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2022年06月18日16:56

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知床半島沖KAZU1事故35

オンネトーに新たな観光拠点 足寄町職員の推しスポットとは…
06月10日 20時28分

道東の自治体の職員に地元イチ押しのニュースを発信してもらう「わがまちニュース」は、足寄町からです。
足寄町役場経済課の門野亮介さんが、一番の推しスポット「オンネトー」についてお伝えします。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220610/7000047409.html

観光船事業の許可 更新制度設ける方向で検討へ 国の委員会
06月10日 20時25分

知床半島沖の観光船の沈没事故を受け、小型船舶の安全対策を検討する国の委員会は、安全対策が不十分な業者に事業を継続させない仕組みとして、観光船事業の許可を一定期間ごとに更新する制度を設ける方向で検討を進めることになりました。
4回目となる10日の委員会では、旅客船事業者の安全対策に実効性を持たせる方法などについて委員が議論しました。
この中で、観光船の運航会社が去年、2度の事故を起こして国が特別監査や指導を行ったにも関わらず、今回の事故が防げなかったことを重く見て、国の管理体制の見直しについて話し合われました。
その結果、安全対策が不十分な業者に事業を継続させない仕組みとして、観光船事業の許可を一定期間ごとに更新する制度を設ける方向で検討を進めることになりました。
貸し切りバス事業と同じ5年ごとの更新を想定して審査を行い、事故や処分の数が多い業者などについては事業許可を更新せずに継続を認めないこともある一方、優良な業者に対しては審査を簡略化する方法なども考慮するとしています。
また、同業者からの通報や過去の行政処分などを踏まえて監査を重点的に行うなどして対策が不十分な業者を把握しやすい体制を整えていくことも検討するとしています。
国土交通省は、実施に向けて具体的な内容を決める作業を急ぐことにしています
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220610/7000047412.html

いじめ経験を持つお笑いグループ芸人が静岡市内の学校で講演
06月10日 19時46分

学生時代にいじめを受けた経験を持つお笑いグループ「ジャングルポケット」の斉藤慎二さんが静岡市内の学校で講演し、「もし人を傷つけるようなことをしていたら絶対にやめてほしい」と呼びかけました。
静岡市葵区にある常葉大学付属の中学校(常葉大学付属中学校)と高校(常葉大学付属高校)には、テレビなどで活躍するお笑いグループ「ジャングルポケット」の斉藤慎二さんが招かれ、子どものころ受けたいじめについて全校生徒約1200人を前に講演しました。
斉藤さんは小学3年生から中学生までの間いじめを受け、クラスで1人だけ仲間はずれにされたり、彫刻刀で背中を刺されたりしたということです。
教員がいじめに加担したこともあったということで、「実際に父親のベルトで首をつって死のうとしたこともあった。いつも死ぬことばかりを考えていた」と当時の心境を話しました。
その上で斉藤さんは、「もし人を傷つけるようなことをしていたら絶対にやめてほしい。いじめられた側は一生忘れない」と生徒に語りかけました。
講演を聞いた中学3年生の女子生徒は、「自分の周りにいじめを受けている人がいたら救いの手を差し伸べられるようにしたいです」と話していました。
高校3年生の男子生徒は、「自分ではいじめと思っていないことでも相手の気持ちになって行動したいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20220610/3030016204.html

酒米の田植え始まる ”地域の酒文化を守りたい”
06月10日 18時57分

日本酒の原料となる酒米。
日本酒の製造量の落ち込みが続く中、ことしの田植えが始まっています。
【安芸高田の農家は】
安芸高田市の松川秀巳さん(74)です。
管理する田んぼは50ヘクタール。
40年にわたって酒米を作ってきました。
酒米は、たんぱく質や水分などを調整するための、細かい品質管理が求められます。
松川さんは「植えて量をとれれば良いというだけではない。良質ないい酒造好適米を作るのが重要です。いいものを作って喜んでもらえるというのがある」と話していました。
【コロナ影響で生産減少】
しかし、新型コロナの影響で、おととしの県内の日本酒の製造量は前の年と比べて2割減少。
このため、松川さんの田んぼでもことしの酒米の作付けは、例年より2割少なくなっています。
余った田んぼでは、鶏のえさなどになる飼料用の米を生産。
酒米に比べて取り引き価格も安くなるため、苦渋の決断です。
厳しい環境が続きますが、5月からは家業を継ごうと娘夫婦が働き始めました。
松川さんは、酒米を作る技術を次の世代に継承し、地域の酒文化を守っていきたいと考えています。
松川さんは、「やっぱりいいものを作ったら酒蔵のほうも、継続して作ってくれ、ということがあります。お互いに、我々生産者もそうだが、酒蔵の杜氏さんも頑張っている。なんとか良い酒を作れば、伸びていく、生き残れるんじゃないかと思います」と話していました。
松川さんは、地域全体でよりよい酒米が作れるように、今後もほかの農家や酒蔵と意見を交わしながら酒米づくりに取り組んでいきたい、と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20220610/4000017999.html

【フレンズニュース】古民家に若者集う“シェアアトリエ”を
06月10日 18時47分

「ほっとニュース北海道」で毎週金曜日にお伝えしている「ローカルフレンズニュース」。地域にディープな人脈を持つ道内各地の“フレンズ”たちに地元の旬なニュースや話題を伝えてもらうコーナーです。
今回は函館市で地域活動をしている「荘プロジェクト」の1人、北海道教育大学函館校2年、吉井さつきさんに今夏、古民家でチャレンジする新たな取り組みについて紹介していただきました。
吉井さんは函館市内にある築114年の古民家「みなも荘」を管理しています。そこに誰もが使えるシェアアトリエのような工房をつくり、創作活動をしたい人たちがお互いに違うことをしながら影響を与え合うことができる場をつくろうとしています。
吉井さん自身、歌をつくってギターやピアノで弾き語りをしていて、思いっきり歌える場所が欲しかったこと、ほかにも創造力があり余っている仲間を受け止められる場所があったらいいなと思ったことから、こうした場をつくることにしたということです。
作業スペースは各自で選んでもらい、自分が作業しやすい環境をつくることになります。すでに油絵と哲学が好きな学生や、物語や漫画を描くのが好きな学生、美大出身の社会人など5人の参加が決まっています。
そのうちの1人で、音楽を制作している北海道教育大学函館校1年の和田朋也さんは高校生のころからずっと創作仲間を探していて、今回「みなも荘」に来ることを決めたといいます。
和田さんは「以前からことし9月末までに音楽のアルバムを完成させるという目標があった。『みなも荘』に通って音楽をつくる中でいろいろな感情や体験も音楽に還元されるのかなと思う。最終的にはみんなで自分がつくった音楽を聴くことができればすごく幸せなことだと思う」と話していました。
吉井さんたちは古民家で暮らす中での経験や感じたことを、展示会という方法でことし11月に発表しようと考えています。
吉井さんはただ自分が好きなことをして終わるのではなく“残すこと”を大切にしたいとしていて、仲間と磨き合った感性を地域の人や函館の学生、それに外部の人にもみてもらって誰かとつながっていく過程まで大事にしていきたいと意気込んでいました。
27歳以下限定ではありますが、まだまだ仲間を募集しているそうです。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220610/7000047403.html

水俣病研究の第一人者 原田正純さん没後10年 託された思い
06月10日 16時18分

「公害の原点」と言われる水俣病。水俣病研究の第一人者として、患者の救済に半生をささげたのが、鹿児島県出身の医師、原田正純さんです。
原田さんが亡くなってから今月11日で10年となります。亡くなる直前まで患者の診察にあたり、「水俣の教訓を後世に生かさなければならない」と訴えてきた原田さん。今に生きる私たちに託した思いとは何なのか。取材しました。
(熊本放送局西村雄介 鹿児島放送局西崎奈央)

【医師・原田正純さんの原点】
(原田正純さん)「弱い人をね、いじめていく社会というのは、私は成熟した近代国家じゃないと。水俣病というのは、そういうのを非常に残酷に映して見せてくれたんじゃないかと思うんですね」
医師の原田正純さんが生前、NHKのインタビューに残した言葉です。
昭和9年に鹿児島県に生まれ、およそ50年にわたって、患者の診察と研究を続けました。
昭和31年に公式確認された水俣病。
化学メーカー・チッソの水銀による海の汚染は、熊本だけでなく鹿児島県にも及びます。
医学部の大学院生だった原田さんは、調査チームの一員として水俣を訪れ、多くの人たちを診察しました。
健康な体を奪われただけでなく、周囲からの差別や偏見にさらされた人たちの苦しみを目の当たりにしました。
(原田正純さん)「病気と言うよりも、人間が作った犯罪、殺人。自身に対して、病気とはなんだ、それに対して、われわれは何をすればいいのかという厳しい問題を突きつけてきた」

【原田正純さんが残した功績】
17年前、原田さんが設立した熊本学園大学の「水俣学研究センター」に原田さんの患者への向き合い方がうかがえる資料が残されています。
残されていたのは、症状や生活歴をほかの医師とともに細かく聞き取った膨大なカルテ、そして、みずからが証言した裁判の記録です。
センター長の花田昌宣さんは熊本大学を退官した原田さんを招き、センターの設立にたずさわりました。
(花田昌宣さん)「1個1個が、原田正純さんの足跡を示している資料です。水俣病の事件史と、原田先生の足跡は切っても切り離せません」
なかには、これまで公開されてこなかった貴重なフィルムも残されていました。
病院ではなく、患者の家を一軒一軒訪ねて診察する原田さん。
映像からは、診察室ではわからない、症状が生活に及ぼす影響に目を向けていたことが分かります。
(花田昌宣さん)「敷物、畳がひいてありますけど、歩くのを見てると、畳のへりでつまずいたりするんですよ。そういう日常生活の支障をとらえていくというのは、やっぱり医者のすることだろうと」
さらに、症状や出生地、食生活などを総合的に分析。「母親の胎盤は毒物を通さない」という医学の定説を覆し「胎児性患者」の存在を発表。
見落としかねなかった被害の広がりを世界で初めて明らかにしました。
(花田昌宣さん)「胎児性水俣病は、小児まひが多発しただけの話だということで片づけられてしまって、医学統計上は、ちょっと変わった地区かなというぐらいで終わっていたかもしれない」
一方で「患者に寄りすぎている」などと学内から批判も受けてきた原田さん。
それでも、一貫して患者の側に立ち続けました。
(花田昌宣さん)「医者が患者の側に立たなければ、誰が患者の理解をしてくれるんだと。被害者に寄り添うことが、つまり力のある人たちから離れることが中立というぐらいの意味だと原田さんは?言っていました」

【「寄り添う」姿勢を見つめた教え子】
原田さんの思いを継いで、患者のもとに通い続ける教え子がいます。
センターの研究員、田※尻雅美さんです。
大学の講義で行われた水俣でのフィールドワークで、原田さんと出会った田尻さん。
現地で当事者の声を聞き、浮かび上がった課題を社会に伝えるよう教わったと言います。
(田尻雅美さん)「仏様みたいな優しいお顔の人だったので、これがあの水俣病書かれた原田正純さんなんだっていうふうに思ったのが第1印象です。原田先生が最初に水俣に来たときに『見てしまった者の責任』と言われましたけど、言われてますけど、やはり関わって来た以上に途中でほっぽり出せない。やはり最後まで何らかの形で関わっていこうと思っていた」

田※尻さんは、公式確認のきっかけとなった患者、田中実子さんの元に通い続けています。
原田さんは、2歳で発病して、60年以上、体の自由を奪われた実子さんのことを、亡くなる直前に寄せた原稿でも気にかけていました。
2012年5月11日に熊本日日新聞に掲載された寄稿には「公式確認の契機となった第1号患者がひっそりと生き続けていることを何人が意識しているだろうか。問題は忘却されている」と記されています。
時間がたってから症状が悪化し、日常生活への支障が大きくなることもある水俣病。
田尻さんは、患者が望む生活の実現に向けた研究を続けています。
(田※尻雅美さん)「原田先生が言われていたのは、もちろん未認定の方もそうだけど認定された方も苦しんでいる。認定されたから解決じゃないってことは伝えたいですね。そこから先がね、本当はまだまだね何十年ってあるのにね。家族だけが苦労してね」

【遺志継いで、水俣病を伝え続ける】
現場に足を運び続けてきた原田さんが提唱したのが「水俣学」でした。過ちを繰り返さないためにはどうすればよいのか。
患者や家族の声に専門分野の垣根を越えて耳を傾けました。
“文明の病”と呼ばれた水俣病から、現代社会を生きる人たちへの道しるべを示したい。
田尻さんたちは、原田さんが亡くなったあとも「水俣学」の講義を続けています。
(田※尻雅美さん)「他のもの、沖縄の問題であるとか戦争の問題であるとか、福島の問題であるとかの見方に通じる。最終的にはそれぞれが生きるときの物事の見方とか、判断するとき、考えるとき、自分がどう行動していくんだろうと迷ったときに、役立つものになったらいいなって思います」
水俣病を「負の遺産」として終わらせていないか。原田さんが残した言葉は、今も、私たちに問いかけ続けています。
(原田正純さん)「してはいけなかったこと、間違っていたこと、それをね、発信しないと何の教訓にもならないですね。閉じ込めさせない、むしろ水俣病は一地方の問題じゃないんだよというね、広げていく作業。いうなれば“水俣学”とはそれかもしれないね。だから決してこれは水俣地方に起こった気の毒な特別な事件じゃない」

【終わらない水俣病】
水俣病は公式確認から66年となりましたが、患者として認めてほしいと申請をする人はいまも絶えません。
ことし4月末の時点で熊本県・鹿児島県あわせて1400人以上が申請をしていますが、国の厳しい認定基準に基づいて審査が行われ、ほとんどが棄却されています。
過去10年の申請者で患者と認められたのはわずか11人で全体の1%以下、被害の拡大を防止しなかった責任がある国が設けた基準について、妥当性を問う声もあがっています。
患者の掘り起こしを行えば補償をしなければならないと行政は調査を怠り、今なお被害の全体像がつかめていません。
特に、原田さんがその存在を明らかにした胎児性患者と同じ世代の人たちのどれだけが被害を受けたかのデータはほとんどありません。
行政が積極的に潜在的な被害を捉えようとしないために、被害を受けたという人がみずから手をあげて、症状と水銀の因果関係を証明しなければなりません。
こうしたなか胎児性患者と同じ世代の熊本県や鹿児島県の60代の男女、あわせて7人が裁判を続けていますが、ことし3月の熊本地方裁判所の判決では全員の訴えが退けられ、司法の判断にも翻弄されている現状です。
水銀の被害がどの範囲まで広がっているのか、母親の胎内で水銀の影響を受けた人がどれだけいるのか、行政、原因企業・チッソが真摯に全体像の解明に取り組み、謝罪と償いをしなければ、水俣病に終わりはありません。

【取材を終えて】
(鹿児島放送局・西崎奈央)
原田さんが残した「水俣病は一地方の問題じゃない」という言葉を聞き、水俣病に関して鹿児島から取材できることは限られているのではないかとこれまで思っていた自分を省みました。
「水俣病は世界を映し出す鏡」ともいった原田正純さん。
今、社会で起きている多くの問題において、様々な立場からの正義を突きつけられた時に、私たちが思いを寄せて考えなければいけないのは誰なのか。
原田さんの「中立」への考えを、記者として大切にして取材を続けていきたいと思います。
(熊本放送局・西村雄介)
ちょうど1年前の21年6月。水俣湾に向かって患者たちがバラを投げ込む姿を目にしました。
話を聞いてみると、原田さんのお骨は水俣湾に散骨され、毎年、命日にあわせて、好きだったバラを献花するということでした。
亡くなった2年後にNHKに入局した私は、原田さんに会ったことがありませんが、その光景は、原田さんがいかに患者と向き合い続けたか、感じるに足るものでした。
その日以来、交流のあった人たちに、原田さんとの思い出や、心に残っている言葉を聞いてまわりました。
共通していたのは、常に笑顔で、被害を受けた人に寄り添った原田さんの姿でした。
「怒ったところを見たことがありますか?」という質問には、みな「見たことがない」と答えた一方で、国や県、チッソに対しては、厳しい口調をみせていたといいます。
「中立」の考えは、医師だけでなく、私たちジャーナリスト、そして、あらゆる立場の人にあてはまります。
10年、そして、これから何年たっても消えることのない原田さんの志が、この節目に1人でも多くの人に伝わることを、強く願います。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20220610/5050019001.html

ロシア海軍の艦艇が北海道沖の太平洋に 大規模演習の一環か
06月10日 12時50分

防衛省は、ロシア海軍の艦艇5隻が9日、北海道沖の太平洋で活動しているのを確認したと発表しました。ロシア国防省は、40隻以上の艦艇などが参加する大規模な演習を太平洋で行うとしていて、防衛省はこの演習の一環とみて、情報収集と警戒・監視を続けています。
防衛省によりますと、9日、北海道の根室半島の南東およそ170キロの海域で、ロシア海軍の駆逐艦やフリゲート艦、あわせて5隻が活動しているのを海上自衛隊の艦艇が確認したということです。
ロシア国防省は今月3日以降、40隻以上の艦艇やおよそ20機の航空機が参加する大規模な演習を太平洋で行うとしていて、5隻の活動はこの演習の一環とみられるということです。
また、この演習に関連して、ロシアは、千島列島の周辺海域や日本のEEZ=排他的経済水域を含む三陸沖の海域で、ミサイル発射などを目的とした航行警報を出しているということです。
防衛省は、ロシア軍がウクライナへの侵攻を続ける中でも極東で同時に活動できる能力を誇示する狙いもあるとみて情報収集と警戒・監視を続けています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220610/7000047383.html

女子中学生死亡 旭川市長が質問書 第三者委に回答求める
06月09日 20時59分

去年、旭川市の公園で女子中学生が死亡しているのが見つかり、いじめが認定された問題で、旭川市の今津寛介市長が調査にあたっている市教育委員会の第三者委員会に6項目の「質問書」を手渡し、今後の調査で遺族への聞き取りを行うかなど2週間後までに回答を求めました。
去年3月、旭川市の中学2年生だった廣瀬爽彩さん(当時14)が雪の積もった市内の公園で死亡しているのが見つかり、市教育委員会の第三者委員会は中間報告として、爽彩さんに対して複数の上級生が菓子や飲み物の代金を頻繁におごらせたり、性的な動画送信を求め続けたりした行為などをいじめと認定し、ことし4月に詳しい内容を明らかにしました。
遺族側はこの中間報告に対する「所見」を先月30日、旭川市と市教育委員会に提出し、この中で遺族への聞き取りが1回のみだったことを問題視するとともに、加害者側の話に基づく事実認定により被害者の尊厳が傷つけられたなどと厳しく批判しました。
こうした中、旭川市の今津寛介市長は9日午後、第三者委員会の辻本純成委員長に「質問書」を手渡しました。
質問書では今後の調査で遺族への聞き取りを行うか、被害者側の苦痛や心情を事実認定に反映させる考えがあるのか、ことし8月末をめどとする最終報告は本当に提出が可能なのかなど6項目について、2週間後の今月23日までに回答するよう求めています。
今津市長は「中間報告はご遺族に対する十分な説明がないなど、問題が多岐にわたっている。第三者委員会からの回答をご遺族とも共有したい」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220609/7000047363.html

参院選宮崎選挙区今村氏が参政党公認で立候補へ
06月09日 20時25分

この夏に行われる参議院選挙の宮崎選挙区に諸派の新人で、建設会社社長の今村幸史氏が立候補することを表明しました。
これは9日、今村氏が県庁で記者会見して明らかにしました。このなかで今村氏は「子どもたちが自分の未来に希望を持てなくなっていて、その状態を教育を通じて変えていきたいと思っている。また、経済の活性化や食の安全、国防の充実を目指していきたい」と述べ、この夏に行われる参議院選挙の宮崎選挙区に政治団体の「参政党」の公認で立候補することを表明しました。
今村氏は都城市出身の49歳。京都大学大学院を修了後、会社員を経て、現在は、都城市内の建設会社の社長を務めています。
宮崎選挙区では、自民党の現職で4期目を目指す松下新平氏と立憲民主党の新人の黒田奈々氏、国民民主党の新人の黒木章光氏、共産党の新人の白江好友氏、それにNHK党の新人の森大地氏が立候補を表明しています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20220609/5060012653.html

小平町 特産ミズダコ漁最盛期 中には2メートルの大物も
06月09日 20時16分

小平町では特産のミズダコ漁が最盛期を迎え、港は水揚げに活気づいています。
小平町では秋に1か月ほど設けられる禁漁期間を除き1年を通じてミズダコ漁が行われていて、産卵を終えたばかりのこの時期は水深の浅い海岸近くにミズダコが多くとどまっていることから、漁は最盛期を迎えます。
漁は、物陰を好む習性を利用して、海中に沈めた「タコ箱」にミズダコを誘い込む方法で行われます。
臼谷漁港では連日、6隻の漁船が漁を行っていて、早朝、生きのいいミズダコが次々と水揚げされています。
そして、トラックで近くの作業場に運んだあと手早く切り分け、海水で洗って町内の加工場に出荷する準備を整えていました。
地元の漁協によりますと、ことしは、不漁だった去年に比べて水揚げ量は回復しているということで、なかには体長が2メートル近くにもなるまるまると太ったミズダコもみられました。
漁業者の阿部喜三男さんは「この時期のミズダコは味が凝縮していてとてもおいしいので、ぜひ食べてほしいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220609/7000047308.html
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