稲毛重成
知略69武力73優雅38勇名33菩提45加護53無常44弓術65
武蔵で勢力を誇った秩父一族の一人で、同じ秩父一族の畠山重忠とは従兄弟。北条時政の娘婿。重忠らと同様に平家討伐に参加している。
平家討伐時点での秩父一族の第一人者は河越重頼だったが、義経に娘を嫁がせていた(ドラマでは比企の娘になっていたが、史実では重頼と比企尼の次女との間の子)ことが災いし重頼は粛清。秩父一族の第一人者は、頼朝からの信頼厚かった畠山重忠へと代わる。畠山重忠も北条時政の娘を迎えている。
同じく時政の娘(母は牧の方)を妻に迎えている平賀朝雅は源氏の一族の一人。母が比企尼の三女(伊東祐清に嫁いでいたが、祐清死後に再婚)という縁もあって、頼朝の猶子だった。比企氏滅亡後も北条の庇護の元に地位を維持。武蔵守であったため、武蔵の在地勢力である畠山とは利害が対立していた。
ここから先は出来事の羅列。
「北条時政は、対立していた将軍頼家とその外戚である比企氏を排除し、権力体制を構築」
「京都において畠山重忠の嫡男・重保と平賀朝雅との間で深刻なトラブルが発生」
「同タイミングで、時政と牧の方の子で、北条の嫡男だった政範が京都で急死」
「京都からの報せからほどなく時政の邸宅に稲毛重成が入り会談」
「時政が重忠・重保に叛意ありとして討伐を主張」
「義時は討伐に否定的であったが、時政に押し切られる形で動員の準備に入る」
「在鎌倉だった重保が、重成に騙し討ちされるかたちで討ち取られる」
「義時が大動員をかけて、武蔵に侵攻。重忠を討ち取り、畠山は滅びる」
「義時が戦後処理にて『畠山の謀反は事実無根、讒言を行った稲毛重成は重罪』として重成を殺害」
「時政と牧の方が、実朝を廃して平賀朝雅を将軍に就ける動きを見せる」
「義時と政子が実朝の身柄を保護、時政と牧の方を鎌倉から追放。牧の方の兄、牧宗親は出家」
「京都にて平賀朝雅が追手に討たれる」
という流れ。ストーリーとして考えられるのは
「権力を継ぐべき政範を急に失った時政と牧の方は、平賀朝雅を代わりの後継者と考えた」
「朝雅の権力を強化するべく、稲毛重成らを使って 朝雅と対立していた畠山を滅ぼした」
「しかし、あまりに強引なやり方だったため御家人の反発は強かった」
「御家人たちの不満を受けて、義時・政子は稲毛重成を処罰。対立していた時政・牧の方を牽制した」
「これに動揺した時政らは、実朝を廃し朝雅を将軍に据えることで一発逆転しようとしたが、義時らに実朝の身柄を押さえられてしまいゲームセット」
みたいなところだろうか。政範の死まで陰謀だったかどうかは定かではない。
稲毛重成の妻は早くに亡くなり、これを悼んだ重成は出家し、さらに追善供養として橋を建設。この橋の落成式に参加した頼朝が落馬事故を起こして、それが元で亡くなっている。
畠山重忠の妻は、重忠の死後に足利義兼の庶子、良純と再婚。良純が畠山の名跡を継ぎ、この家系が室町幕府の三管領家の一つとなった ということになっている。ただし良純には詳細不明の部分も多く、名跡を継いだかに関しても諸説ある。
平賀朝雅の妻は、貴族である藤原国通と再婚。夫の国通は鎌倉の後ろ盾のもと順調に出世。この夫妻は後に義時の娘を養子に迎えるにまで至った。
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