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2022年06月26日22:11

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プーチンとマクベスから源頼朝の死因を推理しました

鎌倉幕府の公式史『吾妻鏡(あづまかがみ)』には、初代将軍・頼朝の死に関する記述が抜けていて謎とされている

大河では病死、ノイローゼ気味の説を取っている

頼朝が建久9(1198)年の12月27日、その橋のそばで落馬し、その怪我がもとで亡くなった橋を再建すべきか、やめるべきかを実朝と家臣たちは議論していたが、その記述から考えると、「頼朝は落馬事故がもとで亡くなった」というふうに家臣や子ども達の間では語り継がれたに過ぎない

頼朝の死の当時、京都では公家たちが、口々に源の死因について自分の聞き知った「事実」を日記に書き記している「頼朝は糖尿病で死んだ(『猪熊関白記』)」、歌人の藤原定家によると「疲労による突然死(『明月記』)」

絶対権力が如何に人間の性格を変えてしまいます。独裁者は自分自身と他者への関わりを現実的に見る視点を失い、独裁者は自ら自分の旁辺縁系を機能不全にしてしまう。ゆえに彼等の末期には傍から見ていても狂ったように見えます。

脳は絶対権力を行使するようには出来ていない。心理的にも柔軟性が欠けているため、猜疑と権力欲に衝き動かされて破滅への坂を転がり落ちてゆきやすい。

「俺は、もはや恐怖の味をほとんど忘れてしまった。ありとあらゆる恐怖を食らいすぎたのだ。いまや何が起ころうと、人殺しの俺にとってはもう馴染のもので、怯えを感じることなどない」(マクベス)プーチンの心理推理からの考察です

悪に染まり切って後戻りできなくなってからのマクベスの姿をプーチンに例えていますが、プーチン程、確実な軍事力をバックにしていない頼朝は心の葛藤が肉体に来ていてもおかしくないと私は考える
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