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2022年05月28日14:39

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あの時代のことを思い出します。日本国内でも左右の戦争があり、日本は、親米右派が買ったと言うことです。

子供の頃から大学時代に掛けて、とりわけ学生運動の嵐で翻弄された夏に、私が暑さを逃れ、また父母が過激な活動家から離れることを期待したからか、毎年のように私が過ごした信州の片田舎の町(?)がありました。

 当時は家もぽつんぽつんとしかなく、それでも夏は、(遠い)親戚とその若いお仲間達が集まってジャズだの民族音楽だのの演奏も毎日のように行われていて、いま思えば楽しい環境だったとは思いますが、当時の私は、学生運動や校内(なんと今で言うリセ、ギムナジウムのような学校ですが、つまり10歳ぐらいからの「子供」の世界です!)で繰り広げられていた凄惨な暴力にもかなり疲れ切っていて、この「町」で過ごすことがとても貴重な時間でした。
 説明が必要かも知れません。
この時代、今、映画などで紹介されているような学生運動、68(ろくはち)運動のような生き生きした部分も大いにありましたが、他方で、ローティーンの学ぶ校内に治安公安警察に情報提供する同級生がいたり、右翼や左翼の大物とのつながりを自慢する自称右翼だの自称左翼だののローティーンおよびハイティーンの男女がうじゃうじゃいる時代でした。
 団塊の世代にとってはアメリカは憧れの存在だったかも知れませんが、私の世代にとっては、「いけてる」のはビートルズを産んだイギリスや文化の豊かなドイツ、フランスなどでした。
 アメリカは、ベトナム戦争で虐殺を繰り返し、占領した日本を軍事基地として自由に使い、戦争に飽きた兵士達がヘリに乗って六本木や沖縄の基地に降りて、レイプや売春目的で町を闊歩するとんでもない「ならずもの」国家のイメージで、学生運動やそれに関連する右翼運動、国粋運動も、どことなく反米運動のイメージが強かったものです。
 学校では、英語(米語)の授業を拒否することが、アメリカの
「言語的植民地」根性を払拭する勇気ある行動と見なされた、そういう時代でした。
 他方で、日本はまだまだ貧しかったため、労働運動も盛んで、そのため学生運動は、労働運動と連携して、日本でも大規模なものになっていました。
 私が学級新聞を編集したときにクラスでアンケートを採ってみたときも、小学校時代から高校時代まで、ほぼ変わることなく圧倒的多数は「左翼」支持でした。左翼、とはつまり、当時の第2党「日本社会党」とそして社会党と連立政権を都市部で樹立していた共産党でした。
 そう言う時代があったのです。
この運動は、同時に世界の運動とつながっていて、チェコやハンガリーの民主化運動やヨーロッパ各地のときに過激になっていく68世代の運動とも密接な連携が在り、新宿駅前で毎日行われていたフォークソング集会などには必ずアメリカ脱走兵がいて、アメリカの軍隊がいかに酷かったかなどを熱弁していました。
 そういう時代です。
今で言えば、ウクライナでロシアがどれだけ残虐かを一日中、メディアが伝えているような環境でした。
 若い方にも分かって頂きたく細かく説明いたしましたが、要するにそういうかなり烈しい環境に合った私の10歳前後からの十数年は、いまでいうところのストレスが非常に激しい時代で、それでときどき鈍行に乗って東京から離れて、何時間かごとごとと揺られて到達できる夏の居場所はありがたい存在だったのです。
 その場所(の周辺)が、今日、テレビでかなり長い特集になっていて、
それを作業をしながら何となく見ていて、いろいろと昔のことを思い出していました。
 テレビの画面でうつされているその町の様子は変わり果てていて、今やショッピングのまち、観光地としてすごい数の観光客を集めているようで、なんともいえない気持ちで見ていました。
 ここ十年ぐらい、ときどき友人の車に同乗したり電車で同じ町の周辺に行く機会があったのですが、かろうじて駅舎の一部に当時を思い出せるぐらいで、長い時間で日本が変わり果てたと言う事をつくづくと感じています。
 若い方々には、ぜひとも、今の日本ではなく、昔の日本について思いを馳せて頂きたく思います。
 そしてあの時代、勝ち馬に乗ることは日本人としてまことに恥ずかしい行動だと思われていたことを若い方々には知って頂きたいと思います。





■日本赤軍、なお7人逃亡=国際手配し、情報募る―警察当局
(時事通信社 - 05月28日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6974168
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