分かり易い例を挙げれば、『富士山の噴火』が挙げられるだろう。
何時噴火するかは分からないが、まず間違いなく『何時か』は噴火すると目されているのに、その為の対策を公約に掲げて選挙に立候補している人間をタダの一人も見ない。
これで噴火した後の被害が国のせいだと言えるだろうか?
予測出来た筈だと言えるのだろうか?
予測していないのは有権者そのもので、更にはそこに予算を掛かる事を想定している有権者がどれだけいるのだろうか?
自然災害の前には、人類など無力なモノだ。
■奪われた畜産農家の誇り=「無残な子牛」忘れられず―福島・原発避難訴訟
(時事通信社 - 06月18日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7000383
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