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2022年06月18日15:49

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沈没していた英軍艦 の雑感

340年前に沈没した英軍艦「HMSグロスター」を発見、未開封のワインボトルも
https://news.livedoor.com/article/detail/22357211/
>後の英イングランド王ジェームズ・スチュアート

ジェームズは清教徒革命で処刑されたチャールズ1世の息子。オランダに逃れていたが、クロムウェルが死ぬと兄王チャールズ2世と共に帰国。兄に嫡出子がいなかったため、ジェームズは王位の第一後継者となった。

英蘭戦争では海軍の司令官の一人。戦場では果敢だったようで、少なからず勝利にも貢献したが、第一後継者が前線で死んだらエライことになるわけで、兄の意向で後方に下げられている。

当時のイギリスではカソリックは憎悪の対象であったが、海外育ちのジェームズはカソリックを信仰。これに反発した勢力が陰謀を繰り返すようになり、政情不安にまでなるにいたり、ほとぼりを冷ますために兄王はジェームズをスコットランドに送る。

今回発見された軍艦は、政情が収まってジェームズがイングランドに戻ることになり、スコットランドに置いていた妻を自ら迎えに行った際に使用された船。

王妃を乗せた帰り道のこと。その海域には砂州があり、水先案内はそれを回避するために さらに沖のルートを勧めたが、海軍での活躍で自分の経験に自身を持っていたジェームスは、敢えてコース変更しないことを決定。しかし、ドンピシャで砂州にぶつかってしまい、数十分ほどで船は沈没。乗客乗員のうちの40〜75%が死亡という大惨事になったが、水先案内人に全責任が押し付けられ、ジェームズは何ら罪に問われることはなかった(さすがにあんまりだと思ったのか、終身刑になった水先案内人は 一年ほどでこっそり釈放された)。

ジェームズはその後、ジェームズ2世として即位。しかし、そもそもカソリックで評判が悪かったところに、この不祥事もあったため、その後なにかある度にこの件が蒸し返されている。ジェームズ2世は議会との対立の果てに、名誉革命で再び国を逐われることになった。

ちなみにジェームズと一緒に船に乗っていて難を逃れた中には、「イギリス海軍の父」と呼ばれる海軍官僚にして、まめまめしく日記をつけた結果、当時のペスト流行・ロンドン大火の様子、さらには自身の女性関係(※暗号で隠していたが、解かれてしまった)まで詳細な記録が後世に残ってしまったことで有名なサミュエル・ピープスもいた。

この海難事故に巻き込まれた頃には、すでに日記を書くのを止めていたので、この事故におけるピープスの動向はよく分からない。後にジェームズが国を逐われると、ピープスも公職から退いた。
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