に思えてしまうんです。
・布団がふっとんだ
・アルミ缶の上にあるミカン
・仏像がぶつぞっ!?銅像はどうぞ。
そんな事が繰り返されていくと「ダジャレのつもりで言ったわけじゃないのに偶然、ダジャレになってしまう」なんて事も起こります。
ここで悲しいのが、どんなに言った方が「ダジャレのつもりじゃない!」と抗議しても聞いた方が、そう捉えてしまえば問答無用でダジャレだと思われてしまうんです。
これが!!「ラップてダジャレみたいなもの」と言われてしまう原因!!
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