鎌倉殿の過去の人物相関図を見直していたら、12話時点で小山朝政が登場していたことに今更ながら気づき驚く。なんで当時気が付かなかったのかは不明。朝政が出てくる時は八田知家と一緒だろうという思い込みはあったかもしれない。
小山朝政
知略58武力84優雅42勇名70菩提71加護72無常54弓術70 奇略
下野の豪族。父・小山政光の後妻が頼朝の乳母の一人である寒川尼。寒川尼の兄弟が、宇都宮朝綱と八田知家。
頼朝挙兵時に在京中だった小山政光や宇都宮朝綱は、平氏から危険視され京都に抑留。しかし、八田知家や寒川尼、寒川尼の実子である朝光(後に結城朝光を名乗る)が知ったことかとばかりに頼朝の下に馳せ参じてしまい、その流れで朝政も頼朝方。直後の志田義広との戦いでは、知家らと共に奮戦した。なお政光や朝綱は、後に無事に帰国した。
平家討伐でも知家と一緒になって活躍したが、やっぱり知家と一緒になって京で無断任官してしまい、頼朝は書状で二人揃って「駄馬の道草(怠け者の役立たず)」と痛罵。これに肝を冷やしたのか、義経討伐の際には先陣を申し出ている。奥州征伐でも活躍し、頼朝死後の政変も上手くくぐり抜け、幕府でも重く任じられる。
その朝政が危ない橋を渡ったのが、宇都宮頼綱の一件。頼綱は宇都宮朝綱の孫。小山政光の猶子になったため、朝政や朝光とは義兄弟の関係。妻は北条時政と牧の方の三女。
ゆえに牧氏事件が起きると頼綱挙兵の噂が立ち、大江広元が踏み絵とばかりに朝政に頼綱討伐が打診するが、朝政はこれを拒否。当時の情勢からすると危ない橋だったはずだが、幕府重鎮である朝政と朝光が必死でとりなした結果、頼綱が出家して京都に隠棲することで手打ちということになった。京都に行った頼綱は浄土宗や歌人と交流し、その影響で宇都宮氏の文化レベルが上がった。朝政は長生きして、長く病気に苦しむこともなくコロッと死んだ。
ステータス。これといって穴のない高バランス型で、知略も優雅も坂東武者にしては低くはない。無常まで高いのはいかがなものかとは思うが。奇略のスキルは、志田義広との戦いで 投降すると見せかけて奇襲を仕掛けたことによるものか。
※インデックス
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981626821&owner_id=16600073
ログインしてコメントを確認・投稿する